トチの花

作文 打出の小づち

ここは「道場日記抄」からの抜粋のページです。
一振りすると、何かいいものが出てきます。
作文編

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 も く じ
項 目 掲載年月日   項 目 掲載年月日
 1 作文のこころ Mar.4 '07  2 作文の素質 Nov.11 '07
 3 作文の材料探し Oct.7 '04  4 書き方指南 May 20 '10
 5 作文みるみる上達記 Dec.7 '99  6 授業見学 May 12 '04
 7 鳥観図1(トトロの森) Jul.1 '08  8 鳥観図2(吉野ケ里) Jul.15 '08
 9 春の声・母の声 Feb.11 '10 10 作文と証明問題 Mar.18 '07
11 「やる」と「する」 Sep.16 '10 12 「ぬかす」、「なので」

Oct.7 '13

13 七五の四行詩 Sep.25 '05 14 部活の作文 Aug.5 '04
15 スポーツ少年と作文 Jun.9 '05 16 読書少年 Nov.11 '04
17 コンクール作文 Sep.2 '10 18 長期の大作 Apr.22 '13
19 模擬問題づくり Dec.1 '11 20 演習プログラム Feb.28 '13
21 名文 Feb.24 '11 22 職業講話  Sep.25 '03 
23 新傾向の入試問題 Jan.28 '04 24 中高一貫校の作文 Oct.8 '06
25 旅便り(社会科作文) Jul.28 '04

※ '12、'13年についてはこちらへ。

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小学生の作文と国語  中学生の作文と国語  高校生の国語

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打ち出の小づち−総もくじ; 国語編; 小論文編; 閑話




1.作文のこころ
補遺・補足

Mar.4 '07 < 作文のこころ >

 恒例の合格祝賀会が終わると、カリキュラムは新年度に切り換わる。今年度の新しい試みは公立中高一貫校入試の「適性検査問題の検討講座」である。

 俊ちゃんがさっそく意欲を見せたので、1日から始めることにした。俊ちゃんの目標は武蔵野地区の一貫校(都立武蔵高校付属中)である。

 本来この講座は作文を補完すべく、教科総合問題を検討するために設けたものであるが、この日は彩ちゃん、恵ちゃんの作文の時間だったので、いっしょに同校の作文問題を検討することにした。

 この問題はA,B二つの文章を読んで設問に答える形で、「問題一」はA,Bそれぞれの内容に見出しをつける、となっている。
 3人で解答を出し合って話しているうちに、「解答例」よりもふさわしいと思われる見出しができた。

 「問題二」は、見出しに関連する体験を書く、となっている。それを宿題にして検討会を終えようとするころ、彩ちゃんのお母さんが迎えに見えた。

 彩ちゃんはもう一つの課題についてのメモを作り終えるところだったので、上がってもらって武蔵中の問題文を渡すと、「これを体験として書けばよいのですね」。「そうです」。

 彩ちゃんは2年余り作文を書いているから、体験をまとめるのに困難はない。お母さんは続けて「大切なのは『事実を正確に書くこと』、ですね」「そのとおりです」。

 「事実を正確に」というのは、当道場の指導の根幹である。いかなる考えも判断も、事実に基づかない限り説得力をもたない。また、それを正確に伝えてこそ、相手の納得も共感も得られる。これは作文において心得るべき基本であり、いわば「作文のこころ」なのである。


Jun.17 '10 〔 作文の心 〕
 2つの話が長くなってしまったので、「作文の心」については他日を期すことにするが、これは、簡単にいえば、小4の涼ちゃんが学校で、「楽しかった中味を具体的に書いてある」とほめられた話である。


※ 日記の内容は、中略をするなどして簡略化してあるが、肝心の「作文のこころ」は末尾に添えられている程度である。
 その次の日記も同様である。

 さっそく補足が必要となる。
 こちらへ。

































※ 「2つの話」というのは「バラの観賞}と「ツバメの誕生」のこと。


作文の基本
○ 作文は分かりやすいものでものでなければならない。
 (文字・言葉・文章というのは、人に何かを伝えるためにある)。

○ 分かりやすくするためには、何が大事か、必要か。
  それは、読む人を思いやる気持ちである。

○ そのためには「具体的に」、また、「事実を正確に」書く必要がある。
   それによって、読む人にはイメージが浮かび、理解しやすくなる。

◎ 「作文のこころ」とは、読む人に対する「思いやりの心」である。

書き方の基本
○ 「こんなことがあった」→「それについて、こう思う」
  体験や見聞をありのままに書き、それに感想なり意見なりを添える。

  あるいは、
○ 「いつ、どこで、何があったか」→「それがどうであったか」
  全体の案内(鳥観)をしておいて、「何」にあたることがらを具体的に書く。


◎ 具体例は「作文ワールド」のそれぞれの作文へ。こちらへ。

○ ようやく念願がかなって、「作文のこころ」のサイトを設けることになった。
   こちらへ

ついでながら、「読む人に対する思いやり」は、
文章を書く人、公表する人が心がけなければならないことである。
これは特に、大学教育に携わる人々(特に若手)に求められる。
参考までに、小論文編の「日本語のリズム」参照。こちらへ。


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かなり長い話なので、小見出しを付けて、3つに分けよう。


2.作文の素質(1)(2)(3)
(1)素質はだれにもある。 補遺・補足
Nov.11〜25 '07

 「うちの子は作文が苦手で、……」
 訪ねておいでのお母さん方はどなたもこうおっしゃる。それに対する返事は「だれでもそうですよ。むしろ、得意な子はほとんどいないと言ってよいでしょう」となる。それは、学校では小学3年生を過ぎると、作文を書くことはあまりないためであるが、実際、文章を書くとなると、大人でも苦労するのである。

 では、得意になる方法は、となると、要は書き慣れること、つまり、練習することである。ところが、多くの諸君が困っているのは何をどう書いてよいか分からないということである。
 そこで、当道場では初めに、おもしろかったことや楽しかったことの「あんなこと、こんなこと」をメモ形式で書き出してもらう。

 そのメモは「いつ、どこで、何があったか」で、作文ではその何について「それがどうであったか」を具体的に書いていくことになる。書き方のパターンをこのようにしておけば、何をどう書けばよいのかという第一の難題は解決する。あとは状況をありのままに書いていけばよいのである。

 とは言うものの、言うは易く行うは難し。難題は続く。「具体的に書く」「事実を正確に」「主語・述語を整えて」等々。ただ、これらを具体例によって語れば、一巻を要する。そこで、これらについては取りあえず「作文ワールド」「答案百花」の添削例をもって説明に代え、先へ進もう。

 とにかく、練習によって生徒諸君は書き慣れていく。ただし、ここで注意しておかなければならないのは、人によって遅速の差があるということである。そこで、もう一つ注意したいのは、筆が進み始めるまでは周りの者、特にお母さんには我慢が要るということである。
 中には「うちの子は作文には向かない」と言って、あきらめてしまう人がいる。問題はこれである。

 「〜に向く・向かない」というのを、例えばスポーツにおいてみてみると、「野球に向く」とか「サッカーに向かない」とかはよく耳にする。仮に、向かないと思っても、練習を続けていさえすれば、ひととおりのことはできるようになる。それは、1年前を振り返れば実感できるであろうし、入りたての子と比べれば差が歴然としているのgs分かるであろう。要するに、練習を続けさえすれば、だれでもできるようになる。つまり、素質ははあるのだ。


(2)プロとアマ 補遺・補足

 素質はだれにもあるのは間違いない。ただし、野球にせよサッカーにせよ、そこにプロ選手をもってくるなら、話は別である。
 スポーツであれ、他の分野の何であれ、プロには一般の人とは違った何かがあるようだ。

 話は少しそれるが、プロとアマの違いは何かを探ってみると、これを、例えば将棋においては「ロマンだ」と言った人がいる。いわく言いがたいところを言葉にすれば、こういうことになろう。けだし、名言である。

 このようなロマンの有る無しを尺度に、文章の世界でプロを考えてみると、それは言うまでもなく詩人や小説家であろう。ところが、作文を習おうとする者は必ずしもプロを目指しているわけではない。
 プロの能力を素質というなら、一般人にそのような素質はない。しかし、文章を書く素質あるのだ。

 少し深入りしてしまったようだ。話を元に戻そう。野球やサッカーの素質はだれにでもあり、練習すればできるようになるのと同様、作文も練習次第でできるようになるのだ。

 ここから、「詩や小説を書くのは難しいが、説明文や論文を書くのは易しい」ということが言える。
 このことについて考えてみよう。



















※ これをより詳しく論じるなら、「人間は言葉をもてる動物である」ということを以ってすれば足りようか。
(3)説明文なら、だれにも書ける。 補遺・補足

 名作といわれる詩や小説は、芸術の一回性ということからすれば、方法を伝授することはできない。ただ模倣することができるだけである。
 これに対し、説明文や論文は書き方を教えることができる。

 ここにおいて、作文は説明文の類と考えればよい。繰り返しになるが、小説のような作文は考えなくてよい。否、考えてはならないといったほうがよい。

 この観点からすれば、作文は「こんなことがあったんだよ」と説明する調子で書けばよいのである。基本的には「いつ、どこで、何があったか」→「それがどうであったか」を具体的に書いて、必要に応じて、それに意見・感想を添えればよい。この型でならだれでも書けるであろう。

 ついでながら、論文の基本の型は
 「序論(事例・事実)→本論(検討・考察)→結論(見解・提言)」である。
 これにおいては、まず「事実」を確定すればよい。科学者ならば、実験・観察の結果を提示する。事例が確かならば、考察は確実なものとなり、結論も順当に得られるであろう。

 大事なのは「事実」である。論文においては「事実の確定」ば求められるのと同様、作文においては「事実を正確に書くこと」が求められる。
 この点において、難しいといえば難しいのは「事実」であるが、説明文の類は事実をありにままに書けばよいのであるから、誰にも書けるのである。

 それは素質の問題ではなく努力の問題でもある。我慢も要するのである。





















※ 大切なのは「事実」である。理屈が「論理」なのではなく、「事例」→「考察」→「見解」の流れが「論理」なのである。よって、論理は事実に始まるとも言える。

作文においても、大切なのは練習と忍耐であるようだ。


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3.作文の材料探し
補遺・補足

Oct.7 '04

 このところ、日曜の夜から月曜日の朝にかけて、ファクスの受け皿に用紙がふわふわと盛り上がる。その山を見ると、一瞬プレッシャーを感じる。主に小学生の作文なのだが、ほとんどの生徒が週に一つは書くようになっているのだ。

 一般に、何を書いてよいか分らない、という生徒が多い。そこで、道場ではあらかじめ、「あんなこと、こんなこと」というメモ用紙を渡して、題材を7つ8つ用意させるのだが、それが尽きてしまうと、考えあぐねることにもなる。
 そんな生徒には、「きのうのこと」を書くよう勧める。

 前の日のことなら、「忘れた」とは言えまい。朝起きてから夜寝るまでのことを、何時に起きて、朝食には何を食べ、何時に家を出て、だれそれといっしょに学校へ行き、1時間目は何で、2時間目は………、給食では何を食べ、昼休みには何をして遊び、…、放課後には何をし、何時に家に帰り、夕食までは何をし、夕食後には何をし、何時に寝たかを、メモふうにでもよいからと言って書かせる。

 そうすれば、いつもと変わらぬ一日のように見えても、何か一つは変わった出来事があるものだ。それを聞き出して、くわしく書かせる。
 これによって、生徒は題材探しの要領を覚える。「きのうのこと」を2度も3度も書く生徒はいない。遠足や運動会がなくても、書く材料に困る生徒はいなくなっている。

 題材探しといえば、ユニークなものを見つけてくる生徒もいる。
 小5の直宏くんは今、日本の歴史を書いている。例えば、奈良時代では安倍仲麻呂を取り上げて、その生涯を書いている。一人物について語ることは、自然に時代背景に触れることにもなる。読んでいるうちに奈良時代に誘い込まれる。

 中1のリカさんは少林寺拳法の「六日間の合宿」を6週にわたって書き上げた。合宿の充実ぶりが楽しさとなり、それがそのまま楽しい読み物となっている。

 これらを読んでいると、プレッシャーも次第にほぐれてくる。























◎ この中で、「3・4時間目は図工で、……」とあれば、しめたものである。
 「何を作ったか」に始まり、材料、手順を書いていく。何週かかかる場合があり、手順を書くのは難しいが、書き上げれば、達成感も味わえる。
 そのようにして書いた作文の2〜3の例はこちらへ。


ここに言う「きのうのこと」は、実は日記の手法である。
日記を続けている人は、たいてい
「その日の主なできごと一つ」を書くようになる。

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4.書き方指南
補遺・補足

May 20 '10 

 答案には講評のほか、個々に出題傾向や書き方のアドバイスを付記しているのだが、それらを読み返していると、人ごとならず感心するほどに、歳月を経ても事宜を得ている。捨てがたいので、収載することにした。

 豆知識に類することは既に「高校入試の作文」には付録として、次のことがらを掲載している。
  「+α;書き方関連の豆知識」
   ① 算用数字と漢数字
   ② 字数制限
   ③ 「お母さん」と「母」
   ④ 送りがな

 これらのアドバイスをまとめれば、一書ができるかもしれない。すなわち、「書き方指南」の書である。


 一書になるまでは当ホームページでエッセンスを公開するわけであるが、時代を考えれば、そのままWeb上の著書としてもよいのかもしれない。


 なお、「今月の手紙」(通学生の家庭宛てのお知らせ)に書いた「書き方」関連の話を参考までに付記しておこう。

小・中学生の作文

 一人一人の様子についてはその都度お話ししておりますが、初めての方もおいでなので、指導方針について改めてご説明いたします。

 小学生の作文の始めは日常生活の記録です。「いつ、どこで、何があったか、それがどうであったか」、それを具体的に書くことです。「具体的に」というのは、言い換えれば「事実を正確に」ということです。
 そこまで書ければ、作文の役割を果たせたと言えますが、それに2〜3行の意見なり感想なりを添えてもよいでしょう。

 ここに「事実を正確に」というのは、実は、重大な意味をもっております。
 一つは、出来事を人に伝えるには正確でなければなりません、小は、学校での出来事を親に話すことから、大は、会社での報告まであります。
 もう一つは、考えを述べる場合、根拠がなければならないということです。根拠のない考えは説得力をもちません。この場合の根拠に当たるのが事実です。

 事実の大切さを強調するのは、大学生の作文や論文が惨憺たるものだからです。
 「○○について、あなたの考えを書きなさい」という課題がある場合、考えばかりを書いて理屈倒れになる答案が多いためです。これについて、詳しくは拙著『論作文の奥義』に譲りますが、「事実に基づいて考えを述べる」という習慣を小学生のうちから養っておいてほしという願いには切実なものがあります。







「公務員試験の作文」
「入社試験の論作文」
「公務員試験の小論文」では適宜「講評」の形でアドバイスを付記している。



◎ これがきっかけで、当「作文打出の小づち」の誕生となった。

 道場の主宰には既に
『論作文の奥義』、
『必勝のパターン』

の著書があるが、これらとはニュアンスの違ったものになろう。
 電子書籍にしてもよいかもしれない。














○ 「作文は二段落構成で。前段には経験したことを、後段には意見や感想を」というのは、このパターンである。



※ 社内レポートでは、お父さん方が経験するところであろう。










◎ 「書き方指南」、すなわち、『作文打出の小づち』は、このような方針で作られることになる。

「書き方指南」といえば、実は随所でアドバイスを行っている。
小中学生の作文については
「作文ワールド」から項目別に個々の作文へ。


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この上達記については、改めて、
誕生の秘話ともいうべき発端を紹介しておこう。

5.作文みるみる上達記
補遺・補足
 12月に入って早々、勇樹くんが長足の進歩ともいうべき作文を送ってきた。
 彼は中1生で、お父さんがこのホームページをご覧になって、交流が始まった。もっぱら電話とファクスでのやり取りである。2か月前にはメモ程度のたどたどしいものだったのが、600字の体験記を送ってきたのだ。驚くやら、うれしいやら、思えば、これは一編のドラマである。これほど早く書けるようになるとは思わなかったが、実は、この過程では道場の生徒諸君の協力もある。
 機会を改めて、この出来事をドキュメンタリーにまとめたいと思う。

 追記:このドキュメンタリーは『勇樹くんの作文みるみる上達記』に結実。こちらへ。


この項との関連で、もう一つの出来ごとを続けて紹介しよう。


6.授業見学
補遺・補足
May 12 '04

 午後4時、小3の圭ちゃんがお母さんといっしょに授業見学に現れる。
 ちょうど、ファクス添削の書き直し分が二つ届いたところだったので、それをもとに話を進める。既に電話で話をし、ホームページも見てもらっていたので、指導法を現物で確かめてもらう格好となった。

 届いた作文は、いずれも「あんなこと、こんなこと」のメモをもとに書いたものを、添削を受けて書き直したものである。
 一つは小3の格くんの「ロックガーデン」で、指示どおりに、それがどこにあり、いつ、だれと行ったのかを書き加えてある。一歩の前進をもってよしとしよう。

 もう一つは小5の直くんの「富士山」で、これは、箱根の旅館の露天風呂や御殿場の峠から見た富士山の印象を書いたものなのだが、最初の作文は文字どおりメモのようなもので、順序もばらばらであった。そこで、例によって、順序を整えるとともに、足りないところを想像で補って例文とし、間違いがあれば書き直すようにと指示しておいた。

 「ああ、勇樹くんのところにあった方法ですね」と、お母さん。
 「そうです。こうしておくと、生徒は喜んで直します。’これは違う。この時はそうではなく、こうだったんだ’とか言ってね」 
 「これだと、何をどう書いていいか分かっていいですね」。

 圭ちゃんは入門して、来週から通うことになった。お母さんの願いは国語力をつけることにある。
 そこで、教科書の物語や説明文のあらすじ・あらましをまとめる練習もすることになるが、差しあたって「あんなこと、こんなこと」のメモの作成を宿題とする。



















※ これに関連して、『上達記』の中で特に見ておいてほしいのは、第1〜第2ラウンドである。

はじめに「あんなこと、こんなこと」の作成を課すのは、
たいていの生徒は、
始めのうちは、何を書いていいか分からないというためである。

各項2つずつ、計8〜10も書いておけば、
2か月は題材探しに困らない。
その後はメモがなくても、その都度題材を見つけてくるようになる。


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7.鳥観図1(トトロの森)
補遺・補足
Jul. 1'08

 「森」という課題を出すと、日菜さんは映画「となりのトトロ」の森のモデルになったと言われる狭山丘陵のことを書いた。
 「休日に自転車で狭山公園へ行った」ということから始めて、狭山丘陵について次のように紹介している。

 「狭山丘陵は都心から40キロメートルの圏内にあり、東京都と埼玉県にまたがる東西11キロメートル、南北4キロメートル、面積3500ヘクタールの緑豊かな丘陵です。多摩湖や狭山湖があり、これらの湖の水源林として森が保護されてきました」

 これで丘陵の地理上の位置はだいたい分かるが、丘陵自体の姿がよく分からない。そこで、多摩湖や狭山湖がどんな位置関係にあるかを書いてみよう言ったところ、冒頭の狭山公園の一文に続けて、次の説明が加わった。

 「この公園は多摩湖の東端の堤防の下にあります。多摩湖は東西に長く、真ん中に道路が走っていて、それを北に500メートルほど行くと狭山湖の堤防があり、狭山湖はそこから西に延びています。この2つの湖を囲む一帯を狭山丘陵といい、森におおわれています」

 ここでこの森が「トトロの森」と呼ばれていることに触れて、先に引用した狭山丘陵の紹介へとつなぐのだが、これで丘陵の姿がおおよそ目に浮かぶようになった。二つの湖の位置と森が、鳥が空から眺めるように想像できる。つまり、鳥瞰図(鳥観図)が得られたのである。

 「森」の話はここから、森に住む動植物の種類や周辺の里山のことへと進むが、鳥観図が得られたことによって、生態系までが理解しやすくなる。

 鳥観図については、修学旅行や運動会のことを書くときにも生徒諸君に勧めている。例えば運動会について、全てを順に書くのも一つの方法であるが、焦点ボケしかねない。そこで、「いちばん気持ちよかったこと」、あるいは、「いちばん思い出に残ったこと」を取り上げるようにするが、その場合も、第1段落は次のようにする。

 (例)「5月30日に運動会があった。ぼくは赤組で、100メートル走とクラス対抗リレー、騎馬戦、組体操に出場した。この中でいちばん楽しかったのはクラス対抗リレーだ」
 これも一種の鳥観図であるが、こうしておけば運動会の概要が分かるとともに、その中での印象が鮮明になるであろう。






























※ 「鳥観」は、もともとは「鳥瞰」と書いた。


修学旅行(吉野ケ里)の鳥観図の手法については、次項2参照。

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8.鳥観図2(吉野ケ里)
補遺・補足
Jul.15'08

 前回、作文には「鳥観図」が必要であることを「森」(トトロの森)を例に紹介し、併せて運動会の書き方例を付記しておいた。
 今回は、修学旅行の場合の例を書き加えておこう。

 小6のFさんは福岡に住んでいる。修学旅行で佐賀、長崎に行き、吉野ヶ里遺跡、長崎平和公園、ハウステンボスなどを訪れ、それを「修学旅行」と題して600字程度で書いた。ところが、少ない字数で三つのことを書いているために、それぞれがどんなところであるのかがよく伝わらない。

 せっかくいい所へ行ったのだからというわけで、順に一つずつ詳しく書くことにした。まず、「吉野ヶ里遺跡」を取り上げた。導入部は次のようになっている。
 「5月8日、9日に修学旅行で佐賀、長崎に行きました。吉野ヶ里遺跡、長崎平和公園、ハウステンボスなどに行きましたが、最も印象に残ったのは、佐賀の吉野ヶ里遺跡です」

 これで修学旅行の概要が分かる。すなわち、鳥観図が示され、その中のどれについて書こうとしているのかも分かるのである。
 作文はこれに続いて第2段落から遺跡の紹介に入る。この段階では事前に用意した資料やインターネットで調べたことなどが駆使される。

 遺跡の時代背景や広さについて簡単に触れた後、物見やぐらや倉庫などの建物、墳墓について詳しく説明される。ここで求められるのは遺跡の形や建物の位置関係である。そのため、それは個々の建物の説明に先立って次のように紹介される。

 「吉野ヶ里遺跡は南北に長く、南北が約1500メートル、東西が500〜600メートルあります。建物や住居跡は南と北に分かれており、南は一般の人々の場所、北は大事な場所というふうになっています。北半分の地域には北東端から南西方向にかけて、北墳丘墓、北内郭、中のムラ、南内郭、倉と市があり、南半分の地域は南のムラとなっています」

 これで、もう一つの鳥観図が得られ、個々の建物や場所の説明が分かりやすくなる。のみならず、作文はそれに続いて実際の見学記録や感想となるのだが、この図があれば、順路なども手に取るように分かるのである。

 この作文には5枚半を費やしているから、2,200字くらいになっている。Fさんは今、「長崎平和公園」の仕上げにかかっている。これも同じくらいの字数になる見込みである。夏休みには「ハウステンボス」か「グラバー園」に取りかかって、修学旅行3部作を書き上げることになろう。


この3部作は、「作文ワールドⅢ」…「社会科作文3」に掲載されている。
こちら




9.春の声・母の声
補遺・補足

Feb.11'10 

 2月に入って、都立中高一貫校の合格発表が始まった。一番手は夏ちゃんだ。立川国際中等教育学校に帰国子女枠で入った。続いて9日に良くんが一般受験で同校に入った。地元の学校に2人も受かったのだから、実に喜ばしい。
 公立校の合格発表は中旬まで続く。

 朗報が続く中に、次のようなメールがあった。道場の指導法について、道場が気づかないことが書かれているので、紹介しておきたい。成城学園高校に合格したMさんのお母さんからのものである。

   ……………………………………………………

 この度は、娘の高校受験にあたり、先生に作文の書き方をご指導いただけましたこと、心より感謝申し上げます。
 先生のご指導なしには、娘の第一志望校合格はあり得ませんでした。
作文道場は、小論文という暗闇で路頭に迷う娘に、暗闇を照らす光と一筋の道を与えて下さったところでした。

 先生に教えていただいたことは、
客観的にものごとを捉え、主張したいことはきちんと書きながらも攻撃的にならない、読み手にとって心地よい文章の書き方、表やグラフの正確かつ的確な読み取り方、そして、何より文章を書く心構え、いかに素直な文章を書くかということ、そして、その書き方でした。

 先生にご指導いただいて娘の文章力は確実に上達しました。また、「作文を書くということはまず考えるということ」を娘に実感として理解させて下さった事、何よりも嬉しく存じます。このことは分かっているようでも、なかなか実践できないもので、とても大事なことです。

 先生の学生時代の体験談なども織り交ぜながらお話し下さった「まず冷静に考える」ということ。もし娘がこれを身につけることが出来たとしたらそれは彼女の人生にとって宝物です。意義ある人生のために自己表現する。自己表現するために考える。考えるベースを築くために社会を知る、いろいろな仕組みや構造を知る、理論を学ぶ。必要だから勉強するのだという、本来の勉強の意味を娘に知って欲しいと常々思っておりました。

 娘にとって、高校受験は彼女の人生で初めての試練でしたが、そこで、これから如何に勉強に向き合うかという進学塾などでは到底得ることの出来ない、何より大事なことをご指導いただきましたこと、心より感謝申し上げます。





報われて余りある。感謝!

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10.作文と証明問題
補遺・補足
Mar.18 '07

 「コーちゃ」は中学2年生。国語が苦手で、数学が得意というタイプである。ふだんは週1回作文の練習をしているが、春休みは「春期講習」で、数学の証明問題を集中してやってみようということになった。

 コーちゃは数学には天才的なひらめきがある。定期試験対策をしている折など、他の子が例えば方程式で行き詰まっているとき、「きみなら、どう解く?」と聞くと、たちどころにすらすらと書いて見せる。立式の過程も分かりやすく話してくれる。

 先月、学年末試験対策でマルちゃんが平行四辺形の証明問題で困っていた。そこで、例によって、コーちゃに応援を頼んだのだが、いつものようにすらすらとはいかない。ようやくできたものは何とも読みにくい。三角形の合同から始めているのはよいが、合同条件の順序がはっきりしないため、「ゆえに」とはいかないのだ。

 天才肌であれば、学校では授業を聞かなくても、問題は解けるのだろう。そのために、教科書を読むこともなかったのかもしれない。教科書には美しい証明例が載っている。これにならって、合同条件を①、②、③と書き並べれば、スムーズに「ゆえに」につながるのだが。

 そこで、教科書を開いて、コーちゃにもマルちゃんにも、特に①、②、③をはっきりさせて書くよう指示したところ、コーちゃには納得できるものがあったようだ。「一度、春休みにこんな問題をたくさんやってみるか」と言ったところ、コーちゃは素直にうなずいた。

 コーちゃにこれを勧めたのには、もう一つわけがある。
 コーちゃは作文を書くとき、例えば「スキー」という題では、出発までのことを詳しく書きすぎて、なかなかスキーをしたことにたどりつかない。たどりついても、簡単に「楽しかった」で終わる。こんなことが多い。つまり、焦点が合わず、無駄が多いのである。

 もし、証明のように、必要なことを簡潔に書けるようになれば、作文も洗練されて、かつ、論理性も身につくだろう。
 そんな期待をこめて、現在「春期講習」8日間の教材をそろえている。


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11.七五の四行詩
補遺・補足



準備中



しばらくお待ちください。

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11.「やる」と「する」
補遺・補足

Sep.16 '10 < 「やる」と「する」 >

 近頃の作文で、気になる表現がある。例えば、
 「技術科の授業で菊栽培をやりました」(A)
 「その先生も家庭科部をやりたいと思っていたそうで、やれればやりたいと言っていました」(B)
 「次、やるペンケースではうまく作りたいと思います」(C)

 「やる」という表現には粗野な感じがある。そこで、このような表現にはそれぞれ次のように朱筆を入れている。
 「……菊栽培をしました」(A')
 「……家庭科部を作りたいと……、できればそうしたいと……」(B')
 「次に作るペンケースは、……」(C')

 とはいえ、「成積」や「終る」、「快よい」などを、表記の基準に従って、それぞれ「成績」「終わる」「快い」と直すのとは違って、「やる」は必ずしも間違いとは言えないから、添削の筆はいったん止まる。
 それでも、次のような使い方を目にすると、それが女の子の作文であればなおのこと、見逃すわけにはいかなくなる。
 「サマースクールをやっているので、そこへ行って、漢字ドリルをやることにしました」(D)
 (そろばんで)「3分で40問やるのをやったり……」(E)
 見方によっては品性にかかわることでもある。

 他方で、このような表現を頻繁に目にするようになると、世の趨勢なのかな?とも思う。例えば、「『ら』抜き言葉」のように、まだ公認されていないとはいっても、「見れる」「食べれる」が一般に使われている。それと同じようなものなのかなと思うのである。
 そこで、お母さん方に意見を伺った。

 「D」について、その子のお母さんは「そうですよねぇ。私も気になっていたんですが。特に、『サマースクールをやる』は、ないですよねぇ」ということであった。
 「E」について、お母さんは次のメールを寄せてくださった。

昨夜、「やる」という表現について、子供たちと話し合ってみました。

「やる」という表現は、少々荒っぽい印象があり、丁寧ではないという意見で一致しました。
 しかし、実際はどうなのか、どんなときに使っている表現なのかを1日考えさせてみて、
 今夜の食事の際にもう一度話し合ってみました。
 
どういうときによく使うか、思いつくままに挙げさせてみたところ、
    ・(お友達と)「おにごっこをやろうよ」「うん」「私が鬼をやるよ」
    ・(あのお友達は)「小さい頃からお習字をやっているから、字が上手だよ」
    ・(学校で先生が)「今日は暑いので、運動会の練習はやりません」
    ・(学校放送で)「手洗いうがいをやってから、教室に入りましょう」
    ・(お母さんが)「テレビを見るのは、宿題をやってからにしなさい」
 
子供が当たり前のように「やる」という言い方をする原因は、私にもあったと反省いたしました。
また、「どんな言葉に置き換えたらいいのか」と尋ねると、「する」以外は考えられないようでした。
「うがいを済ます」「習字を習う」という表現もあるよと話しますと、「ああそうか」と納得しておりました。
語彙が少ないのは、読書の量が足りなかったり、にぎやかなテレビ番組に夢中になりすぎて、
きれいな日本語を耳にすることが少ないからではないかとも感じました。

 これ以上付け加えることがないほどのメールである。特に、「やる」の語感が「荒っぽい」というのは的を射ていると思われる。
 ただし、念のため、「やる」を使ってはいけないということではない。荒っぽい動作や行いにはそれがふさわしいのである。
 結局、話は「ふさわしい表現」というところに落ち着きそうである。

 なお、「D」と「E」は次のようにするのが、ふさわしかろう。
 「サマースクールが開かれていたので、そこへ行って、漢字ドリルをすることにしました」(D')
 「3分で40問を計算したり……」(E')





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12.「ぬかす」、「なので」
補遺・補足

Oct. 7 '13 < 「ぬかす」、「なので」 >

 台風18号、20号が去った後は、抜けるような青空が1週間ほど続いた。これは、「運動会日和」でもあった。「秋晴れの運動会をしているよ」(富安風生)。こんな光景が全国あちこちで見られたことだろう。

 運動会があると、作文は「運動会づくし」の観を呈する。
 書き方について、特に初めての生徒諸君には「最も感動したこと」、「思い出に残ること」など、どれか一つに焦点を合わせること、その際、焦点は運動会全体の中で絞り込むこと(「鳥観図」の中で合わせること)を勧める。
 具体的には、「スポーツ作文」の『15.十人タワー』、『14.中学年リレー』、『11.感動の四段タワー』、『10.クラス対抗リレー』等を参照。こちらへ。

 前置きが長くなったが、このところ、運動会の作文で目につくのは「ぬかす」という言葉である。例えば、徒競走やリレーで、「第3コーナーでぬかしたが、ゴールの手前でぬかされた」といった具合である。
 ほとんどの生徒がそうであるから、もう一般化しているのかなと思うが、一応「追い越す」ことは「抜く」というのだと話して、次のような話をする。。

 「『抜かす』というのはね、『馬鹿なことを抜かす』とか、『順番を抜かす』というふうに使われている。辞書を引いてごらん。『抜かす』には『抜く』という意味はないね。辞書に載っていないということは、社会でまだ認められていないということなのだ」。
 だから、使ってはいけないとは言わないが、使わないほうがよい、と注意しておく。

 使わないほうがよいというのは、それは「話し言葉」だからである。現代語にも「話し言葉」と「書き言葉」があり、作文では(特に地の文では)「書き言葉」で書くことが求められている。そのわけは、格調ないし気品の問題でもある。

 話し言葉と言えば、よく使われているものに、「なので」がある。これも辞書には載っていないから、作文では使わないようにと注意しておく。ただし、これは「格調」の面からの勧告でもある。
 同様の勧告は、「ら抜き言葉」においても行う。例えば「見れる」、「食べれる」の類いである。

 とはいえ、例えば、かつては「書かれる」、「泳がれる」と言っていたものが「書ける」、「泳げる」となって、五段活用の動詞に限り可能動詞として公認されるようになった。この伝でいけば、活用の種類に関係なく、「見れる」も「食べれる」も、やがて公認されるであろう。

 そうなると、「なので」も「抜かす」も、作文においてのみならず、公的文書の上でも大手を振って歩くようになるかもしれない。ただし、それを使うか使わないかは「感性」の問題である。



ついでながら、「なので」を使う生徒には、「だから」といっしょに
辞書を引かせる。そうすると、
「だから」は載っているが、「なので」は載っていない。
これによって、生徒たちは、
「なので」はまだ公認された言葉ではないことを知る。

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噴水(神代植物公園)