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作文ワールド Ⅷ エトセトラ (いろいろな作文) — その2— も く じ |
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1 | 「片づけ」 | 中1 涼夏さん | 2 | 「ギロッ!」 | 中3 花歩さん |
3 | 「新・寝太郎物語」 | 中3 沙耶さん | 4 | 「いちごがり」 | 小6 蛍さん |
5 | 「抜歯」 | 中3 花歩さん | 6 | 「虫」 | 中3 沙耶さん |
7 | 「トランポリン」 | 小6 隼斗くん | 8 | 「ヒゲせん人」 | 小4 雄翔くん |
9 | 「ウサギ島」 | 小5 斗真くん | 10 | 「デカンショ祭」 | 小4 令於くん |
11 | 「お年玉」 | 中1 涼夏さん | 12 | 「庭」 | 小6 捷士くん |
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作文ワールドⅠ(原点) 作文ワールドⅡ(1人1人の作文)
「Ⅲ社会科作文」−その1 −その2 −その3 Ⅳ(理科作文) 私が
Ⅴ(スポーツ作文) Ⅵ(七五の四行詩) Ⅶ(図工作文) Ⅸ(家庭科作文)
Ⅹ(作文のこころ)
「東日本大震災」の作文・第1部 第2部・第3部
作文打出の小づち
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1.「片づけ」(中1 小林 涼夏)
短編小説のような作文を紹介しよう。
添削例・諸注意 | |
5年生の夏休み前の頃、教室で友だちと話しながら、朝の準備をしていた。その友だちは声が大きく、アクションが大きい女の子だ。その子が机の引き出しを開けた。その瞬間、「ギャー、いやっ、ゴキブリだー」とさけんだ。引き出しからゴキブリが飛んで出てきたのだ。その声の大きさに皆びっくりした。となりのクラスの人までが見に来てしまった。皆、その子の引き出しを見て、おどろいていた。「きたな!」と声をもらしている人もいた。口の悪い人は、「このきたなさは、だれもまねできない」と言っていた。その子は、この事件を機に、引き出しをきれいにするようになった。 その1か月後には、クラスの中で引き出しが一番きれいになっていた。しかし、引き出しの中に入っていたものは、机の横にかけてある手提げの中につめこまれているだけだった。私はそれを知って、中休みにその子と片づけをすることにした。手提げの中がすっかりきれいになり、その子に「助かった」とお礼を言われた。ところが、1週間後には引き出しの中は元にもどっていた。それからは毎日注意して、今ではきれいにたもっている。 私も家の机の上がすごくきたない。勉強できないほどだ。しかし、私は友だちの出来事があって、自分もがんばろうと思って、机の上を片づけている。今はすごくきれいだ。これからも片づけをし、気持ちよく勉強できるように心がけたい。 |
横光利一(川端康成と同時代の作家)に「機械」という短編がある。
この作文はどことなく、それに似ている。
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2.「ギロッ!」 (中3 宮尾 花歩)
花歩さんは瞳が大きい。
添削例・諸注意 | |
私は学校へ行く時、電車を利用しています。朝の電車にはたくさんの人が乗っています。汗をかきまくっている男性や、ひたすらスマホを使っている女性がいます。そんな中、私はある少女とのことを今でも覚えています。 その少女は私より1~2歳年上に見えました。パンを食べながらスマホの画面をじぃ~っと見ていました。それを見ていると、私はその子と目が合い、ギロッとにらまれました。その日、私は機嫌が悪く、にらまれた仕返しに私もにらみました。すると、私はその子からにらまれたので、私もまたにらみました。このアホのようなことは、私が電車を降りるまで続きました。降りる時、私はギロッとにらまれました。とてもむかむかしました。けれど、電車から降りたらにらみ返すことができません。その時、私の頭の中にアイディアが思い浮かびました。私は発車寸前の電車の方向をチラッと見て、窓越しにその少女をにらみ返し、それ以上にらまれないよう、すぐに目をそらしました。電車が遠ざかると、気持ちがとてもすっきりしました。 今考えると、とてもバカなことをしていたと思います。これからは、にらまれてもスルーすることにしようと思いました。 |
添削例・諸注意 | |
私のクラスには、授業中でも休み時間でもずっと寝ている人がいます。 始業式の後、3年生になって初めての学年集会がありました。私はふだん学年集会ではほとんど寝ているのですが、学年の始めの集会は大事なものらしく、先生が寝ている人がいないか見張っていたので、この時は起きていようと思いました。退屈なので、周りをきょろきょろ見回していたら、クラスの男の子が寝ていて、先生に注意されていました。説教が終わって、反省していると思いきや、その子はまた寝始めました。それに気づいた先生はまた説教しに行きましたが、説教が終わると、また寝てしまいました。起こして、寝てを数回繰り返して、先生があきらめてしまいました。 私はそれを見て、とても驚きましたが、その男の子に感心しました。私はその子のように、何度注意されてもめげない精神力をつけたいと思いました。「三年寝太郎」という物語があるそうですが、その子は現代の寝太郎といった感じです。 |
添削例・諸注意 | |
2月の中ごろ、父と母と弟、それに友達の幸子さん、デイヴさんと、近所のいちご農園へ行きました。友だちとはいちご農園で待ち合わせました。10時ごろに、2人はもう来ていました。 その日は、雲一つない快晴で、空気はひんやりしていました。係の人が来て、ビニールハウスへ案内してくれました。係の人は、「最近は天気が良いから、いちごもぎょうさん取れまんで」と言いました。「いちごがぎょうさん」と聞いて、とてもうれしくなりました。 ビニールハウスの中に入ると、1メートルぐらいの高さの台が10列並び、まだ緑のいちごや、真っ赤ないちごがぶら下がっていました。大きいのや小さいのもありました。私たちはさっそくはさみでいちごを取り始めました。食べてみると、今まで食べた中で一番おいしい気がしました。 大人たちは、いちごを20個くらい食べていました。弟と私は30個くらい食べました。私は、朝ご飯を食べていなかったら、もっとたくさん食べられたのになあと思いました。 いちごでおなかがいっぱいになったころ、みんなで写真をとりました。幸子さんがとってくれました。係の人が、頭につけるいちごの形のかぶり物を貸してくれました。父が、真っ赤なかわいいいちごのかぶり物をかぶると、まるで父のために作られたように、頭にぴったりとはまったので、とてもおもしろかったです。 3日ほどして、幸子さんから写真が送られてきました。写真を見ると、私と弟がいちごのかぶり物をしている横で、父だけがトマトのかぶり物をしていることに気がつき、おかしくて、母もいっしょにみんな笑いだしてしまいました。 |
添削例・諸注意 | |
3月の初めごろ、私は歯を2本抜いた。左右の耳の後ろの歯だ。私はこれまでの人生で、歯についてはいろいろな経験をしてきた。前歯は3本を除いて、全て兄2人のせいでとれた。けんかをしている時にとれたり、蹴られてとれたりした。小さい頃はお互いに暴力が激しかったため、歯が何本も抜けた。今思うと、乳歯が簡単にとれたので、歯医者に行くよりはよかったのではないかと思っている。 私は歯医者がとても嫌いだ。待合室に「キーン」というドリルの音が聞こえてくると、自分の歯を想像して、冷や汗が出る。先日行った歯医者でも、その音が待合室に聞こえてきた時は体が固まった。名前を呼ばれ、緊張しながら入って、椅子に座った。先生が入ってきて、今日は何を行うのか説明してくれた。けれど、その時はもうドキドキしていて、話が耳に入らなかった。恐怖心でいっぱいの時、視界に恐ろしいものが見えた。麻酔の注射器だ。それを見た時は、恐怖が極まった。「やめて!」と叫びたい気持ちを抑えて、その注射器を凝視した。先生に、痛いか尋ねてみると、「チクッとするだけで痛くない」と言った。けれど、注射針が歯ぐきにささった時、先生の言葉を信じるべきだはなかったと後悔した。チクッではなく、グサッとした痛みだった。まだ乳歯は本残っているが、もう2度と歯医者で抜いてもらいたくはない。 祖父の話によると、子どもの頃は山奥の村に住んでいて、近くに歯医者がなかったので、子どもたちは歯がぐらぐらしだすと、歯を釣り糸で結んで、糸の片方を手首に巻いて寝たそうだ。すると、朝になったら歯が抜けていたという。痛くもなんともなかったそうだ。今度はこれを試してみようと思う。 |
◯ すさまじいねぇ。 ← 視界に恐ろしいものが入ってきた。 |
添削例・諸注意 | |
私は山に行かない。虫が多いというイメージが強いからだ。小学生の修学旅行で八ヶ岳へ行った時、ハイキングで山に登った。山に登るのは初めてだったので、友だちとずっと楽しみにしていた。 八ヶ岳に着いた時、最初に目に入ったのは、何もない、きれいな草むらだった。東京にはない景色にテンションが上がって、私は友だちといきなり草むらへ走り出した。すると、草むらにひそんでいた虫たちがびっくりしたように、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。私はびっくりして、バスへダッシュして戻った。その時点で私のテンションは、だ・だ・だっと下がった。そんな私に追い打ちをかけてきたのが、次の日のハイキングだった。歩いて行くと、林の中は地獄のようだった。見たこともない虫が木に止まっていたり、飛んでいたり、いたる所に虫がいた。私はこの虫地獄から抜け出そうと、全速力で宿へ戻った。さすがに宿には虫はいないだろうと思って安心していると、部屋の片すみで、どぎつい赤色の虫がこっちを見ていた。私はぞっとした。同時に、この虫地獄から抜け出すことは不可能だと観念した。 それ以来、私は虫が嫌いになった。しかし、山には行きたいという気持ちはある。頂上からの雄大な景色の写真を見たからだ。そこで、どうしたら虫から逃れられるか、悩んでいると、私はインターネットで素晴らしいものを見つけた。それは、虫を通さないネット状の全身ウェアだ。詳しく調べてみると、それは夏でも使える通気性のよいもので、顔の部分もメッシュになっているので、視界も悪くないようだ。私は「これだ!」と思った。これなら、虫を気にせず山を堪能できるだろう。 私は虫なんかに負けず、好きなことがしたい。今度はこの全身スーツを購入して山に行き、山の魅力を探したい。 |
←※ この虫たちはバッタだったのだろうけどね。 ←※ これは危険なクモだったかもしれない。 |
添削例・諸注意 | |
クリスマスプレゼントに、ぼくたち兄弟はトランポリンをもらった。このトランポリンは円くて、直径が1メートルぐらいで、周りが緑、中が黒だ。 このトランポリンは居間に置いた。ぼくはそのそばを通るとき、3回ほど跳んでいく。ひまなときも跳ぶ。考えるときも、だれかを待つときも跳ぶ。跳びながら待つ。上の弟は、ステージの代わりにして、歌いながら跳んでいる。下の弟は、跳ぶほかに、いすにしたり、ベッドにしたりしている。お母さんも跳ぶ。部屋に入ってくると、必ず跳びのって、2,3回跳んで通る。 トランポリンは家の中の運動にもなるので、最高のプレゼントだ。サンタさんはいいものをくれたものだ。 |
添削例・諸注意 | |
ぼくは、作文道場の先生が5月20日にテレビに出ると聞きました。だけど、なんのテレビかわからないので、お父さんに調べてもらうと、「モヤモヤさまぁ~ず」に出ることがわかりました。ぼくは先生がテレビに出るところをはじめて見るので、楽しみでした。 番組が始まると、いつも通っている作文道場の通りに来て、さまぁ~ずの人が「ピンポ~ン」をおすと、いつもの道場の庭の入口から先生が出てきました。テレビに出るので、かっこいい服を着ていると思っていたら、いつもの服だったので、何となくわらってしまいました。それと、さまぁ~ずの人にヒゲをさわられていたところがおもしろかったです。 ぼくは「モヤモヤさまぁ~ず」で、道場の先生が出るところをはじめて見たし、「さまあ~ず」の人たちもおもしろかったです。 |
※ 服は作務衣(さむえ)の上着だったのだね。 |
添削例・諸注意 | |
ぼくは夏休みの旅行で、家族と広島県のウサギ島に行きました。 船でうさぎ島に行って、船着き場に降りると、たくさんのウサギがいました。野生のウサギだけれど、えさをやると、おとなしく食べてくれました。食べている時は、さわってもおとなしくしていました。島の中を歩いていると、視界に必ず1ぴきはウサギがいました。日なたでは暑いので、ウサギはみんな日かげに入っていました。お昼ごはんを食べている時も、すぐ近くにウサギがいたので、心がなごみました。 えさを食べてくれるウサギをさがしていると、3回も穴にはまりました。その穴にはウサギのふんがたくさん入っていました。ウサギは穴をほって、そこでふんをすることがわかりました。 ウサギ島のウサギはとてもかわいいので、えさを持ってまた行きたくなりました。 |
※ ウサギは1把(わ)、2把、……と、数えるのだそうだ。 |
添削例・諸注意 | |
8月15、16日、篠山では「デカンショ祭」があります。デカンショ祭は日本遺産です。櫓(やぐら)は篠山城の三の丸跡の広場に立てられます。西側には「夜店街」があり、屋台がならんでいます。ぼくは友だちのれん君と行きました。2日とも行きました。 1日目は午後3時に行きました。自転車をとめて、櫓のまわりを少しだけ歩いて、夜店街に行き、あとで買うものを決めました。5時になると、ぼんおどりが始まりました。「デカンショ~、デカンショ~ォで、半年くらす、ア、ヨイヨイ、あとの半年ァ、ねてくらす、ア、ヨ~イヨ~イ、デッカンショ」という歌が聞こえてきました。おどりのまわりを歩いていると、6時のなっていました。ジュースとやきそばを買いました。ぼんおどりを見ながら、やきそばを少し食べ、いったん家にもどりました。 8時前に櫓の前にもどってきて、お城のほうを見ました。すると、ヒュー、バンという音がしました。一発目の花火の打ち上げでした。それが見えなくなると、どんどん花火が打ち上がりました。大きな花火や小さな花火、打ち上がって数秒点めつするもの、色が変わっていくもの、近くの小学校の屋根の上でばくはつするものなど、いろいろな花火がありました。花火は小学校の運動場から打ち上げています。30分ほど花火は続きました。1回目最後の花火が打ち上がって消えると、会場にいた人がほとんど帰り始めました。2回目もありますが、もう遅い時間だったので、家で見ることにしました。帰り道は花火くさかったです。耳のおくで花火の音がまだひびいていました。 2日目は1時にデカンショ祭の会場に行きました。会場では、祭に初めて来た人のために、おどり方の説明をしていました。「ひと~つ、ふた~つ、みっつ、よっつ、1・2・3であげて、ちょん、ちょん、ちょん」と、デカンショ節に合わせて、歌うように説明していました。ぼくたちは5時まで夜店街を歩き回っていました。 5時に会場にもどろうとしたとき、会場からデカンショの歌と音楽が聞こえてきました。ぼくはれん君と急いで会場にかけつけました。その時は、篠山の小学校の子供たちがみんなでおどる「デカンショ競演会」が始まる時間だったからです。ぼくとれん君は不参加だったけど、ぼくたちの小学校は準優勝しました。雨が強まってきたので、いったん家に帰りました。 花火が始まる1時間ぐらい前に雨が止んだので、会場へ行きました。花火は昨日より数も種類も増えて、空がにぎやかできれいでした。 |
◎ 花火の種類がいろいろ書いてあるので、とても楽しい。 ◎ 鼻も耳もよく働いているね。 |
添削例・諸注意 | |
私は今年、いつもよりたくさんたくさんお年玉をもらった。それは、今年の元日にたくさんのお客さんが家に来たからだ。おばあちゃんの兄弟は2人も来た。その2人はこれまでも、会えばたくさんほめてくれるし、おもちゃも買ってくれた。だから、おねだりをして、おばあちゃんたちを困らせることがあった。今はもうおねだりをしていない。だからか、反対にたくさんお年玉をくれる。 2年生の時、初めてお金の価値を知った。お金があれば、ほしいものが買えるということが分かったのだ。だから、お金がほしくてほしくてたまらなかった。家族だけでなく、親せきの人にも電話をし、おねだりした。何てずうずうしい子なんだろうと思ったことだろう。その後、その人たちに会うと、今でも謝っている。 3年生では、おねだりすることが悪いことだと知り、誰にもねだらず、くれても「だいじょうぶです」と答えていた。そしたら、みんな「えらい!」と言い、かえってたくさんくれた。このことから、お年玉は、おねだりせず、「いりません」というと、たくさんくれるということを知った。 4年生からは、それが効かなくなってしまった。「いりません」と言うと、くれなくなってしまったのだ。残念な気がしたが、それが当たり前なのだろうなと思った。5年生の時も同じ調子だったが、6年生になって、少しよくなった。受験があったからだ。お祝いとお年玉がいっしょだった。 来年はたくさんもらえないかもしれないけど、その時はその次の年を信じていきたいと思う。 |
添削例・諸注意 | |
2月の終わりごろ、ぼくたち家族は庭に石をしいて、石庭みたいにしました。 最初に、庭に草が生えてこないように、庭全体に防水シートをしきました。次に、近くのホームセンターに行って、砂利を110袋買いました。ぼくたちはそれを30袋ずつ車に積んで運びました。4往復で運び終わりました。お昼ごはんを食べた後、砂利を袋から出して、防水シートの上に広げました。そのあと、あらかじめ買っておいた飛び石を置きました。 この庭のいいところは、雑草が生えてこないということです。前の家では、年に2回家族で草むしりをしていましたが、この家ではそんなことをしなくてすみます。この家の悪いところは、上ばきで歩くと、砂利がくつにはさまってしまうことです。前の家では庭が土だったので、くつに石がはさまらなかったのですが、今度はくつの底から石をはずすのに苦労します。 それはともかく、父はこの庭を眺めていると、心が落ち着くと言います。そこで、ぼくが庭を眺めていると、母に「そんなことをしていないで、勉強しなさい」と言われます。 |
※ ここに言う「石庭」は、京都の龍安寺の石庭をイメージしている。 ←○ 相当広い庭なのだね。 |
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