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雑記帳 |
1.歌詞とメロディー 2.言葉の力 3.生命とリズム 4.一句の解釈 5.大根あれこれ |
テーマごとに上に重ねていきます。
テーマの中では下に書き加えていきます。
第5回
『大根あれこれ』
「大根をおろしにしたる舌しのぶ」
いったい、あんなものを、誰が始めたのだろう。
味覚のほどがしのばれる、というほどの句意である。
大根といえば、まず思い浮かぶのは「たくあん」だろうか。
「おでん」や「ふろふき」を思い浮かべる人もいよう。
あるいは、刺身にツマの「千切り」なども。
大根の用途は広い。
それ故に、野菜の王者ともなっているのであろう。
「日本国勢図会」によれば、
2010年の全国の野菜の生産量について、
大根は150万トンで第1位となっている。
ちなみに、2位はキャベツ(136万トン)、3位が玉ねぎ(104万トン)である。
大根は根強い人気があるのだ。
それは昔から、薬効があるとされてきたからでもあろう。
薬効といえば、『徒然草』におもしろい話が載っている。
筑紫の国の守護の役人が、何にでも効くすばらしい薬だといって、
大根を毎朝二本ずつ焼いて食べていた。
ある時、その屋敷へ敵が攻め込んできた。
すると、二人の兵が現れて、命惜しまず闘って敵を追い返した。
見たこともない兵だったので、不思議に思って尋ねたところ、
「長年にわたって毎朝召し上がっていただいている大根どもでございます」
と言って、姿を消した。
作者の兼好は、「深く信仰していたから、こんな功徳もあったのだろう」
と言っているが、薬効を物語る話である。
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大根といえば、特筆すべきは北大路魯山人の話である。
魯山人(1883〜1959)は書や絵画、陶芸で名を知られているが、
一流の料理人でもあった。
京都や北陸での不遇時代にも「美味い」ものを求めて、
後には国会議事堂の近くで、名士たちを相手の料亭を開くほどであった。
その語るところを『魯山人味道』(中公文庫)から、いくつか拾ってみよう。
大根を食べる極意が語られる。
「ここに一本の大根があったとする。
もし、その大根が今畑から抜いてきた新鮮なものであるならば、
これをおろしにして食おうと、煮て食おうと、美味いに違いない」。
「私は鎌倉(自宅)で、大根を食う場合は、いつでも畑から抜きたてのものを使う」。
「土を離れて時の経つにつれ、味がよくなるなどという蔬菜はまずあるまい」。
「採りたてのものは、質が違うと思われるほど美味いものです。
採ってから少しでも時間が経つと、どうも問題にならぬくらい味が落ちます。
東京(店)ではそういうことはできませんが、
鎌倉ですと、お客をしましても、膳を出す三十分なり四十分なり前でないと、
畑から抜かせないのであります」。
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(つづく)
『一句の解釈』
いくたびも雪の深さをたづねけり
この句はどういう情景を歌ったものなのだろうか。
高校生の頃、教科書でこの句に出会ったとき、
私は次のような光景を思い浮かべた。
何度も何度も雪深い山里を訪ねたことだった。
そこには、
見初めた少女がいるのだろうか、
それとも、
剣の達人がひっそりと暮らしているのだろうか。
ともかく、
雪に足を取られながら、それにもめげずに何度も訪ねたことだった。
これは子規の句だが、
これを思い出したのは、他ではない。
トモちゃん、カンくんと教科書の予習をしていたときのことだ。
中2の教科書には同じく子規の、こんな短歌が載っている。
くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る
(光村図書「国語 2」)
この歌はどんな情景を歌ったものなのだろうか。
教科書には次の解釈・解説が載っている。
「赤い色のばらの芽が伸びて、二尺ほどの長さになり、
針のようなとげはまだ柔らかい感じで、春雨がけぶるように降っている」
これについて、トモちゃん、カンくんともども、
「芽が伸びて、二尺ほどの長さに」なるのは変だ、
茎か木かツルが二尺になるというのなら分かるが、ということになった。
これは間違っている!と思ったのだが、
念のため、
散歩がてらにバラの花を見て回ることにした。
近所の庭ではバラが盛りを迎えようとしている。
四尺にも五尺にも伸びた枝の先に
赤やピンクの花を咲かせている。
それにしても、
「針」はどれなのだろうか、と思った。
当然、棘(とげ)で、それが柔らかいのも分かるが、
「針」は「芽の針」とある。
花びらを包んでいる萼(がく)の穂先なのだろうか。
あれは確かに尖っている。
しかし、棘というほどではない。
柔らかすぎる。
あれやこれや思いを廻らせていると、
ブロック塀の上にツルバラが這っているのに行き合わせた。
紅の花も咲いている。
主(あるじ)、この家の主が家の周りの草取りをしていた。
主に聞けば、疑問が解けるかもしれない。
ところが、
大いなる無知に気づかされることになった。
バラはツルの枝先を剪定(せんてい)すると、
春にはその下辺りから芽が出て、
それが伸びてツルになるのだ、と言う。
これがそうだ、と指すのを見ると、
ツルは一尺余りで赤っぽく、棘はまだぶよぶよである。
疑問は氷解していった。
「くれなゐ」は花の色ではなく、ツルの色らしい。
そうと分かれば、
この歌の情景は、解説に挨つまでもなく、
歌のとおりである。
子規は
見たままに描いたのだ。
実に、あっけない。
あっけないといえば、冒頭の句も同様である。
これは、実は病床での句であった。
「病気で寝たままでは外の景色がよく見えない。
わずかに障子の穴から空が見える。雪が降ってきた。
庭にはもうどのくらい雪が積もっただろうか。
看病の妹が来るたびに
何度も何度も雪の深さを尋ねたことだった」
思えば、子規は写生の人だった。
見たままに詠んだのだ。
あっけないが、
子規は雪が好きだったのだという。
それを思うと、
この句には改めて共感を覚える。
ところで、
高校時代、この句の解釈の番が私に回ってきた。
私は躊躇なく上掲の解釈を述べた。
揚々としたものである。
句の真意が皆に分かっていれば、失笑を買うところであった。
ところが、
教師、若い教師は
「いいなあ、ロマンがある」
と言った。
そして、一とおりの解説をした後、
「作品は一人歩きをする。
いったん発表すれば、作品は作者の手を離れ、
いわば一個の風景と化する。
解釈・鑑賞は読者に委ねられる」
というふうなことを言った。
「たづねけり」は実際は「尋ねけり」である。
子規はそう書いている。
だが、
私の中には「訪ねけり」の光景が今も生きている。
May 8 '01:木谷彩生
『生命とリズム』
(林英哲 『あしたの太鼓打ちへ』)
たまたま、林英哲さんの『あしたの太鼓打ちへ』を読む機会に恵まれた。
と言っても、その一節に触れただけなのだが、大いに触発され、思い出すことがあった。
その昔、二十代のころ、幼児教育に興味をもって、音楽や言葉について考えたことがあった。
童謡集や名曲集の制作を思い立ち、あれこれ聴いているうちに、音楽とは不思議なものだとい
う思いにとらわれた。いったい、あんなものはどこから生まれてくるのだろうと思ったのである。
この謎が解けなければ、おいそれと制作や出版はできない。
そこで、あれこれ読みあさり聞きかじって得た結論は、次のごときものだった。
「音楽は、リズム・メロディー・ハーモニーから成る。
リズムは心拍、メロディーは呼吸に発し、ハーモニーはそれらの身体全体における調和である」
リズムを雨だれに求める説もあり、調和を風のそよぎや水の流れ、
さらには宇宙との合一に求める説などもあった。
いずれも興味深く共感できるものであったが、実証性に欠ける憾みがあった。
そこで、音楽の普遍性を説くために、
「古今東西、いつの時代・いずれの地にも太鼓があり、あった」と、
太鼓という具体物を引き合いに出したこともあった。
林さんの太鼓の話には深さがある。以下に、出会った一節を紹介したい。
(Dec.25 '00 欅 次郎)
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太鼓の音を、多くの人がなつかしがって聞きますが、
実際に聞いた祭りの音というより、もっともっと遠い記憶の音をたどっているような気がします。
少なくとも、僕にとっては太鼓の音はそんな気がする音です。
演奏会場に連れられてきた子供が、太鼓の音でぐっすり眠ってしまうことが度々ありました。
むずかる子供は、母親に抱かれて心音を聞かせると、おとなしくなる、
という話も聞いたことがあります。
心音を拡大した音を聞くと、実際に太鼓のような低域の音なのです。
そういう音で、子供は安らかになります。
記憶のかなたで聞いた音は、胎内で聞いた母親の心音、「太鼓」の音だったのではないか、
ある日、突然のようにそう思いました。
そして、それは自分の親も、そのまた親も聞き、たどってゆけば、
そのまたずっとずっと先の、途方もないほど先の、
宇宙の中で生命が誕生する瞬間から今に至るまで一瞬も絶えることなく続いた音なのだ──、
そう気がついた時、僕は一種の戦慄のような思いに包まれました。
その一番端に、今、奇跡のように自分がいる、愕然とするような認識です。
宇宙での「生命」誕生の瞬間は、科学のこれほどの進歩を見た今日でさえ謎ですが、
その生命誕生以来、いのちの律動が連綿と続いてきて、現在、我々はここにいる──。
僕が太鼓を打つ仕事を続けてきたのは、考えてみればとても不思議なことですが、
自分にもどうにも説明のしようがないのです。
もちろん、嫌いなわけではないのですが、
「太鼓が好きで好きで」といった感覚とは、何か感じが違うような気がします。
「運命」というと、いささか大げさですが、
どうも何かにつき動かされているようにも感じます。
その手掛かりになったのが、鼓動の認識でした。
自分にはここまで続いてきた命の営みがある。
それが支えてくれているのではないか、という認識です。
そして、それはあなたも、あの人も、違う民族も、虫も、魚も、動物も、草や木も、
同じように、生命あるものとして生きている、すべてのものに宿っているのです。
「自然はいっぱいいて、たった一人のぼくを見ている。」
だれの言葉だったか忘れましたが、だれもがそういうたくさんの命に囲まれて生きているのです。
その幾億とも知れぬ命の、聞こえない律動が、今の私を生かしているのです。
太鼓の音は不思議です。わけのわからない衝動も引き出すし、
深く記憶の奥底まで連れてもいきます。
「生命」というものが何をたくらんでいるのか、その正体はとうていわかりませんが、
太鼓の音はその正体の一番近いところで、
我々に「命の本音」について語りかけているのかもしれません。
(林英哲『あしたの太鼓打ちへ』より ; ’93 晶文社刊)
第2回のテーマ
『言葉の力』
テーマの提案者より
○ 詩人の大岡信さんは同名の著書で、概略、次のように述べている。
言葉は話す人によって美しくもなり、そうでもなくなる。
それは、言葉は背後にそれを発する人間を背負っているからである。
それゆえに、ささやかな言葉の一つ一つにも大きな意味の実感されることがある。
○ 日本には「言霊」(ことだま)という言葉がある。
言葉には霊が宿ると思われていたようである。
『万葉集』には次の歌が見える。
「……そらみつ 倭(やまと)の国は……言霊の 幸(さき)はふ国と 語り継ぎ……」
(山上憶良)
「敷島の 倭の国は 言霊の 幸はふ国ぞ ま幸くありこそ」(柿本人麻呂)
この二人は万葉集の代表歌人、巨頭である。
言葉で苦労したであろうがゆえに、この二つの歌には重みがある。
○ これに対して、西洋文明の源流には「ロゴス(logos)」という言葉がある。
これはギリシア語で、その意味の核心は「真の言葉」である。
『新約聖書』には次の一節が見える。
「初めに言(ことば、logos)があった。言は神と共にあった。言は神であった」
(『ヨハネによる福音書』冒頭)。
これはさらに、万物は言葉から作られ、言葉の中に命があった、と続く。
○ とにかく、言葉には不思議な力があるようだ。
○ 「ペンは剣よりも強し」というのなども、言葉に力を見ている例であろう。
大岡さんのいう「ささやかな言葉の一つ」がもつ力にはどんなものがあるだろうか。
言葉に力を感じた事例をいろいろ知りたいと思う。
〈作文道場主)
◎ これに関連して、小・中学生の「言葉の力」についてのユニークな感想が寄せられています。
こちら へ
第1回のテーマ
『歌詞とメロディー』
テーマの提案者より
○ 「美空ひばりの偉大さは歌詞をはっきり歌っていたことにある」と、
どこかでだれかが言っていた。
いつまでも人気を保っていられたのは、声や節回しもさることながら、
歌詞によって人々を歌の世界に誘い込んでいたからなのだ、というのである。
「ガチャガチャうるさいばかりで、何を歌っているのかさっぱり分からない」という歌が多い中で、
アムラーやヒカルちゃんの歌はどうなのだろうか。
○ 「真っすぐ前を向いて、大きな声で、歌詞をはっきりと歌え!」と、
音楽の内申対策のために、生徒にこう助言している塾がある。
「そうすれば、音程が整う」というのである。
それについて、「お父さんがカラオケが好きなら聞いてみてごらん。
きっと、そうだと言うだろう」と。そして、こうも言う。
「腹の底から声を出して、しっかり歌えば、第一、気分がいい」と。
そこで、カラオケボックスに出かけて、そのとおりにやってみた。
もちろん、演歌である。確かに、歌いきれば気分はいい。
音程のほうも、こころなしか整ったような気がする。
だが、何より、小節(こぶし)を利かせて歌うのは頭の体操になる、
と思うのだが、どうだろうか、同好の皆さん。
○ 歌詞とメロディーがぴったり合った歌というのはあるのだろうか。
ある詩に対して作曲家がつくわけだが、その組み合わせはいろいろに考えられる。
取り合わせが悪ければ、詩か曲のどちらかが不幸になりかねない。
作詞家の永六輔さんは「『こんにちは、赤ちゃん』や『上を向いて歩こう』などがヒットした
のは八大の曲がいいからだ」と言っている。
これに対して、中村八大さんが「下手な詩には曲をつける気にならない」
と言ったかどうかは知るところではないが、詩と曲には相性というものがあるであろう。
これについて思い出すのは、「いい歌は鼻歌となる」という言葉である。
いい歌の要件とはこんなものであろう。
何か心に感じるものがなければ歌が勝手に鼻から、あるいは、
口をついて出ることはないだろうからである。
その鼻歌はハミングであるかもしれない。
しかし、もし「ターンタカタン・ターカタン・……」というメロディーに、
「こーんにちは・あーかちゃん・……」
という言葉が乗って出てくれば、それはいい歌なのである。
永さんは謙遜するには及ばない。
歌詞とメロディーが合っているかどうか、
詩と曲との取り合わせに必然性があるかどうかは、
どれだけ多くの人の鼻歌になっているかということにかかっているのではないか。
どうだろうか。
秋田礼二(予備校講師)
「歌詞とメロディー」の愛読者の皆さんへ
△ 秋田さんの話を読んだ直後の、先月、9月の下旬、
歌詞とメロディーがよく合っているこ とで評判の作曲家がテレビに出ているのを見ました。
名を桜井映子さんといい、コマーシャルの世界で売れっ子なのだそうです。
そのとき、ふと、これは時代を画する出来事ではないか、
彼女の手になる曲は古典と化すのではないかと思ったので、
そのときに見聞したことをご紹介しがてら、皆さんのご意見を伺いたいと思います。
♪ ハトムギ、ゲンマイ、ツキミソー、…、ソーケンビチャ。
♪ シャンプーを、シマセンかー、……
これらの言葉を目にすると、メロディーがいっしょに口をついて出てくるという人がけっこ
う多いのではないかと思います。
「何のこっちゃ」と言う人は、ふだんテレビをあまり見ていない人でしょう。
桜井さんによると、曲は、話すイントネーションに合わせてつけるのだそうです。
例えば、「シャンプー」の歌の場合、
「…しませんか」というとき、ふつうは「か」を上げて言い、
あとの4音の中では「ん」が下がる。
そうすると、相対的に高くなるのは「せ」であり「ま」である。
そこで、「シャンプーを」を、「ソーミレド」(ハ長調)とすると、
続いて「しませんか」は、自然に「ドミミレファ」となる、というのです。
こんなふうに聞くと、この歌詞には必然的にこの曲が付く、という気になります。
「爽健美茶」の歌についても、単語の羅列を一連の歌詞と考えると、
この歌詞にはこの曲しかないという気になってきます。
ちなみに、次の歌も桜井さんの作曲なのだそうです。
♪ ママはマツモトキヨシでオカイモノ、ママはマツモトキヨシでワスレモノ、
またぁ、…、イイモノヤスクウッテイルから、マツモトキヨシ
秋田さんによると、鼻歌の度合いが高まれば高まるほどいい歌ということになるわけですが、
桜井さんの曲のように、それが話すイントネーションと合っているとすると、
当然、鼻歌にもなって出てくるでしょう。
実際、シャワーを浴びようと思うと、私はいつのまにか、「シャンプーを……」と口ずさんでいます。
桜井さんが売れっ子であるというのは、
こんな人が多いと考えてもよいでしょう。
ところで、多くの人に親しまれているとなると、
これは明治・大正期に作られた唱歌や童謡と同じようなものではないか、
もし、そうであるなら、それらが「日本の歌」として歌い継がれ、古典になりつつあるように、
桜井さんの曲も古典と化してゆくのではないかと、ふと思ったのです。
桜井映子さんのコマーシャルソングは果たして古典になるのでしょうか。
(京都市、K大3回生、M.H.)
京都のM.H.さんへ
桜井映子さんのコマーシャルソングについて。
ここに書かれている範囲のことに限っていえば、
これらの歌は、まず古典になることはないでしょう。
それは歌詞に力がないからです。
歌い継がれていくには、歌詞もよくなければならないと思うのですが、
いかがでしょうか。
秋田礼二
新時代のユニークな投稿作品もあります。「悠遊館」へどうぞ。→「悠遊3」へ
言葉の問題を継続的に考えていこうと思います。
テーマをご提案ください。