モミジの若葉

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公務員試験の小論文

(コミュニティー)
① 「地方の反乱」

② 「ボランティア活動」

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作文打出の小づち
総もくじ
作文編  国語編  小論文編  閑 話

① 「地方の反乱」

(横浜市 : 時間120分、字数1500字程度)

< 解答例 >

 「地方の時代」がようやくやってきた。平成7年5月に「地方分権推進法」が成立し、推進委員会の審議と数次の勧告を経て、平成10年末現在、一、二年のうちには分権が実施に移される運びとなっている。その内容の最も大きな特徴は国と地方自治体が対等の立場に立つこと、つまり、都道府県や市町村は国の下部機関ではなくなることである。この背後には知事等、地方政治家の努力もあったであろう。その点では「反乱」は功を奏したといえる。しかし、実情は政府の制度疲労からくるものであり、必ずしも自治体の積極的な働きかけの成果であるとは言い難い。多くの自治体の姿勢は多分に受け身である。これは、「分権」という言葉自体にも「上意下達」の観があるように、長い歴史のなせるところであろう。それはともかく、自治体の権限が増大するということは、本来あるべき所にそれが戻ることであろう。そこで、権限の移行の当否を、古代の賢人の知恵も借りて、検討してみたい。
 「人間は社会的動物である」といわれる。その原義は「自然にポリスに生きる者」である。ポリスは「都市国家」と訳されているが、その本質は「共同体」であり、「自治の組織」である。また、「自然」とは「本性」であり、「必然」である。つまり、人間は本性上共同体を形成し、その中で生きるのである。したがって、人間を「社会的動物」と呼ぶよりも、「共同体的動物」と呼ぶほうが原義に近い。この共同体の目的は「善き生」の実現であり、これは統治組織をもったポリス、すなわち国家において最大限に実現される。ただし、この賢人によれば、このためのポリスの理想の規模は「成員が互いに顔見知りである程度」である。統治形態については「治者・被治者の交代制」が望ましいとされる。
 これを現代日本に当てはめれば、田舎の町の民主主義というところであろう。大切なのはこの点である。元来、集落は川のほとりなど、水のあるところに発達した。集落は共同体の原初形態である。ところが、特に肥沃な土地の集落は武力によって他者の統治下に置かれることになった。現在の都道府県の境界線は江戸時代の藩政の名残である。明治以来、政府はこの境界線ないしは枠組みを利用し、権限を市町村にまで及ぼしてきた。このため、市町村の行政上の権限は予算面から見て三〜四割程度でしかなかった。自治体とは名ばかりである。ところで、現在の市町村の元をたどれば集落に行き着く。歴史的には、それが集まって村となり、町となり、市となった。市の生成については、町村合併の報道などによって今も我々が見聞するところである。そこには住民の何らかの意思が看取される。つまり、市町村は住民の何らかの必要に応じて枠を広げてきたのである。したがって、市町村は自然発生的な共同体であり、「住民は自然に自治体に生きる者である」といえる。
 自治体、つまり、市・町・村という共同体は人間の本性に基づくものである以上、政治はこれを基盤として行われなければならない。そこに自給自足のできる完結性があるなら独立すればよい。不足するところがあるなら、他と合併するなり、提携関係を結ぶなりすればよい。行政組織は必要に応じて広げられるべきである。例えば、河川は流域の自治体が広域行政体を組織
して管理するとか、防衛と外交は国家を組織して行うとかであ。そして、権限はこれに伴ってそれぞれの組織に与えられるべきなのである。これまで権力の作用する方向は逆であった。それゆえに、「分権」に甘んじることなく、自治体、特に市町村はいったんは権力の100%の収束を図らなければならない。それが成就するまで地方は反乱を続けるべきである。

社会主義体制の崩壊に伴って見られるように、
世界は民族国家に分裂しています。
これは共同体への回帰現象とも見られます。

「古代の賢人」というのはアリストテレスのことです。


 「ボランティア活動」

(国家Ⅱ種 : 時間60分、字数制限なし)

< 問 題 >
 平成5年に総理府は、15歳以上の男女300人を対象に「生涯学習とボランティア」に対する世論調査を行った。それによると、
 a. ボランティア活動に対する金銭の受け取りについては、
  ・交通費、食費などの実費は受け取ってもよい   ……… 41.5%
  ・実費のほか若干の謝礼は受け取ってもよい    ……… 10.1%
  ・活動の対価としての報酬を受けてもよい     ………  5.1%
  ・無償が原則であり、実費や謝礼は受け取るべきではない……… 29.2%
 b. ボランティア活動をした人を社会的に評価することについては、
  ・積極的に行うことが望ましい          ……… 16.6%
  ・何らかの形で行ってもよい           ……… 50.1%
  ・行うべきではない               ……… 21.2%
というような回答結果になっている。

 そこで、① ボランティア活動とは何か、簡単に説明しなさい。
     ② 上の調査結果からどのようなことが分かるか、
また、
     ③ わが国における将来のボランティア活動はどうあるべきか、
について述べなさい。

< 解答例 >
自らの意志で見返りを期待しないで行う奉仕活動。
 まず、両極端について見てみると、「金銭の受け取り」については、『報酬を受けてもよい』が約5%であるのに対し、『無償であるべきだ』というのが約30%で、「評価」については、『積極的に行う』が約15%であるのに対し、『行うべきでない』というのが約20%になっている。このことから、ボランティア活動については本来の精神に立つ考え方が優位にあることが分かる。
 次に、全体の傾向について見てみると、「金銭」については、『受け取ってもよい』が過半の約55%で、「評価」については、『行ってもよい』が約三分のにの67%になっている。このことからは、全体としては適度の範囲で援助をし評価もするのがよいと考えているものと判断される。
 結論として、本来のボランティア精神を重んじる人がいることを踏まえた上で、世論は適度の援助と評価をするのがよいと考えている、と読み取るのが妥当であろう。
 総人口に占める65歳以上の人口が14%を超えると高齢社会と呼ばれるが、わが国では1990年で既に12%に達し、2025年には25%になると予想されている。このような社会では財政問題、道路や公共施設の社会資本の整備もさることながら、高齢者に対してさまざまな対策を要する。寝たきり老人の介護は家族でも一人では困難である。また、一人暮らしのの老人には手助けのほか随時の訪問も必要であろう。対策としては老人ホームの増設も考えられるが、多くの高齢者は自分の家で暮らしたいようである。このため、現時点でも、「ホームヘルパー」制度の確立が強く求められている。しかし、専従ヘルパーの増員には財政上の問題があって、おいそれとは推進できない。そこで期待されるのがボランティアの活動である。従来、日本人はボランティア精神に欠けると言われていたが、阪神大震災の折の多くの人々の活動には目を見張るものがあった。ボランティア精神の持ち主が姿を現したのである。この事例からして、人員のうえでは潜在力が期待できる。ただし、活動を要請する側が「ただ働き」を当てにすることはできない。しかし、幸いなことに、上の調査結果によれば、世論は適度の謝礼をもって協力要請は可としていると解される。
 阪神大震災の教訓の一つは、ボランティア活動の意志をもちながら、どこで何をすればよいか分からないでいる人が多いということが分かったことであった。超高齢社会を考えるとき、差し当たってわれわれのなすべきことは、「ボランティア活動の需給に関するインフォメーションセンター」を各地に設立することであろう。

資料を読んで考えを述べる問題で大切なのは、
「読み取り」です。
それがきちんとできれば、
意見はけっこう出てくるものです。


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