風鈴(道場の南西側の窓辺)


道場日記抄

− その1 −

1999年〜2003年 
上に書き加えています。

2003年  2002年
2001年  2000年
1999年

年度の下に見出しを
付けてあります。

  その2(2004〜2009年)へ   その3(2010年〜)へ 

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2003年

「すわ、一大事」 「『俳句かるた』」 「出張講座の答案添削」 「必勝のパターン」 

「時事問題」 「中間試験対策」 「職業講話」 「洒水の滝」 「午睡」 「炎暑稽古中」

 「信州・木曾・甲州路」 「グルメトースト」 「朋あり、遠方より来たる」 「俳句界のご意見番」

「税の作文」 「フレッシュマンセミナー」 「イラク戦争と大リーグ」 「新旧交代」

「合格祝賀会」 「植村直己冒険賞」 「朗報の季節(2)」 「朗報の季節(1)」


Dec.18 '03 < すわ、一大事 >

 先週水曜日(10日)の夜、このホームページを制作・送信しているパソコンが故障した。
 7時半頃であったか、’ジャッ’というような音がして、刺激臭が漂ってきた。最初はストーブかなと思ったのだが、臭いの元はパソコンの辺りのようだ。音がしたとき、そのそばで国語の入試問題に取り組んでいたアユちゃんが「わっ」と声をあげたことでもある。

 勉強を中断して、ゴリちゃんが鼻をパソコンの裏に寄せていって「この中だ」と言った。電源スイッチを入れてみたら、反応がない。
 さあ、大変だ! 一瞬、Eメール、メールマガジン、ホームページの更新のことなどが頭の中をかけめぐった。問い合わせのメールが入っていれば大変だ。データや資料類は壊されていはしまいか………。

 翌日メーカーに電話をする。無料修理をするとのことだが、土日が入るので、戻るまでに1週間はかかりそうだ。
 代替器を求めて接続を試みたが、つながったりつながらなかったりする。ISDNという回線が厄介だ。四、五年前には最新式のものということであったが、今や速さの点で大きく遅れをとっている。

 パニックにも似た1週間であったが、その間、パソコンをはじめ、周辺機器を検分する機会に恵まれる格好となった。これを機に、接続法を含め、新しいインターネット環境を作ることにしよう。


Dec.8 '03 < 『俳句かるた』 >

 このところの合格報の中には「時間内に書けました」というのが多い。
 これは、1カ月前のタマさんの質問に答えたこと(下記、Nov.8付け)を受験生諸君に念押ししておいたためもあろうが、何より書き方の型・「必勝のパターン」を身につけてくれたためであることは言うまでもない。

 「俳句かるた」の予約部数は、『動物俳句かるた』『俳句いろはかるた』とも、2,000部に近づいた。年内に5,000部に達してくれればと念じていたが、発刊までにはまだ時間がかかりそうだ。申し込んでくれた皆さんにはお待たせして申し訳ないが、紹介者の輪の広がっていることをもって一層の支援をお願いすることにしよう。

 「『俳句かるた』マガジン」では『動物俳句かるた』『俳句いろはかるた』の中から毎週一句とその解釈・解説を紹介しているが、1年余りたって両編には冬の句の少ないことに気づいた。そこで、今月から姉妹編の『百人一句・古今名句百選かるた』の応援を仰ぐことにした。
 このかるたの概容については「トピックス」へ。マガジンへはこちらから。


Nov.23 '03 < 出張講座の答案添削 >

 「三千の俳句を閲(けみ)し柿二つ」− 正岡子規
 さぞ美味かったであろう。机の前の仕事とはいえ、一句にまともに相対して三千ともなれば重労働である。「あと100!」となるころには、柿の味が脳髄に浮かんだことだろう。

 「三百の答案閲し……」
 先々週の金曜日から先週の木曜日にかけては、月月火水木金金の体(てい)となった。明星大学の「エントリーシート・論作文の書き方講座」の練習答案が予測の倍以上も提出されて、散歩も昼寝も返上する羽目となってしまったのだ。

 とはいえ、これはうれしい悲鳴である。講座は400名を越す盛況であった。この種の講座では話だけで済ます手もあるが、それでは「畳の上の水練」でしかなく、書いてもらわないことには受講生との間にコミュニケーションも生まれない。

 この日の講座のポイントは、『学生時代に打ち込んだこと』という課題では、「『サークル活動』は歓迎されない」ということである。学生の本分としては、やはり勉学でなければならない。これは、学生諸君には大いなる刺激となったようだ。

 授業の終わりに、学生諸君には自己の「長所」を一つ、200字程度で書いてもらった。
 答案は傑作揃いであった。10〜15分で、よくもこれだけの答案が書けるものだというほどのものである。Aランクの答案が4分の1にも上り、バラエティーにも富んでいる。

 翌週の授業では「練習答案の相互検討」となる。見終えた答案の中から5〜6編を選んで検討に供する。その段取りがついたのは日付が水曜日から木曜日に変わる頃であった。閲した後は美酒となる。

 いずれ、繚乱百花の答案を紹介しよう。「出張講座」のページがよいだろうか。あるいは、新規に「その2」を設けようか。


Nov.8 '03 < 必勝のパターン >

 タマさんから、ひょっこり電話があった。「カナダから帰国している、受験はもう1年延ばす、一度訪ねたい」とのことである。
 話題はさっそく、あのタマちゃんのことになった。

 夏以来になるか、アザラシのタマちゃんのことは報道されなくなっているから、今も荒川のあの辺り(朝霞市)にいるのだろう。「その代わり、トネちゃんが話題になった。利根川にも現れたというのだ」。タマちゃんが現れたころは、那珂川のナカちゃんのことも話題になっていたから、トネちゃんは3頭目ということになる。

 「なかなか時間内に書けないのですが、どうすればいいのでしょう」。タマさんは話の合い間にこんな質問をした。
 「やはり練習をすることだ。試験になれば集中力が出るから心配は要らない。練習して書き方のパターンをつかむようにしよう」と伝える。

 これはこのところ、大学入試の高校生諸君に答えていることでもある。11月は推薦入試のシーズン真っ盛りなのだが、例年合格の知らせのついでに聞いてみると、’我ながら異常’ともいえる集中力が出ているということだ。それは、課題文を読みながらプロットができていっている、つまり、パターンに沿って作業が進行しているからのようだ。

 間際に申し込んできた諸君のなかには、気持ちの焦りが先立って、なかなかパターンをつかめない子もいる。「次の文章を読んで、あなたの考えを書きなさい」とあると、どうしても考えばかりが先走って「裏づけのない意見」の答案になってしまうのだ。Kくんもその一人だ。

 Kくんには、読解力から鍛えなおさなければならない面もあるが、そろそろ単なる注意ではなく、“カツ”を入れなければならない。電話をかけて、改めて「必勝のパターン」を伝授しよう。


Nov.3 '03 < 時事問題 >

 「マニフェスト」。こんな題で作文せよと言われたら、どうするだろうか。

 ある市役所で、去年は「構造改革」という題が出たそうだ。だから、今年は……と、Cさんは「マニフェスト」を選んだ。
 前年が「構造改革」なら、「民営化」というのなども考えられる。

 という次第で、マスコミで耳にする言葉を題に、答案づくりをすることになった。「時事用語による作文」とでも言えばよいだろうか。
 おもしろい出題なので、メールマガジンで紹介してみよう。こちらへ。

 「読みましたよ、宙ちゃんの作文を」
 時々、来訪者からこんな声がかかる。メールも入る。4月初めのメールマガジンに載せた「戦争」という作文のことだ。

 イラク戦争はまだ止まない。それに、アメリカはイラク復興支援を各国に要請しているが、アメリカへの批判は強まるばかりである。宙ちゃんの作文が共感を呼んでいるのは、こんなことがあるからなのだろうか。
 臨時号に、もう一度載せておこう。


Oct.5 '03 < 中間試験対策 >

 中間試験の時期になった。近所の中学校では先週に終えたところもある。
 試験範囲と時間割は1週間から10日前に発表になるから、それをもとに一人一人のチェック問題の用意と出席日の調整を行う。

 この期間は「試験のある人優先」にしてあるので、時間帯を譲り合ってもらう。それでも、定員3人のところに5人を余儀なくされることがある。しかし、各人にはするべきことがたくさんあるので待たせることもなく、時間を延長することで対策は一人一人片づいていく。

 通信講座のほうでも試験対策を行っている。2学期になって受講生が増えたこともあり、このところは試験日と試験範囲の確認に忙しいが、ふだん、メールやファクスであれこれやり取りをしているので、互いの気心は知れてくる。対策といっても特別の配慮は要るまい。いざとなれば電話という手もある。それにしても、ファクスは便利である。

 昨日の朝のこと、気がつくとファクスがこんもりと盛り上がっている。トヨナカくんからだ。9枚もある。彼は今月からの受講生で、「平家物語」に入っているということなので、原文と訳の書写を指示しておいた。「敦盛の最期」のくだりで、少し長めなので2〜3回に分けてもよいと言っておいたのだが、ずいぶん意欲があるものだ。字もていねいである。

 道場では、古文では特に、まず音読をさせ、次に原文を書き写させる。B4・25字×24行の用紙の上段に原文を1行おきに、下段に訳を詰めて書く。この程度の作業をするだけでも、チェック問題の出来が違う。仮に学校での作業と重なる場合でも書かせるのだが、これを嫌がる生徒はいない。
 トヨナカくんには「もりもりとした充実感がみなぎり始めていることだろう」と書き送る。


Sep.25 '03 < 職業講話 >

 「文章を書くってのが、ようやく分かってきたよ」。清書を終えた50年配の人から、こんな声が上がった。
 「職業講話・文章の書き方講座」の二日目にして最終日のことである。

 この講座は、東京都の「山谷地域就労自立促進事業」の一環として設けられている。当道場は、去年に続いて2度目の出講となる。
 ついでながら、先月末に政府の「自立支援策の基本方針」がまとまった旨の報道があったが、東京都の事業は4年前から実施されている。それはともかく、……

 道場が担当した講座は、ホームヘルパー2級の資格取得を目指す人、15名が対象で、受講生の平均年齢は50余歳である。この講座が設けられたのは、就労した先輩方がレポートや日誌を書くのに苦労しているということからであった。
 講座は、1週をおいて2日、各3時間である。そこで、次のようなプログラムを組む。
     ……………………………………………………………………………………

 第1日・第1時限 − この講座について
 (9/18)        日誌やレポートを書くときの先輩方の苦労
     第2時限 − 文章表現・作文の練習(下記①〜③から1題選択)
            ① 介護・看護の体験と今後の仕事への抱負
            ② 前職で得た教訓と今後の仕事への生かし方
            ③ 昨日一日の起床から就寝までの日記
     第3時限 − 質疑応答、(答案練習の予備時間)

 第2日・第1時限 − ケーススタディー … 練習答案の相互検討
 (9/25) 第2時限 − 同上        (用字・用語についての諸注意)
     第3時限 − 添削答案の清書

    ………………………………………………………………………………………
 このプログラムの根幹は、実際に書いてもらうこと、および、添削例を参考にして清書してもらうことである。一方通行の「講話」では、書き方は絵に描いた餅でしかない。
 最も考慮したのは、どうやって全員に書いてもらうかである。ほとんどが長い間筆をとったことがない人たちである。「書くことがない」という声をなくさなければならない。そのために、練習課題に③を設けた。
 みんな、とにかく熱心に書いてくれた。勢い、添削にも力が入る。検討会では意見・感想が飛び交った。冒頭の感想は終わりのひとことである。

 「レインボーブリッジの橋脚のてっぺんで仕事をしていると、雨は下から湧いてくる」という、「前職」での体験談など、興味津々たる話がいくつもある。いずれ「出張講座」のページにでもまとめておこう。


Sep.21 '03 < 洒水(しゃすい)の滝 >

 夜明けに目を覚ますと、かなり激しい雨音がする。昨日の朝から降り続いているが、台風15号の影響らしい。
 その雨をついて、セタガヤくんが現れた。土曜の午後が出席日なのだが、9月に入ってからは野球が忙しくなって、日曜の朝にしている。

 彼は中1で、夏休みに「記述問題集」の入門編を終えて、今はVol.1に入っている。かなり手応えがあるので、1問(1話)をじっくり読み、解くことにしている。うめき出せば、ヒントを小出しにする。うまく書き切れると、「やった!」と声が挙がる。合い間の質問には野球のことも交じる。
 時間が余ると、短文づくりをする。「主語・述語のある40字の一文」にも張り合いがあるようだ。

 午後の予定がぽっかりと空いたので、かねて思いつる滝に自動車を走らす。八王子から国道16号を南下、厚木から御殿場方面に進路を取る。雨中の3時間半の運転には慎重を要す。案の定、事故の渋滞に二度巻き込まれた。

 目指すは「洒水(しゃすい)の滝」。神奈川県・山北町にある。「日本の滝百選」「全国名水百選」に選ばれている。一の滝が69メートルあるということで、写真で見る限りは白い帯状の水が「く」の字に曲がって落ちている。

 駐車場から徒歩約10分。山道の正面に、猛烈な勢いで落ちる水柱が見える。観瀑台は滝壷から5、6メートルほどのところにある。「く」の字の下の部分はごく短い。一直線に落ちてくる水柱を見上げると、天空のどこから落ちてくるのか、定かには見えない。
 二日間の雨が迫力を増幅させていたであろう。圧倒される思いで山道を下りた。


Sep.14 '03 < 午睡 >

 夏休みが終われば、道場は日中は暇になる。とはいえ、ファクスはけっこうにぎやかだ。できるだけ溜めないようにして、翌日には返送しよう。

 昼食の後は睡魔に襲われる。だが、これとは闘わないほうがいいようだ。我慢しても、仕事にはならない。むしろ、10分もまどろめば、心身ともにすっきりするのだ。
 折しも、フランスでは昼寝を奨励する会社が現れて評判になっている、との話がテレビで流れていた。食後の睡魔は、洋の東西を問わぬようだ。


Aug.24 '03 < 「炎暑稽古中」 >

 今日は入口にこんな張り紙を出す。午後、入ってくる中3生諸君にはおおよそ見当はついていたようだが、一応の講釈をする。

 「『寒稽古』というのがあるね。剣道や柔道に多い、真冬の早朝にする練習だ。剣道などでは素足で板敷きの上を動くのだから、足も体もかじかんでしまうことだろう。ところが、申し合いを繰り返しているうちには体が暖まってきて、一汗かくと体がしゃんとして、気分も爽快になるそうだ。もちろん、それによって力がつくのは言うまでもない」。

 それを夏にもやろうというわけだ。’暑い、暑い’と言っていても、暑さが消えるわけではない。むしろ、思い切り汗をかけば、汗とともに暑さは吹っ飛んでいくだろう。そうすれば、体はさっぱりとし、頭も冴えるだろう。同じやるなら、最も暑い盛りの午後がいい。このところ梅雨明けの暑さがようやく本物になってきたようだ。1週間ほど続けるとするか」

 「わあ、1週間もかあ」と、アユちゃん。「1週間もかかるの?」と、これはタッちゃん。
 実は、昨日クーラーが故障してしまったのだ。ちょうど土・日にかかっていたので、電器屋さんによれば、部品の問い合わせもできない、しかも、くだんのクーラーは十年選手なので部品があるかどうかも分からないということだった。

 よりによって、昨日・今日の気温は今夏最高であるという。とりあえず、扇風機2台をフル稼働させる。それにしても「言うまいと思えど今日の暑さかな」と口を突いて出るほどに汗がにじむ。
 アユちゃんが不意に「『心頭滅却すれば、火もまた涼し』って、ほんとかしら」と言った。「うん、それ、それ。それは本当だ」。当分はこれでいくとしよう。


Aug.16 '03 < 信州・木曽・甲州路 >

 「旅路はすべて雨の中である」
 14、15の2日は長野、岐阜の滝見物に車を走らせた。途中、「木曽路」の標識が目に入ったとたん、そんな文句が思い浮かんだ。正確には「〜雨の中であった」とするべきだが、これは藤村の大作『夜明け前』の冒頭の一文「木曽路はすべて山の中である」のもじりである。

 実際、2日間は小雨・霧雨になることはあっても、降り止むことはなかった。往路を埼玉から長野への峠道に取ったのだが、さっそく最初の十石峠で通行止めに遭ってしまった。翌日は岐阜・長野県境の野麦峠をはじめ、帰路では神奈川・東京の都県境、甲州街道の大垂水峠で通行止めに遭う始末であった。

 だが、年ごろ思いつることの滝見物は果たすことができた。
 菅平から「米子大瀑布」に向かったのは午後も4時過ぎで、霧の山道を駆け上るころは半ば諦めていたのだが、登り口に車を止めるころには霧が晴れ、小雨の中を歩いて30分、85メートルの直瀑・不動滝と、75メートルの同じく直瀑・権現滝を間近で見上げることができ、さらに、対岸の山上から両滝を一望に収めることもできた。

 翌日は夜明けに「平湯大滝」を観る。ふだんは三筋の線が見えるということだが、増水のため、幅6メートルの水塊が60メートル余りの高さから轟音をたてて落ちていた。

 帰りが思いのほか早かったので、甲州街道をそれて南アルプス・甲斐駒ケ岳近くの「精進ヶ滝」に赴く。直瀑120メートルを、さぞや豪快に落下しているだろうと期待が高まる。
 通行規制もなく一山を越えて、激流を吊り橋で渡り、谷川沿いに滝道をたどる。階段状のはしごなどを昇り降りして30分。道は増水の激流の中に消えていた。止む無く引き返す。

 道を、相模湖から渋滞の中央高速道に乗り換えて帰り着く。
 ファクスの出口には答案がふわふわと盛り上がっている。公務員試験やAO入試の受験生諸君にお盆休みはないのだ。明日は精を出して添削・返送にかかろう。

 15日22時50分、ホームページのアクセスカウンターが99,990となっているのを見て就寝。翌16日9時には100,007となっていた。10万アクセスを記録するXdayは8月16日の未明だったのだろう。開設以来4年1か月と11日で到達したことになる。
 多少の感慨はある。記して記念としよう。


Aug.10 '03 < グルメトースト >

 「めっちゃ、うまいよ、あれ! 2枚も食べちゃった」と、ゴリちゃん。
 「そうそう、おいしい。私は今朝も………」と、アユちゃん。
 「んっ? ああ、あれか」と、タッちゃん。
 四、五日前だったか、3時の休憩時間のことである。

 夏期講習の午後は、中3生の専用時間となっている。
 どんな話題からであったか、「バターとしょうゆはよく合うね」という話になった。「うん、そう、そう! おいしい!」と、アユちゃん。「バターめしっての、食べたことある?」「ある、ある。炊き立てのご飯にバターを埋めて、溶けた頃にしょうゆをかけて、まぜっかえして食べる、あれでしょ」と、これはだれであったか。

 ああ、それならと、ついつい秘話の公開となる。
 「トーストにバターをうすく切ってのせる。その上にカツオブシをふりかける。ふわふわになるぐらいにね」「おいしそう」「その上にしょうゆを、ポツ、ポツとかける」「うあわー、たまんない。帰ったら作ってみよう」と、これはアユちゃん。

 こうなると、話はきちんとしておかなくてはならぬ。「バターは1〜2ミリの厚さがいいかな。しょうゆはポツ、ポツぐらいにして、かけすぎないようにね。カツオブシは細かく削ったもののほうがいい。食べやすい。5gや3gのパックに入ったのがある。5gではトースト1枚には多すぎる。3g入りがちょうどよいようだ」

 以来、グルメ談議に花が咲く。長崎ちゃんぽんの店の品定め、トンカツに凝っている小学生の話まで出てくる。
 道場はあと1日でお盆休みに入る。地場産グルメの旅にでも出てみようか。


Jul.27'03 < 「朋あり、遠方より来たる」

 夏休みになって1週間、近所の子供たちに遠来の諸君が加わって、道場は朝からにぎやかだ。電車を乗り継いでくる人、車に乗せてもらってくる人、それに、自転車を飛ばしてくる人、彼らが庭に入ってくる姿を見ると、思わず、こんな文句も思い浮かぶ。 「朋あり、遠方より来たる。また愉しからずや」

 講座ではこれに、もっと遠方の朋友が加わる。ファクス友だちだ。お陰で、月月火水木金金ともなっており、ファクスが溜まってくるとプレッシャーを感じる。とはいうものの、一つずつ添削し返事を書いていけば、次第に気分もほぐれる。キサラズくんやカシワちゃん、それにSydneyちゃん、納得してくれただろうか。これもまた「また愉しからずや」。

 今夏は、AO入試対策に加え、読書感想文の書き方の希望が多い。小学校では相変わらず宿題になっているようだが、これには問題が多い。だが、問題を問題として受け止めれば、解決の方法も生まれる。
 いずれにしても、まず本を読まなければならない。そこから解決の方法が生まれるわけだが、いずれ時間を割いて、そのあたりの話でもしてみたい。


Jul.20'03 < 夏期講習 >

 道場は今日から「夏期講習」に入る。プログラムの遂行上、日曜日の開始となった。
 午前・午後・夕方に、それぞれ90分2コマを設け、希望の時間帯を割り振ることにしている。1コマが「限定3名様」であるから、ある時間帯への集中が懸念されたが、不思議なほどに希望が散らばり、若干の調整でどのコマも2〜3人ずつで収まった。

 「この夏のお勧め」の中学国語「記述問題集」への関心が高まっている。内容見本をもういくつ送っただろうか、入会者も二人、三人と増えている。

 一昨18日に、草間時彦さんの「お別れ会」が東京・新宿の「京王プラザホテル」であった。永く「俳句文学館」の理事長を務め、俳句界の御意見番であったから、平日の午後にもかかわらず千人近い参会者でにぎわった。ご本人の希望どおりの「明るい会」であった。
 「俳句かるた」についても、そこここで話に花が咲いた。(下記、6月1日の項参照)


Jul.7'03 < 中学国語『記述問題集』 >

 国語力をつけ、言語に習熟していくには格好の教材が現れた。「中学国語『記述問題集』」という。第一の特長は、全編が文字どおり記述問題で選択肢問題がないため、「まぐれ当たりがない」ということであろう。もうすぐ夏期講習が始まる。中学生諸君には全員この問題集に取り組んでもらおうと思う。「この夏のお勧め」である。こちらへ。

 7月に入って「俳句かるた」の予約部数が急上昇している。これは俳句結社の方々のほか、子育て研究の情報交換をしているお母さん方が、ホームページを通じて掲示板などで紹介してくださったからのようだ。それに伴っていろいろな声も寄せられている。こちらへ。


Jun.1 '03 < 俳句界のご意見番 >

 5月26日、俳人の草間時彦さんが亡くなった。83歳。俳句界のご意見番のような方であった。長く俳句文学館の理事長をしておられ、25年前「俳句かるた」が「動物俳句かるた」と「俳句いろはかるた」に発展するとき、選句・解説の音頭を取って下さった。

 作風は軽妙洒脱、本来の俳諧精神を具現するものであった。
       水仙やひそかに厳と昇給差
       冷房や下着売り場の白世界
       秋風や畳の上で転びけり

 このたびの「俳句かるた」二編の復刊に際しては、現俳句文学館の方々にバトンタッチをして下さったばかりであった。心から哀悼の意を表し、ご冥福を祈る。

     ………………………………………………………………

 < 税の作文 >

 TBS(東京放送)系列のラジオ番組に「牟田悌三・あなたのための税金相談」というのがある。国税庁の提供で、毎週土曜か日曜日に全国32局で放送されている。一昨30日にこの番組のインタビューを受けた。国税庁では毎年「高校生の税の作文」を募集しているが、募集に先立って、この番組のリスナーの皆さんに「作文の奥義」を教えてほしいというのである。

 30日の午後、番組で牟田さんのアシスタントを務める長谷川直子さんと駅前の喫茶店で待ち合わせ、収録を行った。放送はTBSでは今月22日(日)の午前8時15分から、その他の局ではその前後の土曜の朝から日曜の夕方にかけて行われる。


May 18 '03 < フレッシュマンセミナー >

 東京経済大学では新入生に対して「フレッシュマンセミナー」を設けている。
 そのセミナーに、昨年に続いてゲスト講師として招かれ、14日(水)に「書き方」の演習を行った。その折に書いてもらった答案の添削が、思いのほか順調に進み、昨日は総評まで仕上げることができた。返却のため、担当教授宛に今日郵送する。

 それにしても、入学早々ゼミナールに参加できるとはうらやましい。その昔、わが大学ではゼミは3年次からで、それも、履修できる人数は3分の1くらいであった。1、2年次は、語学と体育が50〜60人のクラス単位で行われたものの、講義は全て200〜400人収容の大教室で行われていたから、学問の世界にいるという実感は極めて乏しいものであった。このため、「五月病」にかかる者も少なからずいたようだ。

 「フレッシュマン セミナー」は「五月病」対策でもあろうが、図書館の利用法をはじめ履修相談なども行って、学園生活の展望を開く手助けのために設けられているようだ。
 ゲスト講師への注文は「書き方」だが、中味は任されている。そこで、3年後にはしなければならない就職活動の観点から振り返ることにした。次の資料(抜粋)を配布する。

          …………………………………………………………
 入社試験を受けるに当たっては、まず「エントリーシート」の提出を求められる。これにはたいてい自分の過去・現在・未来、つまり、実績・性格・抱負を書くようになっている。

 ① 実績 − 例:「学生時代に打ち込んだこと」
        ※ サークル活動よりも学問研究のほうが歓迎される。
 ② 性格 − 例:「『私』という人」
        ※ 自分の長所を3つ挙げ、それぞれを200字程度でまとめる。
 ③ 抱負 − 例:「この会社に入ったら」
        ※ 実績や特技、性格を踏まえて仕事に対する意欲を示す。

 今日はこのうち、②について一つを書いてみよう。
          …………………………………………………………

 フレッシュマンたち17人は、みんな一生懸命に書いてくれた。添削がはかどったのは読んでいて張り合いがあったからだろう。担当教授にはいい報告(総評)をすることができた。

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Mar.30 '03 < イラク戦争と大リーグ >

 日本のプロ野球に続いて、アメリカ大リーグも開幕する。イチローのマリナーズ戦の日本開催がイラン戦争の余波で中止になったのは残念だが、メジャーといえば、今年の話題はヤンキースの松井。そのヤンキースの開幕戦はカナダのトロントで行われる。
 トロントといえば、タマさんだ。カナダでの松井の評判はどうなのだろうか。メールで問い合わせたところ、さっそく返事をくれた。これは「交歓会場」に定席がある。こちらへ。


Mar.16 '03 < 新旧交代 >

 「永き日のにわとり柵を越えにけり」(不器男)
 日脚が延びて、午後あたりは何とはなしにのんびりした気分になる。ぽっかりとのんびりできる時、この句は週初めに「『俳句かるた』マガジン」で紹介したところであるが、この1週間、道場にはそんな時がぽかぽかとあった。学年末試験対策を先週で終え、入試対策も国立後期を11日で終えたからであろう。

 勉強は平常の時間帯に戻った。
 高2のトッくんは小論文演習を本格化させる。秋には推薦入試を受ける。おもしろいことに、英語の校内模擬テストで偏差値が101を記録した。普通、最高が75なのだが、これは得点がダントツであったことを物語る。
 高1の和哉くんは『徒然草』の全訳を再開する。11日には第56段〜59段を終えた。大学へのエスカレーターがあるから、受験に煩わされることなく本物の勉強ができる。
 同じく高1の慎也くんは英語の長文問題集に取りかかる。大学受験のためにはできるだけいろいろな文章に慣れ、ボキャブラリーも増やさなければならない。
 ………
 中学生諸君もそれぞれに科目を選んで作業を行っている。それが春休みを待たず、自然に「春期講習」となっている。

 そうこうしている間にも朗報は続く。9日には札幌から、11日には大阪から届いた。喜びの声をさっそくにも紹介したいところだったが、少々ぽっかり、のんびりしてしまった。ようやく「大学試験の小論文」と「公務員試験の作文」のページに入れることができた。


Mar.2 '03 < 合格祝賀会 >

 昨1日(土)、夕方6時半より恒例の「合格祝賀会」を行う。
 初めに、これも恒例の「讃歌・勇士は還りぬ」を道場主が歌う。これは戦場から帰った兵士を讃える歌で、生徒諸君を受験戦線で戦ってきた兵士に見立てている。曲のほうは甲子園や国技館などで優勝旗を手渡す時に流れる、おなじみのメロディーである。

 しみじみと勝利に浸ったあと、コーラで乾杯、会食・雑談となる。
 今年のメンバーにはスポーツの有力選手が二人もいる。一人はラグビーの肖くんで、もう一人は野球のカンくんだ。

 カンくんはピッチャーで、いくつかの高校から誘いを受けたのだが、結局、監督の勧めもあって国士舘高校に決めた。同校は今春の「センバツ」に出場する。そのためか、シニアリーグの逸材が集まったようで、元プロ野球の打撃王・O選手の息子さんもいっしょとのことだ。
 カンくんは上背があるのに加えてリストが強い。O選手もリストが強かったから、息子さんが受け継いでいるなら、リストの強い二人が来年あたりから投打で高校球界をにぎわせるにちがいない。そして、甲子園で「勇士〜」の曲が流れることだろう。


Feb.16 '03 < 植村直己冒険賞 >

 「本日(2月12日)、山野井泰史・妙子夫妻に第7回植村直巳冒険賞贈呈の発表があります」
 香川澄雄さんから、こんなメールが届いた。4日前のことだ。香川さんは、この日記にはたびたび登場してもらっているが、「日本三百名山」をランニングで完登したことで、また、ヒマラヤにも挑戦中であることで知られる。

 山野井泰史さんは、例えば朝日新聞によれば、「岩壁や高峰の先鋭的な登攀で世界的に知られる」クライマーである。
 その山野井さんが昨秋、ヒマラヤのギャチュンカン(7,952m)に北壁から単独登頂を果たした後、下山時に同行の夫人・妙子さんとともに雪崩の直撃に遭い、ベースキャンプに戻るまでの4日間は飲まず食わず、一時は視力を失い手足に重度の凍傷を負いながら生還した。「雪崩の巣と化した北壁からの脱出行は極限のサバイバル体験だった」(朝日新聞:'02年11月23日)

 「冒険賞の対象は、ギャチュンカンからの決死の脱出行です」と香川さんのメールは続く。「対象者が2人は初めてです。詳しくは13日の朝刊をご覧下さい」
 新聞で読むより先に朗報を知ることができたのはいい気分である。マスメディアの発達した現在、これは稀有のことであるかもしれない。

 山野井夫妻は現在、都内の病院で手術も受けながら療養に努めている。その経過を、親しい間柄の香川さんが見舞いに行って、自らが会長を務める「ウルトラ・ランニング登山クラブ」のメンバーやわれわれファンに知らせてくれるのである。
 昨秋、生還の報に接した時は、香川さんに「激励会を開く時はぜひ呼んでください」と頼んでおいたものだが、今回は「激励会は祝賀会になりますね」と返信することになった。山野井さんは既に先月23日に「朝日スポーツ賞」を受賞していることでもある。

 「植村直己冒険賞」といえば、昨年はシルクロード約1万キロを単独走破した中山嘉太郎さんに贈られた。中山さんは「ウルトラ・ランニング登山クラブ」のメンバーでもある。授賞式は6月初旬に植村さんの故郷の兵庫県・日高町であるそうで、同クラブによる祝賀会は7月の中旬に行われた。
 今年もそのころに行われることだろう。聞いてみたいことは山ほどある。とてつもないことをする連中の話には興味の尽きないものがある。


Feb.8 '03 < 朗報の季節(2) >

 「タマちゃんが住民登録される」
 おとといだったか、こんなニュースが流れた。アザラシのタマちゃんのことである。「本籍:ベーリング海、住所:横浜市〜……」
 これは、すぐにもカナダのタマさんに知らせなければならぬ。さっそくメールを送る。

 「こんにちは。おかげさまで、宮城第一女子高等学校に合格することができました。ご指導ありがとうございました。(多賀城、KS)」
 今日はこんなファクスが入った。宮城県第一女子高等学校といえば、通称「仙台女子高」で、県内のトップ校だ。6日に発表のはずだったが、連絡がないので「詰めが足りなかったかな」と案じていたところであった。
 課題は「きずな(絆)」だったという。練習答案では部活で人間関係に気を使ったというふうなことを書いていたから、材料は書き慣れたものの取り合わせで間に合ったようだ。
 それにしても、この学校には縁がある。昨秋上智大に合格した聖子嬢が、この高校の出身だからだ。

 土曜日ともなると、問い合わせの電話に加えて来訪者もちらほらと現れる。はや新学期に向けての動きが始まっているのだ。メールでも、内外を問わず問い合わせが入る。中には「クレジットカードは使えるか」といった質問もある。ぼつぼつマニュアルを用意する必要もあるか。「Q&A」形式がよいだろうか。


Feb.1 '03 < 朗報の季節(1) >

 「立命館中学に合格しました」。夜中近くにファクスが入る。京都の倫生(みちお)君からだ。受験するとは聞いていなかったのでびっくり! 
 立命館といえば同志社と並ぶ、いわば西の早慶だ。明日、さっそくお祝いの電話をしよう。倫生君には去年のメールマガジン6月第3週に登場もらっている。

 中学受験といえば、ドイツ・フランクフルトの彩子ちゃんは日本女子大付属中に、ヴェトナム・ホーチミン市の彩ちゃんは三輪田学園中に、それぞれ第1希望で合格したと、ようやく連絡が入った。
 二人とも合格発表のすぐ後、ドイツに戻ったり、帰国の手続きをしたりと、けっこう慌しかったようだ。

 一昨日は、久々に大学を訪ねる。朝は嘉悦大学、午後は明星大学へ。著書『論作文の奥義』改訂版を携えて赴く。本書・改訂版には両校での講座の成果を資料として使わせてもらっている。昨秋来、刷り上がったら届けると言っておきながら延び延びになっていた。
 大学ではこれから入試本番となる。両校とも「嵐の前の静けさ」のような緊迫感があった。これが過ぎると、各大学とも就職試験対策が本格化する。


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2002年

「朗報−2003年度」(1)(2) 「二重三重の慶事」 「『俳句かるた』復刊」 「受講生の分布」

「三内丸山遺跡」 「長崎平和宣言」 「広島平和宣言」 「通知表の絶対評価」

「ワールドカップ」(2)(1) 「OBからのたより」 「焼きホタテのウニソースかけ」

「メールマガジン」 「オホーツクだより」 「シルクロード走り旅」 「ファクスの山」

 「段落の機能」 「朗報ー2002年度」(2)(1) 「公務員試験の予想問題」 「年末年始」


Dec.3 '02 < 朗報(2) >

 早朝、「おかげさまで、上智大学に合格しました」というファクスが入る。
 前回、この下のNov.24に「難関に挑むS嬢は、焦らず、書く前のプロットづくりに時間を割いてくれただろうか」と書いたが、ファクスの文面によれば、そのとおり実行してくれたようだ。

 走り書きだが、喜びがあふれ、道場とのやり取りの模様も書かれているので、「大学入試の小論文」のページに収載しておくとしよう。タイトルは「上智」だから「ソフィア」、「最高の知」の意だから「叡智の丘へ」がよいか。いや、「叡智」はやっぱり「上智」だ。取りあえず「上智の丘へ」としておこう。こちらへ。


Nov.24 '02 < 朗報(1) >

 うれしい便りや朗報が続々届く。どれから書いてよいやら。この日記も日付を見れば3週間ぶりだ。その間にいろいろ溜まってしまった。少し分散させて書くことにしよう。

 「作文を始めて半年、記述問題にめきめき力がついて、今は最難関私立を目指している」という話は「小学生の作文」のページか、「添削マガジン・『光る文章』講座」にでも。
 「『俳句かるた』で育った私が、今度は娘に」という便りはどこがいいだろうか。やはり「『俳句かるた』復刊!」のページか。二、三日うちに決めるとしよう。

 今年度の大学合格第1号は静岡のY嬢だ。ソニーが経営する短大の保育科に決まった。文章の要約を通してみる彼女の読解力には相当なものがある。大学選びの幅は広いと思われるが、自分がやりたい仕事への道を選んでいることに好感がもてる。

 一昨日から今日にかけて受けている諸君にも、そんな傾向がある。それゆえに、アドバイスにも力が入る。電話での問答ともなった。K君は願書の段階で高い評価を得たはずだから、答案づくりは力まずに済んだことだろう。難関に挑むS嬢は、焦らず、書く前のプロットづくりに時間を割いてくれただろうか。

 就職関係の朗報も相次ぐ。Kさんは郵政に合格したという。しばらくフリーターをした後の受験だったが、郵便に関する体験談がよかったのだろう。近所の郵便局にすてきなおばさんが働いていたのだそうだ。

 社内昇進試験についても、うれしい知らせが届く。彼は30余歳。社名も業種も明かすことはできないが、超巨大企業で主任をしている。それが、論文が高い評価を受けて、課長へのステップに乗ったというのだ。論文の件は面接で分かったという。道場にとっては何よりの朗報である。


Nov.3 '02 < 二重三重の慶事 >

 3日前の午後、うれしい訪問者があった。医学関係の出版社に就職が内定したSさんと東京消防庁に合格したKくんが手を携えてやってきた。2人は婚約の仲である。
 Kくんは夏ごろに合格を決めていたのだが、Sさんのほうはなかなか決まらなかった。Sさんは早稲田大の政経学部に在籍する。書くものには味があり張りもある。こんな人は採らなきゃ損だと思うのだが、面接の段階ではいつも相当の人数が集まっていたようだ。女性の就職は超氷河期にあることを実感させられた。
 それだけに、喜びには一入のものがある。話の花は満開となり、2時間余りがあっという間に過ぎた。

 大学の推薦入試はこれからピークを迎える。このところは電話で質疑応答することが多くなっている。

 ドイツのNちゃんに続いて、ヴェトナムからAちゃんが作文講座に加わった。
 日曜・月曜にはファクスの出口がふわふわと盛り上がる。広島の大ちゃんは学芸会のことを書いたが、人には知られたくないと言う。福島の友ちゃんは宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」の劇がおもしろかったようだ。この二人には電話で話をすることが多い。


Oct.14 '02 < 『俳句かるた』復刊 >

 メールマガジンで少し触れたことだが、道場主はかつて「俳句かるた」を手がけたことがある。4半世紀も前のことで、話せば長いことながら、手作りのものが評判となって新聞にも取り上げられ、やがて当時の最高峰を監修に迎えて本格的な出版となった。

 水原秋桜子監修・俳句文学館編著「俳句いろはかるた」
 山口誓子監修・俳句文学館編著「動物俳句かるた」

 言うまでもないと思われるが、両氏は俳句山脈の芭蕉・蕪村・一茶、子規・虚子に続く第六・第七の高峰である。折角の支援であったが、出版事業は難しい。間もなく絶版のやむなきに至った。
 在庫が尽きて十数年になるが、毎年今ごろになると復刊の希望が寄せられる。それは一つに、読み札の裏にその句の解釈・解説があるためのようだ。だが、事業の難しさを思うと気が重い。それが、ある人の「予約を取って作ってみてはどうか」という助言に、にわかに「やってみようか」という気持ちになった。

 先月下旬、まず編著者に、次いで監修の関係者に相談したところ、いずれも「やろう!」ということになった。

 ならば、「俳句かるた」の内容の紹介から始めよう。それにはメールマガジンがよかろう。
 マガジン名は「『俳句かるた』マガジン・一句の味わい」というのは、どうだろうか。一句とその解釈を順に紹介することにしよう。
 それと並行して、上記二著の「俳句かるた」本体の紹介もしなければならぬ。ホームページに案内ページを設け、予約の受付も始めることにしよう。

     ……………………………………………………
< 受講生の分布 >

 イギリス、カナダに続いて、フランスからも便りがあった。これはメールマガジン第28号に紹介済みで、インターネットはまことにインターナショナルなものだと改めて感慨に耽っている折も折、ドイツから受講の申し込みがあった。これから2か月余り、Aちゃんと作文の練習をしていくことになる。練習課題には「海外生活で心に残っている体験」というものなどがあるから、やがて「ドイツだより」も生まれることだろう。

 目を世界に向けている折も折、国内では中国地方の町と東北地方の村から受講の申し込みがあった。国内の小学生は、メールマガジンの6月にも見られるように、東京・京阪神の生徒が主だが、地方にも情報が届いていたのだ。作文道場は、いわばマクロな世界に広がるとともに、ミクロの世界にも深化を始めたのだろうか。この縁を大事にしよう。新入生とは電話でコミュニケーションを図っているところである。 


Aug.12 '02 < 三内丸山遺跡 >

 「地下に真実、地上にロマン」
 青森の縄文遺跡・三内丸山を訪れた。その折、ガイドさんがそんなことを言った。べテランとお見受けする。ボランティアだそうだ。

 三内丸山のシンボルは六本柱三層のやぐらのような建物である。「大型掘立柱建物」と呼ばれる。底面(層)の縦横は8.4×4.2メートル、柱の太さが約1メートルで、高さが約16メートルある。
 案内書によれば、どんな建物であったか諸説がある中で、とりあえず祭祀的な公共の建物であっただろうと想定して建てたとある。なかなか豪壮堅牢な骨格であるが、これは飽くまで想像上の建物なのだ。間違いないのは直径1メートル・深さ2メートルの栗の木が6本埋まっていたことである。それがいろいろな想像をかきたてるのだが、おもしろいのは司馬遼太郎説である。

 4,000〜5500年前、この集落は海辺にあった。漁も盛んに行われていたことだろう。仮に陸奥湾の中であったにせよ、沖に出て日暮れまでに帰り損ねた舟もあったことだろう。そんな舟の目印のために、この高い所でかがり火をたいたのではないか、と司馬さんは書いているのだそうだ。まさにロマンである。

 この遺跡は、豊かな生活跡が数々明らかになったことによって、それまでの狩猟・採集生活という縄文観を覆したことで知られる。肉の燻製まであったらしいと、ロマンは尽きない。
 その夜、津軽の古老(と言っても、還暦を過ぎたばかりの方なのだが)との話では、当時この辺りは’しばれる’ような寒さはなく、温暖の地であったのではないかという話にまでなった。

 翌日は津軽平野の北辺から南を指して走った。
 「一点の偽りもなく青田あり」 山口誓子にこんな句があるが、それを地で行くような光景が広がる。両側には、家が点在するほかは、地平線まで水田が青々と広がっている。その真ん中を「米(マイ)ロード」が一直線に延びている。晴れていれば、その先に岩木山が見えるということだが、津軽富士の姿を想像するのもロマンか。


Aug.9 '02 < 長崎平和宣言 >

 「米国政府は、テロ対策の名の下に……国際社会の核兵器廃絶への努力に逆行しています」
 6日の広島市長に続いて、長崎市長からも力強い「平和宣言」がなされた。

 「……。昨年9月11日、米国で同時多発テロが発生しました。…… これを機に、アフガニスタンへの軍事攻撃や中東における紛争が激化しました。…… このような国際情勢の中で、米国政府はテロ対策の名の下にロシアとの弾道弾迎撃ミサイル制限条約を一方的に破棄し、ミサイル防衛計画を進めています。さらに、包括的核実験禁止条約の批准を拒否し、水爆の起爆装置の製造再開、新しい世代の小型核兵器の開発、核による先制攻撃の可能性を表明しています。
 ……。こうした一連の米国政府の独断的な行動を、私たちは断じて許すことはできません」

 日本政府もマスコミもなかなか言えないできたことを、きっぱりと言い切った感がある。
 これをひとこと、ここに記しておきたい。


Aug.6 '02 < 広島平和宣言 >

 「……『憎しみと暴力、報復の連鎖』を断ち切る和解の道は忘れ去られ、……」
 朝、広島市の平和記念公園の「平和祈念式」を中継するテレビから、こんな言葉が流れてきた。思わず、画面を注視した。広島市長が「平和宣言」を読み上げている。

 「近年、原爆の記憶は薄れ、最近では核兵器の使用される可能性が高まってきた」というあたりまでは、型どおりであったが、昨年9月のアメリカへのテロ攻撃に触れるあたりからトーンが高くなった。そして、アメリカのアフガン攻撃を非難し、ブッシュ大統領は広島・長崎を訪問するべきであること、また、アメリカには「パックス・アメリカーナ」を世界の人々に押し付ける権利はないことを説くに及んで、宣言の趣旨は最高潮に達した。

 従来の式典では聞かれぬ内容であり、声調であった。この宣言の趣旨を支えていかなければならぬと、身にしみて感じたことを、せめてひとこと、ここに書き記しておこう。


Jul.25 '02 < 通知表の絶対評価 >

 20日が「海の記念日」で、去年から終業式が1日早くなった。
 休みに入って通知表が集まり始めている。「絶対評価」が世上を賑わせているが、案じられた「5」の大盤振舞いはないようだ。生徒たちの間では「BBBBなのに、1が付いている子がいたよ」という話もあった。問題になるとすれば、こんなことであろう。おおむね妥当な評価と見受けられる。

 マスコミは何とかネタを作ろうとしているようだが、新指導要領批判は今のところ空振りのようだ。この模様は「8月の手紙」にでも書くことにしよう。


Jun.23'02 < ワールドカップ(2) >

 ワールドカップにはいろいろな感慨があるが、ここでは生徒の作文をもって締めくくりとしよう。宙ちゃん(小4)は一昨日こんな作文を書いた。題して『ぼくのワールドカップは終わった』(宙ちゃんはこのホームページのほか、メルマガにもたびたび登場している)。

 もうぼくのワールドカップは終わった。ワールドカップはまだやっているが、ぼくの応援国の日本もアイルランドも負けてしまったから、ワールドカップはすでに終わったのだ。
 アイルランド対スペイン戦の最後のペナルティーキックで最後のシュートを入れられたとき、ぼくは絶望で目の前が真っ暗になった。でも、何よりも一番ムカついたのが、親父がスペインを応援していて、アイルランドをメチャクチャにけなしたことだ。親父は「アイルランドなんか、でかいだけだ」など、いろいろ文句をぶっていた。親父はわがままな子供みたいだ。
 日本対トルコ戦でトルコにゴールを決められたとき、そのゴールは審判のミスで認められたもので、トルコの1点をなくしてほしいと思っていた。試合終了の長いホイッスルがなったとき、ぼくはアイルランド対スペインの時のように、また目の前が真っ暗になった。親父は2日間落ちこんでぶつぶつ言っていた。
 4年後にぼくは期待している。戸田とロイ・キーンが優勝に導いてくれるだろう。 

 ロイ・キーンというのはアイルランドのプレーヤーで、このワールドカップには監督とケンかをして出場しなかったのだそうだ。


Jun.9'02 < ワールドカップ(1) >

 日本がロシアに勝った。サッカーワールドカップで日本が初勝利を上げた。
 この1週間、日記に書いておかなければならぬことが頻発しているが、この一事は記しておかなければならぬ。電車はがらがらに空いて、道路にも車が少なかった日のことである。

 月曜日から3日間はメルマガの構成に何となく時間を取られる。ぼんやりと考えていて仕上げにかかれないのだ。その間、問い合わせや来訪者もいつになく多かった。JICAを受ける人、ホームページの地図を携えてやってきた。昇進試験にいよいよ取りかかろうという人、近ごろは官民を問わず、この種の試験が多くなったようだ。県警の一次試験をパスしたという人、……、今朝も、庭に小鳥のえさをまいているときに「文章修行をしたい」という青年が訪れてきた。

 という次第だが、今日はワールドカップの縁で、話題をサッカーに絞ろう。
 3日前の木曜日の夜、東経大の「フレッシュマンセミナー」の教授から添削答案についての礼状があった。この添削には10日ほどの余裕をもらっていたので、ゆっくり見ることができた。全38枚、一枚200字の答案だったが、余白にそれぞれメッセージを書いたのが歓迎されたようだ。

 礼状には、教授の本音も添えられていた。「ワールドカップが始まったので落ち着かない」とある。教授は往年の名プレーヤーで、学校の系統では中山ゴン選手の先輩に当たる。先週は札幌ドームで観戦して、あと2試合は会場に足を運ぶと言う。ワールドカップは、われわれ素人には、スピードとパス回しにうならされるものがある。ハイレベルで戦った経験者には、フォーメイションにもキック一つにも目の離せないものがものがあることだろう。察するに余りある。


Jun.2'02 < OBからのたより >

  先週の日曜日、うれしく、頼もしいメールが入った。卒業生のI君からである。I君は筑波大学の宇宙物理学科に進んで、今は大学院で研究を続けているということだ。
 現況報告に続いて、メールはこんな話から始まる。

 今日、インターネットで何気なく国分寺市の情報を検索していたところ、「作文道場」という文字が目に飛び込んできて、反射的に開いてしまいました。そして、その一風変わったテーマの道場主は、僕が瞬間的に思い浮かべたその人に異ならないことをすぐに知ったのです。

 作文道場のホームページを見て、その内容と閲覧総件数とから推察される活発さには大変驚きました。いや、そもそもホームページが存在していたこと自体が驚きだったのですが・・・。その驚きの勢いのままに今、筆、ではなくてキーボードを執っている?次第です。

 これに続いて、理系にも、いや、理系こそ言語能力が必要であること、家庭教師をしてみて国語の重要性を痛感したことなどが、連綿とつづられている。A4の用紙にして3枚余りある。一度には掲載しきれないので、順次、エッセンスなりと紹介したい。

 今日は早朝から夏みかん狩りに狩り出されて、静岡・由比の段々畑で大汗をかき、帰途、白糸の滝に寄った。


May 26 '02 < メールマガジン >

 メールマガジンに手間暇をとられているうちに、日記がまたもや月記となってしまった。
 そのメルマガが公務員試験のシーズンを前に、受講生の役に立ち始めている。合格者の答案には強みがある。それに、例文のみならず「論理構成」の話、特に「起承転結」や「三段論法」の当否を示しておいたのもよかったようだ。電話やメールでの問い合わせに答える際の役にも立っている。話すよりも読んでもらうほうが理解が確実だからだ。

 そのメルマガの6月は「小学生の作文」である。
 人選に苦労する。作品には事欠かぬが、それ故に、どれを選ぶかが難しいのだ。選び始めると、あれも載せたい、これも載せたいとなる。4回分では足りない。そこで、今月は’書き直した答案’を省いて、その代わりにもう一人分を載せようか、そうしよう、ただし、「添削マガジン」の名に背かないよう1回は添削例を載せようか、そうしよう、と相成る。
 本人と親御さんの了解を得るべく、掲載形式の案内をようやく始めたところである。

 「こちら北海道は、日中だいぶ温かくなってきました。しかし、夜になるとストーブが必要な時もあります。牧草地には新緑がはえそろい始め、一部の酪農家では放牧と言うよりは日光浴をさせるために、牛を放っています」と、Telお姉さんから「オホーツクだより」があった。


Apr.28 '02 < 焼きホタテのウニソースかけ >

 「ホタテの焼いたのにウニのソースがかかっていた」
 生徒の作文にこんな一節があった。題して『おじいちゃんの料理』。遠来のいとこがやってきたある日、おじいちゃんが自分の店に両家族を招いてご馳走してくれたというのだ。大皿の刺身を真ん中に、かぼちゃサラダ、ウナギのかば焼き、炭焼きステーキなど、次々出てくる中に、ホタテのウニソースかけがあったという。

 超高級料理であろう。ウニなど、すし屋ではそういくつも食べられるものではない。おじいちゃんの店だから、ご馳走してもらえたのだろう。それにしても、うまそうだ。おそらく珍品、逸品であろう。作文の結びには「おじいちゃんは日本一」とあった。
 これは実は、3、4年前の作文である。

 話を今日に戻して、10日ほど前のこと、仲間内3人で飲み会をやろうとなった。そのとき、不意にこの作文を思い出した。あの店に行ってみよう。高嶺の花を賞味するのも偶にはいいではないか、と相成った。
 おじいちゃんの店は、国分寺駅の南口を東へ、東京経済大学方面へ行く途中にある。「かや乃」という。小料理屋といった趣の小さな店で、大小三つのテーブルに十数人も入ればいっぱいになる。その日は朝のうちに連絡をしておいたので、辛うじて三人分の席を空けておいてくれた。しかも、ホタテも3人分を取ってあるという。

 後で分かったことだが、この「焼きホタテのウニソース」はいつもあるわけではない。ウニの値段の下がった時に仕入れてくるのだという。それは、高い値段をつけるわけにはいかないからということだった。逸品にありつけたのも、財布が空にならなかったのも、まことに幸運だった。それもさることながら、この味を作り出したおじいちゃんは、やはり日本一だ。

 ついでながら、この店には東経大の教職員の人たちがよく寄るそうだ。この日も、隣席ではそれとおぼしき人たちが労をねぎらい合って飲んでいた。これも縁であろうか。その日は昼過ぎに、当の大学に打ち合わせに行ってきたばかりであった。連休明けの8日、9日に「フレッシュマンセミナー」で、ひとこと話せと言う。

 名のとおり新入生のゼミだが、「大学時代に打ち込んだこと」という題で、3年後から振り返る格好で書いてもらおうかと提案してきた。
 そのうちに、この店で打ち合わせをしたり、慰労会を開いたりすることになるかもしれぬ。


Apr.21 '02 < カナダだより >

 「オホーツク海の流氷はもう消えました」と、メールがあった。Tel子さんからだ。
 まだ当然どっかと居座っているものと思って尋ねたのだが、いつ消えたのだろうか。北海道にも着実に春は来ているのだ。

 カナダからもさっそく便りが届いた。ナイアガラの滝とトロント市街のスカンクのことが書いてある。追って「交歓会場」ででも紹介しよう。
 続いて『届きました!白い筒なるものが!和紙にくるまった其の物は、まさしく「作文道場」から届いた「過去問題」とシャキッとした「原稿用紙」。しっかと受け取りました』と入る。
 答案をファクスでやり取りする関係で、答案用紙には筋目が入らないほうがよいだろうと考えて、用紙類を円筒形に巻いて、それを防水和紙にくるんで送ったのだが、それが太平洋か北極海を越えて1週間の旅をして届いたのだ。いささかの感慨がある。

 3月、4月は新入生を迎える月である。小学生は主に作文で、中学生では文章の要約が多い。それが、高校生となると半々になる。
 今日は兵庫のNくん、京都のTくんのために棚の引出しを空けねばならぬ。三日にあげず新旧交代は続く。


Apr.14 '02 < シルクロード走り旅 >

 昨日はカナダへ答案用紙と過去問のコピー12回分を送る。久々の海外である。
 いずれ、『ナイアガラだより』か『五大湖周遊記』でもお願いしようと思う。あるいは、野球好きなら『ブルージェイズ情報』か、彼女はトロントに住んでいる。

 今日は午後、中山嘉太郎さんの「シルクロード単独走り旅報告会」に出かける。中山さんは中国の西安からトルコのイスタンブールまでの9,300キロメートル余りを走破して、植村直巳冒険賞を受けた。念のため、伴走車も伴走者もなく、独りズックで200日余りをかけて走ったのである。その受賞祝賀会が「日本ウルトラ・ランニング登山クラブ」の手で行われた。

 同クラブの会長の香川澄雄さんは「日本三百名山」をランニングで完登したことで知られる。同クラブの会員は、日本各地で行われる100キロ、200キロレースの常連で、500キロぐらいは朝飯前といった感じである。女性も少なからずいる。
 報告会兼祝賀会は江戸川区民会館で行われた。


Mar.31 '02 <ファクスの山 >

 日曜日から月曜日にかけては、ファクスの出口が答案でふわふわふわと盛り上がる。今日も午後、多摩川べりへ名残の桜見物に行って戻ると、受信機にかぶさるほどになっていた。
 作文を土曜日・日曜日に書く諸君が多い。先月辺りからこの傾向が顕著になった。ファクスの受信機は壁から20センチ余り離してあるが、もっと離しておかないと、紙詰まりを起こすかもしれない。
 このため、デスクの端から落として受け皿に溜めることも考えたが、受験生の答案を落とすわけにはいかぬ。やはり、盛り上がってくれるほうがいい。このままにしておいて、故障が起これば、その時少し壁から引き離すことにしよう。

 答案が盛り上がるといえば、それを収納する棚の引出しもいっぱいになってきた。引き出しの箱一つにはB4サイズの用紙が約300枚入る。それが3列40段、計120箱ある。
 一人に一箱を充て名札を付けているのだが、箱は教材の仕分けに使っていることもあって、満杯状態が続いている。兄弟姉妹のは取りあえず同じ引出しに入れている。だが、これもはみ出し加減である。
 現役優先で、古い答案は別の箱に収めることにしよう。思い立ったが吉日。どこかで思い立たねばならぬのだ。


Mar. 3 '02 < 段落の機能 >

 昨夕の「合格祝賀会」には感慨一入のものがあった。慎也くんが大勝負に出て、3日前の発表で合格を果たしたのである。希望の都立高の倍率が1.3倍にもなったため、願書の差し替えをするかどうか迷ったが、内申点の不足を得点で克服する勝負に出たのだ。

 既に推薦で私立を一つ確保していたので、相談を受けたときは次のように話した。倍率の低い都立高校とその私立高校ではどちらがよいか、通学に時間がかかるという点を除けば、その私立高校に遜色はない。だから、希望を下げるには及ばない。また、結果として受かっていたと分かると、後悔の気持ちが後味の悪さとなってつきまとう。380点を目指してがんばれ。それがだめだったら、きっぱりと私立に行けばよいのだ。
 勝算がなかったわけではない。しかし、スリルのほうが大きかった。

 祝賀会は「讃歌・勇士は還りぬ」の歌で始まる。戦場に赴いた兵士が勝って帰った時に、それをたたえて歌われる歌である。歌詞は次のようなもので、メロディーは、甲子園で優勝旗を授与する時などに演奏される、あの曲である。

     『若き日は再びあらず、歌えよ、いざ、よき友よ
      若き日の涙を分かち、歌えよ、いざ、よき友よ
      幸い満ちたるこの時よ、幸い満ちたるこの時よ
      若き日は再びあらず、歌えよ、いざ、よき友よ』


 その2日前、2月28日(木)にはメールマガジンの第3号を配信した。技術的には順調である。
 その日の午後、嘉悦大の「論作文講座」で、演習答案の検討を行った。「段落」のくだりでは、ちょうどメールマガジンに次のように書いたばかりであったので、これも話の材料になった。

   ○ 段落の機能
     ・ 意味のまとまりを示す。
     ・ 文章にメリハリをつける。
     ・ リズムを生み出す。
     インターネットや Eメールでは段落の頭落としをして
    いない文章によくお目にかかります。一字下げる作業が
    面倒だからなのでしょうか。
     考えなり情報なりをよく伝えるためには、段落の形を
    活用したほうがよいと思いますが、どうでしょうか。

 嘉悦大では一人一人にパソコンを貸与して、いろいろな講座も設けている。そこで、頭落としについて聞いてみたところ、授業では「段落の初めは一字下げる」と習っているとのことであった。大いに安心する。
 思うに、「段落」は明治以降の輸入文化の中でも優れたものの一つである。今、インターネットの世界ではその優れたものが、欧米の影響でか、崩れようとしている。どうか、その波に流されることのないようにと、切に祈る。


Feb.21 '02 < オホーツクだより >
 「オホーツクだより」が届いた。北海道のTelちゃんからだ。Telちゃんと気さくに呼んでいるが、生徒・学生諸君にとってはお姉さんだ。大学を卒業したあと、獣医さんを目指して論文の練習に励んでいる。
 数日前、添削答案に次のように書き添えた。
 「そこから流氷は見えますか。道場の生徒たちに『このファクスはオホーツク海に面した町から送られてきているんだよ』と話しています」
 さっそくメールを送ってきてくれた。

 生徒さんに北海道の、私が住んでいる興部(おこっぺ)について少し紹介します。
 その前に、私の実家は福島県です。
 興部に来て早2年が過ぎました。ここは、自然があふれている酪農と漁業の町です。森からは鹿、狐、たぬきが出てきます。オホーツク海が車で1分もかからないくらいの所にあります。夏にはカレイ、キンカイなどの魚が釣れます。また、道路脇の草原で草をほおばっている牛が見ることができ、のほほんとした雰囲気が楽しめます。秋にはサケやマス釣りが楽しめます。(去年は砂ガレイやマスを釣りました。サケは釣れませんでした。)
 冬は「鼻の中に霜柱ができてるんじゃないの?」と思うくらい寒いです。今年は少し温かい冬ですが、去年は−28度(早朝)という日が何日もあり、私の仕事上、朝早くに出なくてはいけないため、靴下2枚はいて仕事に向かっていました。
 しかし、そんな辛さも消してくれるような流氷が1月下旬ごろ南下してきます。オホーツク海一面に流氷が敷きつめたときは、まさに壮観の一言です。空と海の境界線がはっきりとわかります。去年ガリンコ号といって流氷を砕いて走る船に乗りました。船上から天然記念物のオジロワシを見ることができました。
 北海道の冬は凍えますが、さわやかな夏があるので耐えられるのかもしれません。ホッカイドウはデッカイドウって感じです。

 北海道紋別郡の「興部町」が「おこっぺ」とは、新鮮な感動であった。北海道はまだ荒らされていない。


Feb.20 '02 < 朗報(2) >

 午後10時に、メールマガジン「『光る文章』講座」第2号の配送予約を終える。明21日の午前1時に配送が始まる。創刊号の読者数は630人であった。この1週間はもてるメールアドレスでの紹介も行う。第2号では60人くらいが増えると見込まれる。

 今日は未明に「お待たせしました!!」というメールが入った。uririn さんからだ。ちょうど1か月前の「出ました!」の試験の、合格の知らせである。
 思わず、「やったね!!」、Congratulation! と書いて返送する。

 合格の報といえば、和哉くんが立教に次いで、中大付属、明大明治にたて続けに合格した。「小学校の時から作文をやっていたのがよかったのかしら」とはお母さんの弁である。そういえば、去年、将徳くんが国分寺高に合格したときも、お母さんが同じようなことをおっしゃっていた。そう考えて間違いはない!と、しよう。

 思えば、ホームページの「更新情報」を入れるのも一週間ぶりである。メールマガジン関係のほか、大学への出講の準備にも追われていたのだ。明後22日が明星大学、そのあと、25・28日が嘉悦大学となる。配布資料の作成も今日で終わった。
 講座のテーマは「職業は人生のバックボーンである」(カント)としよう。


Feb.8 '02 < 朗報(1)>

 「合格しました」。昨夜、宮城・多賀城市の希(のぞみ)さんから電話があった。希さんは高校の推薦入試を目指し、暮れから正月にかけて4つの課題で練習をした。「練習したことがみんな、面接でも役に立ちました」。

 1月末から2月にかけては高校入試の季節である。溜めないうちに、ここでいくつかの話題を整理しておこう。

 希さんは叔母さんの紹介で受講したのだが、叔母さんは仙台の Natchan のお母さんに当道場を紹介されたとのことであった。(Natchanには「白雲まねく駿河台」に登場してもらっている)。ネット上のことも口コミで広がるようになったかと、ほのぼの感慨を覚えたものだった。
 昨夜は叔母さんからも報告のメールが入った。次のような、お祝いの返信をする。

 おめでとうございます。
 当初予想したように、すてきな答案が送られてきました。
 最初の電話で「利発だな」と思ったそのままに、作文は明快でした。それに加え、学校・部活では思いやりがあり、家庭では弟妹の面倒見もよいようで、総合的にはそんなところも評価されたことでしょう。
 お母さんのような仕事をしたいということで、短大を目指すとも書いてあったのですが、学力には十分なものがあるから、芸術系の大学でも目指すといい、そうすれば、もっとよい「花嫁づくり」の仕事ができるだろうと、そんな話にも花が咲きました。
 希さんはすてきなパーソナリティーをもっておいでなので、このままどんどん伸びていってくれることを願っています。どうか、引き続き応援してあげてください。

 通学生では、和哉くんが「西武文理学園」の推薦合格を決め、一般入試で「立教高」にも合格し、さらに名門校への挑戦を続ける。他の諸君も推薦入試で足場を固め、それぞれに本命を目指している。
 
 お話変わって、道場ではメールマガジンを出すことにした。題して「添削マガジン・『光る文章』講座」という。今日の未明に「まぐまぐ」から「承認」のメールが入った。来週木曜日(14日)に創刊となる。発行のいきさつについてはこちらで、概要とサンプルはこちらで。
 


Jan.20 '02 < 公務員試験の予想問題 >

 「出ました!」
 夕方メールを開くと、この見出しが目に飛び込んできた。uririn さんからだ。今日受けた試験の報告である。
 uririn さんは区役所の試験を受けている。実は昨秋、調理職を受けて教科は合格したのだが、実技で不覚をとった。そこで、包丁を買ってきて、’my 包丁’で夜な夜な練習をしたとかいうことだ。作文のほうは年明けから再度いくつか練習した後、一昨日、「職業」という題で「仕事に対する心構え」をテーマに練習をした。それがズバリ的中したというわけである。
 今回は実技がなく適性検査であったが、これは全問できたという。人事を尽くして天命を待つところとなった。

 と、ここまで書いて思い出すのは、昨年来懸案の「いろいろな採用試験」のページづくりである。uririn さんにも登場してもらわなければならぬ。ファクスでやり取りする過程に実りがあった。当のページづくりを思い立ったのは、一つはその実りを取り上げたかったからである。
 今日はせめて扉(表紙)だけでも仕上げて入れておこう。名前はもっと短くして「答案百花」としよう。こちらへ。


Jan. 1 '02 < 年末年始 >

 遠ざかるレールの彼方初日の出

 これが草原を走る列車からの眺めであれば、「遠ざかる鉄路の地平……」とでもなるところだろうが、これは東京西郊を走る青梅線での光景である。青梅線の下り・奥多摩行きの列車は拝島駅を出ると間もなく、西北方向の直線に入る。
 もう初日が昇る頃だと、電車の最後尾でカメラを構えていると、車掌さんが「どうぞ」と言って車掌室に入れてくれた。何と、レールを真下にして後方を見ることができる。折しも、電車が直線に入ったところであった。

 めくるめく光の中でシャッターを押した。
 思い返せば、こんな句の光景だった。8年前のこと、冒頭の句はそのときの感慨である。

 今年はファクス添削の答案が、昨日から今日にかけても、断続的に入ってくる。通学生には暮れの2日と3が日を休みにしているが、通信生には制限を設けていない。その代わり、空いた時にということにしてもらってある。昨日の大晦日は大学転入学のTさん、高校推薦入試のKさん、Sさんのを見て、注連飾りのくくりつけにかかる。今日はお屠蘇が醒めて年賀状を書き、大学受験のDくん、中学受験のYくんの2つを見て、夜は友人・知人・家族混交の宴となる。

 暮れに書きかけて入れ損ねた話を載せておこう。

Dec.28 '01
 今日は冬期講習の中日で、午前中はゴリちゃん(中1)、大ちゃん(小6)、哲ちゃん(小5)の3人が集まった。10時半に休憩をとる。みんな、この日は特にこの時間が楽しみだった。大阪の慧ちゃんとお母さんから、昨日、お土産が届いていた。「………ゴリちゃんにもよろしく」とある。ゴリちゃんは毎週、慧ちゃんの作文を読んで、「講評」に感想を書き添えている。その縁で、お土産が届いたのだ。同じ昨日、慧ちゃんの作文もファクスで届いていた。題は「USJへ行ったこと」とある。USJは Universal Studio Japan というのだそうで、西のディズニーランドとして名を馳せている。そこからのお土産で、宅急便で届いた。
 おもむろにゴリちゃんが封を切った。円い缶のふたに、’Back to the Future.'という文字が見え隠れする。缶を開けると、中味はビスケットだった。シナモンの香りが漂う。
 ゴリちゃんがさっそく「講評」に、作文の感想とお礼を書き添え、なおかつ、余白に大ちゃんが「ラッキーだった」旨のお礼と「哲ちゃんが缶のふたが気に入ってほしがっているよ」と書き添える。(「USJ」の作文とこの日のことは、追って「作文ワールド・Ⅱ」に収載することにしよう)。


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2001年

「ユニバーサル スタジオ ジャパン」 「朗報相次ぐ」 「チラシ考」 「答案のコピーの整理」

「レコーディング エンジニア」 「作文ワールドⅡ」 「夏の朗報」 「寄贈本文庫」

「夏期講習あれこれ」 「面接カード」 「著書改訂」 「加賀氷室」 「国語の方針」

「岩波ジュニア新書」 「山村留学」 「物語を絵にする」 「出張講座(2)」 「朗報相次ぐ」

「出張講座(1)」 「古典の勉強と作文」 「嘉悦大学」 「長寿の村のユズ」 「相互リンク」


Dec.28 '01 < ユニバーサル スタジオ ジャパン >

 今日は冬期講習の中日、午前中はゴリちゃん(中1)、大ちゃん(小6)、哲ちゃん(小5)の3人が集まった。10時半に休憩をとる。この日は特に、みんなこの時間が楽しみだった。大阪のKちゃんとお母さんから、昨日、お土産が届いていた。「………ゴリちゃんにもよろしく」とある。

 ゴリちゃんは毎週、Kちゃんの作文を読んで、「講評」に感想を書き添えている。その縁で、お土産が届いたのだ。同じ昨日、Kちゃんの作文も届いていた。題は「USJへ行ったこと」とある。USJは Universal Studio Japan というのだそうで、西のディズニーランドとして名を馳せている。そこからのお土産だった。宅急便で届いた。
 おもむろに、ゴリちゃんが封を切った。缶のふたに、’Back to the Future.'という文字が見え隠れする。缶を開けると、シナモンの香りが漂ってきた。

 ゴリちゃんがさっそく「講評」に、作文の感想とお礼を書き添え、なおかつ、余白に大ちゃんが「ラッキーだった」旨のお礼と「哲ちゃんが缶のふたが気に入ってほしがっている」旨を書き添える。(「USJ」の作文とこの日のことは、追って「作文ワールド・Ⅱ」に収載の予定である)。


Dec.14 '01 < 朗報相次ぐ >

 剛くんの期末試験が終わって、今日から『法隆寺を支えた木』(西岡常一・小原二郎著、NHKブックス)の会読を再開する。これは、推薦入試に備えて一学期から読んでいた3冊のうちの、残りの一冊である。剛くんは既に合格を決めている。東洋大学工学部・環境建設学科の指定校推薦に応募してパスした。今月3日に合格の報が入った。

 その後すぐに高校生は期末試験に入ったため、忙しさにかまけて合格の記録も今日になってしまったのだが、これは一つは剛くんのユニークさのせいでもある。合格したから期末試験は軽く流すのだろうと思っていたところ、いつものようにきちんと受けると言う。特に現国は、試験範囲の『科学と世界観』(村上陽一郎)や『ヴェニスの商人の資本論』(岩井克人)がおもしろいから、読み直してみたいのだという。お陰で、もう解放してくれると思った対策問題作りをさせられるはめになった。仕事が二つ余分に増えた思いだったが、本人は設問に楽しそうに答えていた。これが本当の勉強なのかもしれない。

 そんなユニークな剛くんだから、『法隆寺を支えた木』を読み終えようという気にもなるのだろう。これから3月まで、これと並行して「Weekly Student Times」のコラムやエッセイを読んでいくことにしている。ちなみに、剛くんは「作文ワールド」の『突き指』の作者である。6年前は「T.M.」という名で登場している。こちらへ。

 朗報、相次ぐ! 仙台の Natchan のことも記しておかなければならない。明治大学文学部・英米文学科の自己推薦特別入試に挑戦し、今月1日に二次の小論文の試験があった。待つこと久し、昨夜、合格通知が来たと、まずお母さんから電話が、続いて本人からファクスが入った。一次選考でパスした後の、短い間のことであったが、ドラマがあった。いずれ、「早稲田の杜へ」に続くドキュメンタリーとして紹介したいと考えているが、差し当たって題だけが、校歌をもじって『白雲まねく駿河台』と決まった。こちらへ。


Nov.18 '01 < チラシ考 >

 答案の添削は珍しく昨夜にうちに片づいていた。今日は日曜日。
 そこで、前々からの懸案に取り組む。この1年余り、広報はもっぱらホームページに頼って、チラシの配布を怠っていた。近所にも通学生にも、インターネットを備えている家庭は、まだ半数まではいかない。

 当初は通学生とのやり取りを核に書き方や作品、成果を発信していたのだが、通信添削を始めてみると、そこからの成果も大きくなった。これを収束して発信する必要もある。それをどういう形でチラシに載せるか。
 ふと、トップページの「近道」の一覧表はどうだろうか、ものは試しと決めて、作業に取りかかる。

 昼ごろ、メールを開くと、朗報が飛び込んできた。

  今日 一次試験の合格通知がきました!!
本当にうれしくて涙がでました。

 先生のおかげです。本当にありがとうございました。

 まだ実技に面接にと不安ばかりですが、とにかく470人近い中から一次に受かって、感動しました。

 絶対、二次試験もがんばります。

 最終の結果は12月の後半ということなので またご報告します。

 本当にありがとうございました。

 「uririn さん」からだ。中身がよかったのだろう。彼女は物事に真正面から取り組んでいる。その姿勢が評価されたのだろう。「その姿に持ち味があるので、そのまま面接に臨むように」と、返信する。

 このメールで、実は、もう一つの懸案を思い出させられた。先日、といっても、2週間前のことで、このすぐ下に書いてあるのだが、それというのは、多彩な「光る答案」の特集ページを設ける件である。トップページには「いろいろな採用試験」というタイトルで予告の形にしてあるが、カリン嬢と並んで、uririn さんも特集に登場してもらいたい一人なのだ。
 こうなると、このほうの段取りも早くつけなければならぬ。


Nov. 4 '01 < 答案のコピーの整理 >

 今日は朝から夕方まで答案のコピーの整理をする。「オンライン添削講座」の公開に備えるためである。昼食の前後はテレビの大リーグ・ワールドシリーズ、ダイアモンドバックス対ヤンキース第6戦を横目に見ながらの作業となった。試合は投手戦になるかと思われたが、意外にも早ばやと大差がついてしまった。これで対戦成績は3勝3敗のタイとなり、明日が最終決戦となる。それはともかく、……

 棚の引き出しの答案のコピーは、400枚入りの箱にして8つ分になっていた。ここ3年ほどで約3000枚も溜まっていたことになる。添削した答案については全てコピーをとっておく。これは、受講生の問い合わせに備えてのことである。ふだんはそれを講座別におおよその見当で2〜3の引き出しに振り分けて入れておく。ところが、回を追ってあの人この人の答案が入り交じりると、「あの答案」が捜しにくくなる。このため、奮起一番、コピーの山に分け入った。

 答案を添削していると、構成のしかたや表現について、「例えば、こんなふうに……」と言いたくなることがよくある。著書をもってくれている人にはページを指示すれば済むが、そうでない場合、説明が長くなったりサンプルをつけたりしなければならない。このため、オンラインの受講生向けに、範例ページの必要を痛感していた。

 範例といえば、いい答案も多い。「光る答案」は多くの人に見てもらいたい。これに加え、最近こんな電話があった。「ひとことアドバイスしていただいたお陰で、作文が生き生きしてきました。自分がその中で動きだしたような気がします。不思議です」。東京・多摩のカリン嬢からである。こんな感想はメールでも入るが、今回はこの電話に後押しされた。

 一人分ずつを並べてみると、実に多彩である。大きくは大学受験と就職試験に分けられる。前者には社会人入試や医学部編入試験があり、後者はさらに入社試験と公務員試験に分けられ、職種は一般職のほか、看護、介護、郵政、警察、消防、薬剤、JR、花屋、日本赤十字社、……と多岐に渡る。社内の昇進試験や転職に関わるものもある。
 
 既に小学生用には「作文ワールド」があるが、成人用にも同種のページが要りそうである。段取りがつき次第、このページ、あるいは、「トピックス」から発信することにしよう。


Oct.12 '01 < レコーディング エンジニア >

 夕方、朗報が入る。

 さきほど、合格通知が届きました。
 無事合格できたのは、先生のおかげです。
 また、添削をお願いするときがあるかもしれませんが、
その時はよろしくお願いします。
 本当にお世話になりました。

 三重県のN君からだ。N芸術大学の音楽学部に推薦入試で望みを叶えた。今年の大学受験の合格第1号である。
 折り返しお祝いのメールを送る。彼はギター好きで、レコーディング・エンジニアを目指している。

 おめでとうございます。
 熱意が通じましたね。ああ、よかった!
こちらもうれしさがこみ上げてきます。

 話は少しかわりますが、このごろのFM放送は音が
すばらしいですね。おしゃべりや歌が邪魔だなと思う
ことがありますが。それはともかく、こんな音ファンが
いることも覚えておいて下さって、いい音楽ができた
らお知らせください。

 まずは、お祝いまでにて、向後の活躍に期待いた
します。
                作文道場 坂口允史

Sep.21 '01 < 作文ワールドⅡ >

 ようやく「宙ちゃんの作文」を紹介する準備が整った。
 夏休みの間にかわいい受講生が増えたこともあって、休みが明けたら小学生の作品を紹介しよう、トップバッターには宙ちゃんがいいな、ちょうどイルカが空中に跳び上がるダイナミックなテンプレートがあるから、あれを表紙部分に使ってみよう、そうすると、「作品展示場」の「作文ワールド」とは区別しなければならぬ、「作文ワールド・パートⅡ」とでもするか、そんなことをあれこれ考えながら着手したのだが、9月に入ってなぜか増えた各種試験の対応に追われ、ページの体裁を整えるのにも手間取った。
 やっと2つの作品を入れただけだが、こちらへ。順次、新入生諸君の作品も紹介していくことにしよう。


Sep. 7 < 夏の朗報 >

 朗報が相次ぐ。
 一昨日、A嬢(7月17日付のA嬢)より、横浜市の福祉職に合格したとのファクスが入った。
 同じところを受けたK嬢はどうなっただろうかと思っていたところ、昨日、厚生労働省に合格したとの電話があった。
 そして、今日はR嬢(「交歓1」に登場願った京都のHohohdohさん)から愛知県警に合格したとのファクスが入った。
 それぞれ、ファクスや電話の中身を記しておきたいが、いずれ、公務員講座のページで紹介することにしよう。

 季節が移って、道場では授業も通信講座も、推薦入試、編入試験、社会人入試へと衣更えをする。


Aug.31 '01 < 寄贈本文庫 >

 夏期講習は今日でひと区切りがついた。通学生の家庭への報告は、下記17日付の日記をもって代えさせてもらう。

 通信添削も賑やかになった。小学生から各種受験生まで、紹介したい作品も多い。
 「交歓会場」には「宙ちゃんの作文」特集を考えている旨を記したが、通信のほうでも楽しいものが増えているので、小学生の作品については『作文ワールド』の第2部を設けることにする。イルカが飛び跳ねるなど、画面に動きも出そう。

 各種の入試や就職試験の答案についても、「Gallery・作品展示場」、その他で順次紹介していこう。この秋は作品紹介の季節になりそうだ。芸術の秋にふさわしい作品を、などとは考えずに、「光る文章」のほか、添削の過程なども紹介したい。

 17日付の末尾に寄贈本のことを記したが、4、5日前に、次の書状が届いた。道場主の高校の同窓生からである。

 猛暑の毎日が続きますが、お変わりなくお過ごしのことと存じます。
 さて、このほど、『海軍病院船はなぜ沈められたか』の出版にようやく漕ぎつけました。テーマとしてから8年、本格的に取材に着手して4年、時間を見つけては書き進め、何とか形にすることができました。
 50年以上前の戦争中の、ひと口でいえば、片隅の「戦争秘話」です。数奇な運命をたどった一隻の船の航跡を軸に、その船にかかわって、あの不幸な時代を生きた人々のエピソードを織り込んだ物語に、という意図で進めてきました。肩ひじ張った言い方をすれば、ささやかではあっても、歴史の断片を残しておこうという思いがあります。
 半世紀も前の事件に、今どき興味をもつ人は少なく、まして50代以下の人々には知識もない、およそ一般受けしそうもない本です。そんなことは承知の上で進めてきたものではありますが、当人はそれなりに真面目です。できるだけ多くの人に手にとってもらえればと願っております。
 大手書店には8月10日頃から出ています。ご一読いただければ幸いです。
                                       三神国隆

 本人も言うとおり、一般受けしそうもない本である。だが、広く世に紹介するに値する。こんな本がこれからも寄せられるかもしれない。そこで、『寄贈本文庫』のページを設けることにした。こちらへ。
 なお、愛寿先生の『55歳からの安心海外旅行術』は、愛寿特集ともいうべきページに併載してある。こちらへ。


Aug.17 '01 <夏期講習あれこれ >

 とうとう日記が月記となってしまった。夏休みの前半の話題をいくつか書き留めておこう。

 ○ 高3の剛久くんは『法隆寺を支えた木』(西岡常一・小原二郎著、NHKブックス)を読み、要約のメモをとっている。4月来、同種の著作のメモは3〜4冊になる。建築学科の推薦入試に備えているのだ。
   英語の文法や読解の授業の合い間にそのノートを見せてもらっている。ヒノキというのはすごい木のようだ。

 ○ 高1のトッくんは、大学入試の国語の難問に取り組んでいる。英語が学年で連続2番という成績に気をよくし、早や大学に向け満々の意欲をもっている。ところが、国語を少々苦手としている。そこで、国語の強化をという次第あるが、苦手だから基礎、基本をといっていては、いつまでも壁を打ち破れまい。『読書百遍、義自ずから通ず』。密度の高い文章を繰り返し読むことによって、咀嚼力のつくことが期待される。
   よく読んでいるかどうかは設問の正解率、なかでも、記述問題の文章に表れる。達成率は、講習半ばで50%に近づいている。

 ○ 中3のカズくんは高校入試の勉強のかたわら、「文法の体系」に取り組んでいる。捉えどころがないと言われる国語の勉強の中で、ここには形がある。体系の中心は「用言の活用」である。これが分かれば、品詞と合わせて文法の骨格が見えてくる。その骨格がしっかりするにつれて、例えば品詞の細かな識別がつくにつれて、読解の精度が上がる。文法力は国語力のバロメーターである。
   ふだんはなかなか「体系」にまでは手が出ないが、助詞・助動詞を習った後の夏休みは、文法全体をまとめるチャンスである。

 ○ 中2のカンくんは、シニアリーグの野球の合い間を縫って、夏期テキストに取り組んでいる。一応、一定範囲を宿題にしてあるが、時間が足りなければここに来てやってもよいことにしている。宿題を義務と感じると、そそくさと片付けてくることになりかねない。カンくんはそれに安心したのか、態度に余裕が見える。正解率が高くなった。
   これを見てか、ショウくんもトモちゃんも夏期講習を受けることになった。二人とも最初は部活を理由に躊躇していたのだが、遅ればせでも、いざ始めてみると、ふだんに増して作業がはかどっている。

 ○ 遅れてやってきたといえば、山村留学のはるかちゃんが戻ってきたことも挙げておかなければならない。信州・南アルプスの麓の村から一時帰宅をして、「夏期講習」に加わった。寮の「だいだらぼっち」での生活は楽しくてたまらないようだが、中3だから高校のことを考えなければならない。とはいうものの、10日余り、8回講座を受けて村に帰ってしまった。寮生活が忙しいようだ。学校も、20日から二学期が始まるという。テキストの勉強が少し残ってしまった。これはファクスで片付けようということにした。

 そのほか、新入のKさん・Sさん姉妹のこと、小学生の宙くんや壮くんのことなど、話題は尽きない。これらは次の機会に譲ろう。
 道場は11日から8日間盆休みに入った。その間、2つの著書の贈呈を受けた。一つは、「英語対訳パルノート」の考案者の中澤元喜氏から、もう一つは、「世界の国総めぐり」の愛寿先生からである。それぞれ、書名は『基礎からわかる「コンピュータ英語」』、『55歳からの安心海外旅行術』という。
 前者については、道場主が作業を手伝ったという経緯もある。追って、「トピックス」のページなどから紹介するとしよう。
 


Jul. 17. '01 < 面接カード >

 今朝、受講について急ぎの電話があり、午後、A嬢が訪ねてきた。横浜市の一次試験をパスし、次の日曜・22日に論文試験があるのだという。同じく一次をパスしているK嬢の紹介だった。
 このところは国家2種試験よりも、地方上級試験の答案を見るほうが多い。中でも、横浜市の人気が高い。
 人気の高さには納得できる。横浜市の出題はユニークである。これには定評がある。例えば、「地方の反乱」とか、「『ら』抜き言葉について」とかいうのがある。これらは道場でもよく取り上げ、例文は著書やホームページにも入れてある。
 そうかと思えば、「すれちがい」などというのも出されたようだ。激動、転変の時代にあって、百万都市は柔軟性のある人を募集しているのだろう。
 それ故に、型どおりの答案では駄目であることは言うまでもない。発想なり、アイディアがなくてはならぬ。

 ところで、A嬢によれば、その前に面接があるという。それが明後日だということで、「面接カード」なるものをもっている。企業のエントリーシートのようなものである。そのカードをその場で出して、それから面接の応答が始まるようだ。
 書き込んであるのを見ると、要領を得ない。項目のメモにも焦点が無い。これでは面接にはならない。対話が始まらない。これを仕上げないことには、論文試験どころではない。このほうが日程の上でも先だ。翌日に持ち越す。
 K嬢のほうはどうなのだろうか。念のため、ファクスで送ってもらうと、書けていない。
 明日は二人の「面接カード」作りに追われることだろう。

Jul.19.
 夜、A嬢から電話が入る。面接ではスムーズに答えられたという。K嬢のほうは、予想外の質問に戸惑ったようだ。
 いずれにしても、あと3日、炎暑の中で熱い闘いは続く。

Jul.22
 『英国だより』の最終稿を入れ終える。半年振りに一応の完結をみる。入れ終えたら洋平君に連絡しようと思いながら、一学期が過ぎてしまった。どんな高校生活を送っているだろうか。それにしても、イギリスに比べて暑い暑い夏を実感していることだろう。

 夜半に、A嬢からファクスが入る。

 横浜市の二次試験、受けてきました。
 課題は、予想外の一風変わったものでしたが、時間内に書けました。
 この一週間、毎日朝から晩まで先生にお世話になりっぱなしだったように思います。先生の生活を乱してしまったのでは……と、今更ながら申し訳なく感じています。
 本当にご指導ありがとうございました!!! 先生のお蔭で、文章の構成の仕方が分かってきました。今日の試験も、先生の言葉を思い出し、落ち着いて取り組むことができました!
 結果が出ましたら、連絡させてください。 

Jul.14 '01 < 著書改訂終了 >

  『論作文の奥義』の改訂作業を終える。「エントリーシートの書き方講座」を補うことにしたため、一折り16ページの形に収めるのに手間取った。今日も朝から問い合わせや訪ね人があった。このため、午後を徹しての作業となった。夕方、一ツ橋書店宛に郵送する。
 ファクスや郵送分の添削も夕食前には終えた。明日はゆっくり秩父を越えて、長野の川上村にでも行ってみよう。


Jul. 5. '01 < 加賀氷室 >

 今日は、このホームページの開設2周年記念日である。
 それはともかく、昼ごろ日本海から名産が届く。礼状に一句をしたためる。
      箱解けば 涼しかりけり 加賀氷室

 『加賀氷室』というのは、とぐろを巻いたような格好のソーメンである。氷室は加賀の殿様が将軍の求めに応じて夏の氷輸送用に作ったもので、名産はそこから名をもらってつけたものだそうだ。

 午後、「夏期講習」の準備にもかかる。読解教材の系統化を図ろう。

 夜、NHKテレビで、『逃げたらあかん・60歳の新人プロゴルファー』というのをやっていた。舞台は神戸、主人公は古市忠夫さんという人で、阪神大震災の折に焼け残ったクラブが出発点であったという。
 神戸といえば、シアトル・マリナーズのイチローには第二の故郷である。オールスター戦にファン投票第1位で選出されている。今日は同じマリナーズの佐々木も監督推薦でメンバーに選ばれた。

 書き出してみれば、今日もいろいろあった。
 この2年の間、このホームページには3万近くの訪問者があった。記して感謝の意を表する。


Jun.24 '01 <道場の国語の方針 >

 日付けを見れば、日記は月記となってしまった。この1か月は「日々是れ好日」であったのかもしれない。トップページの更新情報もけっこうにぎやかである。
 そんな日々にあって、道場の方向を明らかにする一事もあった。父母への手紙に、今月はそれを記した。
 

ご家庭の皆様へ
                            平成13年6月21日
                                 作文道場

 アジサイが雨に打たれる季節となりました。
(中略)
 さて、6月期は28日までです。7月期以降は次のように予定しております。
 7月期 − 6月29日〜7月27日
 8月期 − 7月28日〜8月10日、8月19日〜9月1日
      ※ 8月11日〜18日をお盆休みとします。
 9月期 − 9月3日〜30日
      ※ 夏期講習について、詳細は来月上旬にお知らせします。


◎ 国語の勉強が目指すもの、その系統の話

 先日、案内書を取りにおいでになった、あるお母さんと話していた折、道場ではどんな勉強方法をとっているかという話から、入試問題との関連の話になりました。
 大学入試の小論文の出題は、日ごろお話ししているとおり、その約8割は「文章の要約と論述」で、道場でのふだんの作業は、要約という点ではここにもつながっております。単に定期試験対策ばかりにあるのではありません。
 その日は、一般的な入試問題に話が及びました。「国語の入試問題で最も優れているのは、大学では東大、高校では開成でしょう。持続力を要しますが、確実に答えが出るようになっています。特に東大では記述が主となっており、理解と表現という国語本来の力が試されています」
 道場の勉強は記述という点ではここにもつながっておりますが、そのとき気がついたのは、これらの問題の答案作りを目標に、ここではっきり国語の勉強を系統立ててみようということです。
 良問を目標にすれば良質の国語力が身につくばかりでなく、頭脳のよい訓練にもなります。より一層、ご期待ください。

May 18 '01 < 岩波ジュニア新書 >

 著書が届いた。五日市(あきる野市)の土屋愛寿先生からだ。おととい電話があった。3冊目が出来たから送ると言う。愛寿先生は世界180か国を全て踏破したギネス級の人物で、前2著は既に当ホームページでも紹介してある。そのいきさつについてはこちらで。

 電話では、「岩波ジュニア新書」ということであったから、前2著のダイジェスト版かと思っていた。ところが、封を切って驚いた。ジュニア向けの専門書なのだ。『世界の気象 総めぐり』とある。先生は前職が理科の先生であるから、これはお手のものである。理科の勉強が実地の見聞によって語られる。

 いよいよ本領発揮といったところである。熱帯雨林やツンドラ、高山帯、大陸西岸の気候とはこんなものなのかということを肌で感じさせてくれる。図や写真が豊富で、読んでいるすぐ近くにあるので、理解が楽である。概容についてはこちらへ。

 連休が明けて公務員試験の季節に差しかかった。様々な答案と格闘する日々でもある。


Apr.14 '01 < 山村留学 >

 新学期が始まって1週間が過ぎた。「はるちゃんは日記帳をもっていっただろうか」と聞くと、「うん。荷物の中に入れてたみたい」と妹のあやちゃんと弟の壮くんがそろって答えた。はるちゃんというのは、この日記抄の2月8日の項に登場した「はるかちゃん」である。春休みの4月の初め、はるちゃんは信州・長野へ山村留学に旅立った。

 話は春休みの前になって急に決まった。中3という受験期を迎えて、なぜまた、と思ったものだが、一つは学校で学級崩壊が起きているためのようだ。日記抄の作文の中に書かれている「プロレスごっこ」は授業中のことでもあるらしい。山村留学のことは、それとは別に、前々から家族の話題になっていたという。学級崩壊が引き金になったというのが真相のようだ。天竜川沿いの、南アルプスの麓の村が気に入った様子でもある。

 はるちゃんが道場にやってきたのは去年の9月である。作文教育で知られる学園の高校部を受験したいとのことだった。それを思うと、山村留学はよい体験になり、作文の材料も増えるだろう。受験を前提に功利的に考えれば、留学自体がプラスに作用する面もあると思われる。だが、この事態を情緒面でのみとらえていてはならない。勉強はしっかりやらなければならない。元来「中の上」程度はあるはずの力が落ちていたことでもある。意欲が戻れば学力は回復するだろう。はなむけに英語の対訳ノートを贈る。

 勉強については、だが、それ以上にやってほしいことがある。国語の力をつけてほしいことである。そのための方策はとなると、別に難しいことではない。日記をつけることだ。書く材料には事欠かないだろう。記録が将来の糧ともなる。念のため、書くことが特別にはないときは、天気のことや起床と就寝時間、三食のおかずのことだけでもよいと言っておいた。これはお母さんが同席したときに話したことだが、道場を去る日にはお父さんに、なるべく大きな日記帳を買ってあげてほしいと頼んでおいた。

 はるちゃんには、いい話が書けたら送ってくれるよう頼んである。
 「山村留学記」といえば、勇樹くんの作文が中断したままになっている。勇樹君も来年が高校受験になる。去年の秋頃には引越しをするという話でもあった。今はもう回顧録どころではないのかもしれないが、ユニークな体験はまとめておいたほうがよい。その旨を年賀状でも伝えておいた。気長に待つとしよう。
 はるちゃんには、春の息吹のような新鮮なたよりを期待している。
 


Mar.29 '01 < 物語を絵にする >

 今日はショウくん、カンくんと、物語の場面を絵に描いた。
 二人は中学一年生。今は春休みで午前中に来ている。窓外では、うすみどりの高柳に、けぶるような雨が降りかかっている。「降るとも見えじ、春の雨」という歌のとおり雨足は見えないが、降っている様子は、手前の枯れ木の枝に水滴ができていくので、それと分かる。
 さて、ショウくんは国語の力をつけるために、最近道場にやってきた。彼には文章にとことん慣れてもらおうと思う。このため、彼の春期講習はもっぱら読解である。カンくんの勉強は英文法の総復習なのだが、今日の分が早く終わったので付き合ってもらう。
 国語の勉強では基本の作業として、段落の要点を手初めに、あらすじ・あらましを書き出させることにしている。小説や物語では、時々場面の様子を絵に描かせる。これは、読解で当たり外れの多い生徒に対して、「いったいこの子の頭の中にはどんな情景が浮かんでいるのだろう」と思ったのが発端である。
 今日の教材は次の話である。

 〔夏休みの宿題の展覧会の会場で〕
 一回りして、出口に近いところで、わたしはいいものを見た。三年の男の子の昆虫採集だが、同じ種類のものがたくさんある中で、これはまことに特色のある作品であった。
 わたしがなぜ気がついたかというと、その洋服箱の右上に同じ大きさのアブラゼミが羽根がすれ合うくらいにつめて並べて、その下の紙片に「あぶらぜみのなかま」と、あまりうまくない字で書いてあったからだ。
 わたしはすっかり感心した。そして、こう考えた。「こいつはほんとうにセミを取るのが好きなんだな。夏の間じゅう、いつでもボール紙の箱の中に、いっぱい油ぜみをほうりこんでがさがさいわせていたやつだな」と。
 そう思って見ると、この箱の中に入っている昆虫には、確かに一つの気質が見られた。学業的というよりは生活的な、装飾的というよりは野性的なものが。
 たいていの昆虫採集の箱には、アゲハチョウやカブトムシやタマムシが必ず入っているのに(それらは実際美術的であり、一種の重みをもっていたから)、この子のものにはそれが一匹も入っていなくて、例えば二種類のカマキリ(オオカマキリとハラビロカマキリ)や、バッタや、二匹とも胴から下がないオハグロトンボや、シオカラトンボ、アカトンボ、エンマコオロギなど、いつでもその辺にいて、われわれ人間生活の一部となっているような昆虫であった。
 わたしはこの男の子が気に入った。そして、ラグビーのフォワードの猛者のようなキイロスズメバチのよくふくらんだ背中やおしりを見た時、彼がいかに危険を冒してこの獲物に立ち向かっていったかを想像してみた。
              (庄野潤三『子供の盗賊』より)

 この話の「昆虫採集の箱」の中の様子を描いてもらうことにした。最低限描いてほしいのは、「…洋服箱の右上に……つめて並べて」あるところ、「二匹とも胴から下がないオハグロトンボ」、それに、「キイロスズメバチ」である。
 仮にこれを十人の生徒に描かせたとすると、一人、二人はアゲハチョウやカブトムシを描き、二、三人はキイロスズメバチを落とす。いい加減に、自分流に読んだり、終わりまで読まなかったりするのである。
 ショウくんの筆はなかなか進まない。絵を描くのが苦手のようなので、絵はおおよその形ができていればよい、どこに何があるかが分かればよいと話す。こちらも下手な絵を描いて、15分くらいして見せ合った。ショウくんはまだあまり描けていなかったので、宿題にする。カンくんは「あぶらぜみのなかま」の紙片をセミの上に描いてあった。


Mar.1 '01 < 出張講座(2) >

 嘉悦大の答案150枚の評価・採点を終えた。「○○○○と私」という題で、丸の中に、受けたい会社、就きたい業種、気に入った商品・製品の名を任意に入れてよいことにしてあるから、答案はバラエティーに富んでいる。これをもとに、授業の脚本もできた。5日の学生諸君の反応が楽しみである。

 エントリーシート用の練習答案も100枚ほど提出されている。あと3日のうちに、これも見ておかなければならない。明星大でも話したことだが、今やエントリーシートは、就職の扉を開くカギとなっている。練習答案の提出は任意としたのだが、枚数の多さは関心の高さをうかがわせる。見終わったら、これについても脚本を作るとしよう。

< 朗報相次ぐ >

 答案の山と格闘している間に、朗報が次々と舞い込む。
 将徳くんは都立国分寺高校に合格した。ここは新宿高校と並んで、来年から教科選択制となって進学に有利と見られているため、1.66倍と、例年に増して難関となっていた。将徳くんは90点平均の450点を取った模様である。この力は、六年生の時からやっていた作文によって培われたものである、と思いたい。
 明日は、イギリス帰りの洋平君からも朗報が入るはずである。       

 追記:Mar.2

  『英国だより』の洋平君は神奈川の県立新城高校に決まった。レベルの高い高校だが、洋平君の日本語は、3年も海外にいたとは思えないほどしっかりしているので、みんなに伍してじゅうぶんやっていけるだろう。しかし、念のため、国語は予習をするように勧める。

 Mar.3
 静岡のミキコさんから、早稲田大第一文学部に合格との報が、土地の名産といっしょに届く。
 彼女は非常によいひらめきをもっているのだが、論理が理屈に流れ気味であったため、これの是正に少々の格闘を要した。
 手紙には「ひらめきを大切に、私らしさを出すことを意識して本番では思い切り書くことができました」とあった。会心の答案ができたと察せられるが、これは会心の知らせでもある。
 答案練習をめぐる彼女との一連のやりとりを受験生の参考に供したいと思う。こちらへ。
          


Feb.22 '01 < 出張講座(1) >

 昨日は気持ちよく明星大学の丘を下りた。

 『就職試験の論作文・エントリーシートの書き方講座』と、講座名が長くなったが、エントリーシートについての話と練習を入れたのがよかったようだ。今やエントリーシートは就職試験の第一関門であり、大学生には必須条件になっている。
 先週の授業では、記入上の必修三要素として「実績・長所・抱負」を挙げ、このうちの「長所」について一例を具体的に、200字程度で書く練習を行った。「具体」ということがピンとこない諸君もいたようだが、過半はイメージの浮かびやすい事例を裏付けとしていた。これで、自己の長所を三つほども挙げ、かつ、実績・抱負とともに整理しておけば、己に自信が付くのみならず、ミスマッチをしないで済むことにもなろう。

 帰りがけに、「『具体的に』という意味がよく分かりました」と声をかけてくる学生がいた。大学生の書くものは、とかく理屈に流れて読みにくいものだが、「具体」が一番の「説得の論理」であることに感付いてくれたようだ。
 長い坂道を下りながら、ふと、ホームページで『出張講座』の紹介をしようと思った。今回は、講座のメインの小論文・作文に優れた答案が多かったことでもある。こちらへ。

 明日は、嘉悦大だ。ここでの講座が終わったら、そのホームページづくりに取りかかるとしよう。あと一週間、もう一度200枚余りの答案と格闘しなければならないが、授業中の学生諸君とのコミュニケーションを思えば、れは楽しい格闘となる。


Feb.8 '01 < 古典の勉強と作文 >

 中2のはるかちゃんの国語の勉強は「徒然草」から「論語」にさしかかった。教科書には『孔子のことば』とあって、次の三つが載っている。

 ① 子(し)曰(いは)く、「過(あやま)ちて改めざる、これを過ちといふ」と。
 ② 子曰く、「学びて思はざれば、すなはち罔(くら)く、思ひて学ばざれば、
   すなはち殆(あや)ふし」と。
 ③ 厩(うまや)焚(や)けたり。子、朝(ちょう)より退きて曰く、「人を傷(そこ
   な)へりや」と。馬を問はず。

 はるかちゃんはこれをノートに写して訳を書き添える。例えば、③については「馬屋が焼けた。先生(孔子)は役所から退出してきて、『人にけがはなかったか』と言われた。馬のことについては何もお聞きにならなかった」というふうにである。

 これで予習ができたわけだが、何かもの足りない。解釈にまで立ち入ってみると、「自分の馬のことより使用人のことを心配するとは、さすがに大人物の思うことは違う」とでもなるが、これでもまだ言葉の上だけで分かっているにすぎないという気もする。「現代に生きる古典」と考えると、日常生活の中に似たような事例がないものかと思う。

 このことをはるかちゃんに話すと、「ある」と言って、次の話を書いた。 

 私のクラスでは、なぜか今プロレスが流行っている。男の子たちが盛んに技をかけあっている。先週のこと、いつものように、休み時間に技をかけあっているとき、技をかけられた子が派手にとばされて、机や椅子が壁に当たった。すると、通りかかった先生が教室をのぞいて、「だいじょうぶか」とおっしゃった。私は「さすがは先生。生徒のことが心配なんだな」と思った。そのとたん、先生から、もう一声かかった。「だいじょうぶか、壁は……」

Jan.23. '01 < 嘉悦大学 >

 朝、新聞を読んでいると、テレビ欄に林英哲という名のあるのが目に入った。これは先日、氏のいい文章に出会って「交歓2」に紹介したばかりだったからであろう。1チャンネルの「スタジオパーク」に出るということだ。だが、今日はその時間は嘉悦大で講座の打ち合わせをしているころである。
 ビデオをセットする。

 嘉悦女子短期大学は4月から「嘉悦大学」となる。花小金井駅から学校への専用道路には男子の姿も見える。去年には見られなかったことだ。新生大学は男子も受け入れる。彼らはさっそく学校見学に訪れたのだろう。

 打ち合わせには、原案に明星大学案を加える。入社試験に際してはその前にほとんどの会社でエントリーシートなる調書を求めている。これは2〜3年前から男女雇用機会均等法の本格実施とともに始まった。ようやく学生諸君にも、これは穏やかならぬものと実感されてきたのであろう。講座に「エントリーシートの三要素」を加えることにする。日程は2月23日・3月2日と決まった。明星大学では2月14日・21日と、これは去年から決まっている。

 大学の人気は就職率によって決まる。高校の人気が大学進学率で決まるのと同様である。それというのも、上智大学が早慶と肩を並べるようになったのは今はイタリアに帰った、当時の学長のヨーゼフ・ピタウさんが、就職活動に精力を注いだからだと聞いた話を思い出したからだ。
 今年は、ソニーやホンダ、カシオやオムロンなどの話をしようか。「みんな初めはベンチャーだった」と。そういえば、トーメンにいる友人が「商社の本質はベンチャーだ。今は原点・初心に返っている」と言っていたのも思い出す。

 さて、これから英哲さんのビデオを見ることにしよう。ベルリンフィルと共演するということだ。さぞや、ビールがうまかろう。


Jan.16 '01 < 長寿の村のユズ >

 1週間余り前、冬休みの最終日は雪になった。
 その2日ほど前であったか、カンくんが「先生はユズが好きですか」と言う。帰りがけにいきなり言うので、「ん?」と思ったが、好きどころではない。肉や魚の味が引き立つに加え、胃の腑にしみて体が中からスッキリする。「大好きだ」と答えると、「ではあした持ってきます」と言う。

 翌日、カバンから取り出しながら、「これはお風呂に入れて使ってください。選ったのですが、いいのがなかったのです」と言う。「明日、もう一度持ってきます」とも。次の日に、また取り出す。「お父さんが持って帰ってきたのです」庭の木に生っているのをもいできてくれるのだと思っていたのだが、様子が違う。

 以前、お父さんの郷里は山梨の上野原だと聞いていたのを思い出した。「わざわざ行ってくれたのかい」「いいえ、昨日はちょうど帰っていたのです」 ふと、「もしや」と思った。「お父さんは、棡原(ゆずりはら)の生まれなのかな」 ヤマをかけて言ってみたところ、「そうです」と言う。一瞬、面食らうほどであった。

 棡原は、知る人ぞ知る、長寿の里である。そこから、もぎたてが届いたのだ。「こいつぁ、春から縁起がいいわい」と、思わず口をついて出る。柚子の木は丘の上の日当たりのいい所にあるそうだ。

 カンくんはこの冬、英語に専念して、仕上げのテストで88点を取って講習を終えた。続いて友ちゃんも同じく88点を取った。中1の彼・彼女たちはなかなか英語になじめない様子だった。単語が5つくらいになると、語順が乱れる。そこで、口癖になって口をついて出るように、と考えて、基本文を何度も口誦させることにした。これがよかったようだ。もう「I am don't …」とやることもなくなった。

 雪の日の翌日から、えさ場のサイコロ状のパンのかけらもなくなり始めた。えさ棒や塀の上で雪をかぶっていたのをひっくり返しておいたのだが、雪原にはえさがないのだろう。主に、キジバトやヒヨドリが食べているようだ。ところが、その後飯粒を再開しても、スズメたちがあまり姿を見せなくなった。ヒヨドリがえさ場に縄を張ったようなフシがある。

 中3生から作文練習の駆け込みが相次ぐ。高校の推薦入試が1週間後に始まる。文面に焦りの見えるものもある。「あわてて書き出さないように。はじめの10分か15分を、何をどの順序で書くか、筋書き作りに充てるように」と、本番での注意を与えることにもなる。 


Jan.7 '01 < 相互リンク >

 つつがなく21世紀へ、とはいえど、身辺に話題は尽きない。ネット上も再び賑やかになってきた。

 「インターウーマン」 Interwoman 社からリンクの照会がある。ありがたく受けて、答礼にこちらもリンクを張ったのだが、何となく、「私、女性の味方です ! 」という気分になる。  こちらの 「もろもろ情報」へ。

 「英国だより」の準備にもかからなければならない。 To the World (世界へ)の発信に向けて、洋平君には自ら英訳することをも勧める。何より、もとになる作文が整ってきた。全8回のうちの第7回の講評と添削答案を今日送る。

 「課題文のあらまし」 ⇒ 「それに関連する体験」 ⇒ 「自分の考えによる締めくくり」という構成法・パターンを、身につけた観がある。それよりも、興味深い体験談を交えて、いわば比較文化論が展開されている。
 単なる受験用の練習答案と片付けるには中身が惜しまれる。広く「世界へ」発信したい所以である。受験が終わったら英訳に取りかかってもらうことにしよう。

 三が日はご飯を炊かなかったために、残飯が出ない。小鳥には止むなくパンを代用する。フランスパンをサイコロ状に切って、えさ棒や塀の上に並べる。ところが、小鳥たちは次第に姿を見せなくなった。来ないとなると、生徒たちも気になるようだ。


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2000年

「英国だより」 「珠玉の一編」 「青空の日々」 「小鳥の来る庭」 「相互リンク」 

「中間試験対策」 「新著」 「メールマガジン・『実践!作文研究』」 「夏休み」(2)(1)

「ホームページ1周年」 「五月晴れ」 「’超’勉強法の成果」 「ヒマラヤ土産」 「石のコレクション」

「チョー オユー」 「国語の’超’勉強法」 「ヒマラヤ登山壮行会」 「若乃花引退」

「ホームページ新居へ」 「COM ドメイン設定 」 「多摩モノレール開通」 「『作文の極意』脱稿」


Dec.31 '00 < 英国だより >

 振り返れば、インターネットというのは、まさにインターナショナルなものである。
 
 「今日は庭一面に雪が積もりました。今は冬休みなので、どんどん作文をがんばろうと思います。
  ちなみに、こちらでは冬休みのことを Christmas Holiday といいます」

 イギリスの洋平君から、きのうこんなファクスが届いた。洋平君とは10月ごろからやり取りしている。このファクスは次の「講評」に付けた手紙の返事である。
 「第5回の答案はきれいに仕上がっています。第6回に取りかかってください。ところで、そちらも今は冬休みですか。冬休みのことを、そちらでは何と言うのですか」

 多分、というか、言うまでもなく、というか、Winter Vacation というのだろうと思っていたのだが、案に相違した。知らないことは、やはり聞いてみるのがよい。
 道場の生徒たちにも知識が一つ増えた。

 追記:「英国だより」は一つの作品集となった。こちらへ。


Dec.25.'00 < 珠玉の一編 >

 教材を読んでいると時々いい作品に出会う。
 仕事柄、学年の初めや学期の変わり目には教科書に、また、春・夏・冬休みの直前には入試問題や塾教材に目を通さなければならない。国語関係では、教科書を除いては、引用される文章はほとんどが断片であるため、なかなか内容を楽しむところまではいかないが、それでも、思わず引き込まれることがある。

 井上靖の『帽子』や吉村昭の『虹の翼』に出会ったのも、この種の教材からだった。これらの作品は、音楽でいえば、『エリーゼのために』や『赤とんぼ』のようなものであろうか。大作ではないが、名品である。珠玉の、と付けてもよい。

 今冬は、林英哲さんの『あしたの太鼓打ちへ』に出会った。彼は、言うまでもなく、太鼓の演奏家である。作品はエセーの類いで、話に奥行きがある。生命に触れたくだりでは、その昔に考えた我が音楽論に呼応する部分もあった。

 作品の一節を、いささかの感懐を交えて、「交歓会場」に収載しておくことにしよう。こちら から『生命とリズム』へ。


Dec. 9 '00 < 青空の日々 >

 このところは青空を撮っている。ここ数日は晴天が続く。散歩のたびにカメラをぶら下げて出る。あるプロカメラマンが「写真は被写体との出会いですよ」と言った。なるほどな、と思った。
 出会いとなれば、これはプロ、アマを問わない。ど素人にもチャンスはあるわけだ。これに勇気を得て、カメラを携行するようになった。実際、飛ぶ鳥をキャッチできることもある。

 ホームページを作り始めてからは、横に細長い画面を意識するようになった。これは当サイトのヘッダー・フッターを知人の何人かにほめられたせいでもある。ただし、そのほとんどは、ホームページに作成ソフトに付属のものである。自前のものでほめられたいと思い立って1年になる。

 今、散歩道の花はサザンカ(山茶花)である。1週間ほど前が盛りだったか。植木畑に紅白の花が咲き誇っていた。「名を知ってサザンカゆかし通学路」 こんな句を添えて入れようかと思ったのだが、花が遠景に過ぎて白い点々にしか写っていない。欲張りすぎたのだ。

 先月の初めに西武秩父沿線の「関八州見晴台」と茨城の「袋田の滝」へ行く機会があった。
 ともに快晴だったが、関八州は霞んでいて、富士山もかすかに輪郭が見える程度だった。袋田の滝は写真集やテレビで何度か見ていたので、さほどの感動はなかったが、周りの山の紅葉がきれいで、青空と稜線がきれいだった。

 行きつけの自転車店主にこのことを話すと、「晴れていれば、何でもきれいに見えるんだよ」という返事が返ってきた。なるほど、青空をバックにすれば、葉のすっかり落ちた梢もきれいである。ファインダーの先に新しい世界が見える気がする。

 ホームページに、空や天や宇宙を見晴るかす写真を入れていこうと思う。昨日は「トピックス」に1枚入れた。今日は高校生のページにでも入れようか。

 それにしても、このホームページへの訪問者の数がすさまじい。この2週間、毎日100〜150人の方々がおいでになっている。いったいこの方々はこのサイトの何をご覧になっているのだろうか。

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Nov.22'00 < 小鳥の来る庭 >

 「どんな小鳥が来るのですか」というメールが入る。「通塾案内」の中の「窓外風景」をご覧になった方からだ。「今はスズメです」と答える。「これからはヒヨドリやシジュウカラ、それに、腹が黄だいだいの小鳥などがくるでしょう」と付け加える。えさを与え始めて1年になる。

 木々が芽吹き始めると、鳥たちはあまり餌場に来ない。虫がえさになるからだろう。
 春はウグイスの声に始まる。「ホー、…」と鳴くが、「ホケキョ」がなかなか出てこない。「ケー、キョ、ケキョ」と、たどたどしい声を出す。それにしても、郊外とはいえ東京にウグイスとは、…と思ったものだった。隣りで飼っているのかな、と、最初は思ったが、泉水に水を飲みに来て、そこで鳴き方の練習をしているらしい。

 1週間から10日ほどすると、「ホー、ホケキョ」となって、声も澄み渡る。ここで練習して奥多摩の山の中にでも帰るのだろうか。そういえば、奥多摩の獅子口のウグイスは賑やかだ。まるで谷渡りの競演のようだ。それにしても、ウグイスにも練習があるとは、……。後で、これが笹鳴きというものだと知った。

 メジロが来て、やがて、梅雨時にはカッコーも来る。夜となく昼となく、あちこちの梢を渡り歩いては、高らかに「カッコ-」と鳴く。

 餌場にまくのは残飯である。水を振りかけ粒に戻して、塀や餌棒にまき散らしておく。梅雨明けにはオナガ、キジバトも来て、スズメがやってくる。スズメはこの辺りにはいないのかと思っていたのだが、やはり、いたのだ。来るとなれば数は多い。そのさえずりはすさまじい。えさをついばみながらも、おしゃべりは止まない。「この家のご主人はやさしいね」「そうね」と言っているかどうかは定かでないが、こちらの姿を見ても、もう、あわてて逃げることもなく餌をついばんでいる。

 庭には季節を問わず鳥が訪れる。時には猫も……。特にこのごろは、午後になると、周りの木々の中がかまびすしい。……、こんなことを書けば切りがない。
 時々は小鳥の話も書き記すとしよう。
 


Nov.5 '00 < 相互リンク >

 この1週間、アクセスカウントが、10月30日−103、 31日ー135、 1日ー143と急上昇した。
 これは異変である。これまで1日で81を記録したことはあったが、100を超えたことはなく、ふだん、平日は50前後、土・日や祝日は30前後である。それが100を超えたのだ。どこかのサイトで紹介されたのだろうか。

 紹介といえば、このところ、サイトの紹介やリンクについての照会が相次ぐ。滋賀県教育委員会の生涯教育課からリンクについての照会があり、『wwwイエローページ』(エーアイ出版)からは「1500のサイト」に選定・紹介するとの連絡があった。『イエローページ』については、数日前に紹介文の校正を済ませる。掲載号(Vol.10)は12月1日に発売とのことである。


Oct.28 '00

 おととい、『作文試験「必勝のパターン」』の見本が届いた。間もなく発売となる。世の大勢からすれば、片隅の出来事にすぎないが、道場にとってはトピックである。こちらへ。

 やっと、と言えばよいか、遂に! と言えばよいか、インターネットの時代を実感する時が来た。海外から受講の申し込みが入った。イギリスからである。……… この模様については、いずれ改めて記すことにしよう。
 リンクの申し込みもある。いよいよ賑やかになってきた。2〜3日したら、こちらへ。

 前回に記した商工会のホームページが、1週間ほど前にできた。だが、一定の共通枠にはめ込んでいるため、用語がいくつかそぐわない。直してくれるよう頼んでいるのだが、今すぐというわけにはいかないようだ。予告した手前、トップページからつながなければならない。同じようなものを新たに作って、2〜3日のうちにリンクすることにしよう。


Oct.14 '00 < 中間試験対策 >

 中3生の将くんが数学の最後の一問で計算ミスをしたと言って悔しがっている。同じく中3のトッくんは英語のヒアリングで聞き損ねたと言って同じく悔恨の面持ちである。悔しがるのは結構なことだ。頑張ったから悔しさもある、といえる。

 試験前に二人はさかんにプリントを要求した。道場内の、利用できるものはすべて使ったほどである。将くんは国語では万葉、古今、新古今の和歌16首を全て暗記した。解釈は予習でやっておいたから、このほうは難なく書けたようだ。
 二人の中間試験は昨日で終わった。今日からは、国語も英語も、また新たな予習である。

 二人の話を横目に、高2の剛くんが、同じく中間試験の現代国語の問題に取り組んでいる。高校生の試験対策となると、塾専用の教材も市販のプリントもないので、このほうは手作りとなる。漢字の読み書きをはじめ、予想される範囲の内容吟味を行う。予習で、段落の要点を整理し、大意を書き出すなどしているので、解答はスムーズに行く。それでも、細かな吟味となると少し外れる。そこで、ヒントを出す。しばらくして、「あっ、そうか」と声が上がって指が鳴る。的を射た答えがスッと出てくる。双方とも快感を覚える一瞬である。

 このところは二つの出来上がりを楽しみに待っている。一つは新著で、もう一つはもう一つのホームページである。新著については前回この下に書いたので、今回は新しいホームページについて記しておきたい。

 先月の中旬、市の商工会から、市内の企業や名店、塾などの一覧を作ってホームページで紹介したい、ついては、雛形を参考に原稿や写真を送るように、との案内があった。ちょうど、新聞の折り込みに代えて、地元への案内ページを考えていたところだった。渡りに舟、とはこのことだろう。実は、ここ1、2年、このサイトにかまけていて、原点を忘れるところでもあった。

 雛型にはロゴや大見出しを入れて、3つのパートで構成するよう指示がある。それぞれに記事と小見出し、それに写真が付く。記事は1パートが250字以内とあるから、少々窮屈だが、箇条書きふうにしてみると、却って簡潔ですっきりする。3つのパートのうち、2つは「個別指導であること」と「通信添削もあること」を入れて、すんなり納まった。ところが、もう1つ、先頭に指導方針や内容を入れたいのだが、これがなかなかうまくいかない。

 あれこれ書き込んではやり直す。断続しながら、2週間余りが過ぎた。締め切りが迫る。そこで、最も中心になること、それだけを入れることにした。ふだん行っていることの根本を考えると、浮かんできたのは「言語能力は学力の基礎」ということである。これに「指導理念」という名を冠し小見出しにすることにした。すると、これに説明がくっついてくる感じでパート1がまとまった。枠の狭さが、あたかも芋を洗い上げるように、シンボルを浮かび上がらせた観がある。

 これが新しいホームページではどのような姿で現れるのだろうか。1週間くらいでできるということであるから、ぼつぼつ連絡が入るはずである。掲載されたら、トップページからリンクすることにしよう。


Oct. 2 '00 < 新著 >

 昨1日、一ツ橋書店より『論作文の奥義』・2002年版が届く。発刊より数えて4刷目となる。今回も内容に変更を加えなかった。質問等がある場合の問い合わせ先を章末から巻末に移した程度である。時事問題も、阪神大震災やダイアナの事故、ペルーの大使館事件以来、連日放送されるような事件が起こっていないせいか、例文もそのまま変えないで済んでいる。何より、初版より校正ミスのないのが助かる。これは編集体制と編集者の責任感のお陰である。

 そのせいか、第二弾の『作文の極意』改め『作文試験「必勝のパターン」』の刊行が遅れてしまった。既に「著書案内」に記しておいたように、発売が10月中旬になる。

 ところで、なぜ、受験シーズンの最盛期を過ぎて刊行されたり、2年先の年度が銘打たれたりするのか。去年ようやくそのわけが分かった。簡単に言えば、この秋に書店の棚に並ぶのは来年の受験生用で、彼・彼女たちが採用されるのは2002年というわけなのである。雑誌の新年号が11月に発売されるのとは、ちょっと事情が違うようだ。

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Sep.16 '00 < メールマガジン・『実践!作文研究』 >

 メールマガジン・『実践!作文研究』に原稿を送る。7月中旬の第25号「書ける子書けない子」で触れた「七・五の四行詩」や「理科作文・社会科作文」について、さっそく「続投」の要請があった。夏休みに入ったばかりのことであったため、編集長には「『論』として整理しておかなければならないことなので、いずれ書くことになるが、『書けたら』ということにしてほしい」旨の返事をしておいた。

 二学期になって昼間が空いたある日、まず、「七・五の四行詩」にかかる。目次ふうに内容をメモしてみると、これでも概容は分かりそうである。これに、実践例を添えてみると、メルマガには長さもよいようだ。『覚え書』と題して、「こんなものでどうか」と送ったところ、ちょうど代打を探しているところであったらしく、「1週間後の9月24日号に掲載したい」という。


Aug.30 '00 < 夏休み(2) >

 決戦の果てて立秋甲子園
 今年の高校野球が和歌山の優勝で幕を閉じたのは22日であったか、例年、甲子園大会が終わると、急に秋めいてくる。場内一周の時には赤とんぼの舞うのが見えるほどに、確かにそう感じられる。

 それが、今年は一向にその気配がない。熊谷市では60日余りも真夏日が続いているという。道場でも、せめて朝のうちは窓を開けて授業をしたいと思うのだが、風はそよりともせず、鉛筆を動かすだけでも汗がにじんでくる。やむなく朝からクーラーを入れる日が今日も続く。

 それでも、夕方には照り返しの少し冷めた風が吹き抜けた。折しも、地震と噴煙に見舞われている三宅島の子供たちが秋川高校の寮に移ったとの報が流れる。彼らにはいい風となっているだろうか。

 お盆休みともなると、生徒諸君はいろいろな所に出かける。中2のSくん、Kくんは、秋田、鳥羽へ、中1のKくんは山梨へ、小6・小2のMちゃん・Cくん姉弟は仙台へ、小3のJくんは高松へという具合である。話を聞いていて気づいたのは、彼らの行った先が、いずれも、おじいちゃん・おばあちゃんの家であったことである。なにかホッとするものがある。健全だなと思う。

 当方は17・18日の二日、大雲取谷を遡って山荘に一泊、雲取山に登って唐松谷を下った。雲取山は東京都の西端、埼玉や山梨との県境にある2018メートルの中級の山である。大雲取谷はその北東下の水源から東に下り、日原川を経て多摩川に注ぐ。一人で入ってはいけない類の谷と聞いて、7,8年来、相棒を求めていた。お盆休みの前、いっしょに八ケ岳に登った知人が、夏の間にもう一つ登りたいがどうかと言ってきた。日帰りの、そこそこの山のつもりだったのだろうが、谷ではどうかと誘ってみたところ、意外にも行くという。

 かくて念願が叶ったのだが、谷の半ばで滝壷に落ちてしまった。うっかりカメラもいっしょにドボンといってしまった。ふだんは二条と言われる大滝が、増水で一本の巨大な瀑布になっていたのや、さざなみのようなカラマツ林の絶景などもあったのだが……。
 残念ではあるが、むしろ、大した怪我もなく帰って来られたことをワラジに、ザイルに、天地に感謝しなければならない。


Aug.13 '00 < 夏休み(1) >

 夏休みは、朝は9時から小学生、続いて中学一・二年生、午後は中学三年生、夕方からは高校生と部活を終えた諸君がやってくる。間断なくやってくるわけではないが、その間に、添削答案がファクスで入り、郵便で届く。昼寝はままならない。当然、夜業はご法度となる。

 今日から1週間はお盆休みである。振り返ってみると、いろいろなことがあった。
 多摩川ではいい写真が撮れた。八ヶ岳にも登った。外から帰ると、いい便りが入っていた。それらを順に、写真も交えて記しておこう。

 7月16日 − 「日本ウルトラ・ランニング登山クラブ」の「四方山話会」に出席。五日市に行く。

    23日 ー 「マスコミ関係に就職したいのだが、従来の課題でではなく、何か違ったもので練
         習したい」旨のメールが入る。
           「物語を創作するか、エッセイを書くか、それとも、『赤』、『丸』などの抽象課題で
         練習するか」 いずれかを選ぶよう回答する。

    30日 − 八ケ岳への足馴らしのため、登山靴を履いて多摩川の川原を歩く。拝島の用水
         堰の上空を名も知らぬ鳥が飛んだ。珍しくも、それらは画面の中央に納まっていた。
          生涯の傑作といってよい。こちらで「アオサギ」を。

           戻ると、Kさんから「第一次審査をパスした」とのメールが入っていた。彼女は医
         学部への編入学を目指している。第一志望のG大は、定員15名に対して約50倍の
         700余名の応募があり、一次の合格者は150名であった。

 8月5・6日 − 八ケ岳へは茅野を経由する。赤岳鉱泉に一泊、主峰の赤岳を目指す。快晴の朝
         であったが、頂上では霧に巻かれる。富士山は見えなかったが、登る途中、背後に
         北アルプスが、中でも槍ヶ岳が望まれたのは幸いだった。ただし、パノラマ写真に写
         るほど鮮明な光景ではなかった。代わりに、こちらで「八ヶ岳・三叉峰」を。

           3000メートル近い山も、一歩一歩足を前に出していさえすれば、いつのまにか登
         ってしまうものである。

 アウトドアの話が主になってしまった。生徒諸君の活動にも触れておこう。夏休みに入る少し前に、小2のチュウちゃんがやってきた。チュウちゃんはせっせと作業をする。「きれいだな」というテーマに対し、「洗車」を材料に選んだ。その作文をもとに、「七・五の四行詩」をいっしょに作ってみた。第一連は合作だが、第二連はほとんど彼の作である。

に  じ
車をあらいに せん車場
さいしょはぞうきん 水をつけ
父さんやねで ぼくタイヤ
まどのかかりは お姉ちゃん
つぎはシャワーで シャンプーだ
いきおいつよく ふきつけろ
あわにまじって しぶきがあがる
にじがたったよ わあ きれい
            

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Jul. 5. '00 < ホームページ1周年 >

 今日はこのホームページの1周年記念日である。
 去年の今日は夜っぴてサイトをサーバーに転送していたものだった。ドメインは借り物で、サーバーが安直だったため、画像も一つずつ送らなければならなかった。それを思えば、今昔の感がある。

 今年の1月にドメインを .com に変え、サーバーも容量の大きいものに変えて以来、転送が楽になった。訪問者も最初の3か月に1000であったのが、倍々増している。
 午前0時のアクセスカウントは 9204 であった。これをもって1周年の記念としたい。


Jul. 1.'00 < 五月晴れ >

 梅雨の晴れ間を「五月晴れ」と、昔はいったそうだが、ここ二、三日、時折カッと日が照りつける。蒸し暑い。午後はじっとしていても、風が止むと汗が流れ落ちる。そんな晴れ間に加賀から宅配便が届いた。さる知人が毎年盆暮れに故郷の名産をあれこれ送ってくれる。「そうめんかな」と期待して包みをほどく。果たして、そのとおりだった。その夜、さっそくつるつるといただく。

 7月になるのを待って、暑中見舞いを兼ねて礼状を書く。その一節 ;
 「梅雨も真っ盛りといったところでしょうか、蒸し暑い日が続く折りしも、涼味をお届けいただきましてありがとうございました。最近、味覚について、舌には四味のほかに旨味を感じるスポットがあるとか、喉にも味覚のスポットがあるとかという話を読んだばかりだったので、このたびはまた、格別の喉越しでした」

 十日ほど前に、メールマガジンなるものに初めて原稿を書いた。編集部に送り終えて、ネット上では紙面(スペース)を弾力的に使えることに気がついた。

 その二週間ほど前に『実践!作文研究』の松田編集長から依頼があった。内容については作文に関することなら何でもよい、字数は30字×50〜70行で、ということであった。最初は「インターネットの時代は作文力を求めている」ことを書こうとしたが、材料が少し足りない。そこで、オーソドックスに道場での指導方法を『書ける子書けない子』という題で紹介することにした。

 ところが、ひととおり紹介するだけで字数がいっぱいになってしまう。作品などの「実践」例が入らない。何回かに分けて書くことを申し出ようかとも思ったが、実践例はわがホームページにある、これを利用しようと思うに至った。「こちらへ」とリンクを張ればよいのである。これなら、本文は骨格を書くだけでも済ませられる。かえって便利であることにも気がついた。

     ……………………………………………………………………………………


Jun. 5 '00 < ’超’勉強法の成果 >

 トッくんのお母さんが訪ねて見えた。「平均点を超えて、本人もびっくりしているんですよ」。中間試験の国語の点のことである。
 1、2年生の間、トッくんは英語は4であったが、国語はずっと2であった。3月に来て4月から教科書の文章について要約の作業を始めたわけだが、春休みの面談では、下記Apr.18付のカンくんのお母さんの話と勉強法について話した。

 「まあ、3にはなるでしょう」と言ったことが現実味を帯びてきたのである。得点は73点、平均点は65点であった。この日は受験の高校をどこにするかということへと話が発展した。
 なお、カンくんの得点は85点であった。中学生活の順調な第一歩を記したといえる。


Jun.7 '00 < ヒマラヤ土産 >

 A4サイズのぶかぶかの封書が届いた。香川澄雄さんからである。「シャツかな」と思って開けてみると、そのとおりだった。グレーのTシャツで、胸に20センチ四方の刺繍があり、山の絵と、その下に「 Cho Oyu Yeti 2000 」の文字が2行に配されている。

 手紙には次のようにあった。
 「イエティ同人チョー・オユー登山隊のTシャツを送ります。カトマンズ入り直後に注文したものが、私の帰国時には未完で、6月4日に帰国した隊が持ち帰ってくれました」。続けて、「帰国直後は、二度とヒマラヤは御免だと思っておりましたが、喉元過ぎればなんとやらで、ネパールのコックに煮物、どんぶり物の作り方を教えれば食欲不振に陥らないのではないかと思うようになりました。食べられて、酸素を吸えば、チョー・オユーは難しい山ではないようです」。

 ファンとしても安心の上に希望がよみがえる。シャツのお礼とその旨を、とりあえずメールに託す。
 なお、追伸で登山隊の登頂の結果も添えられていた。12人中9人が頂上に立ち、そのうちの1人はスキーで、念願の、8200メートル峰の頂上からの滑降をしたということであった。


May 25 '00 < 石のコレクション >

 話題の多い1週間であった。
 20日の土曜日、朝日新聞の多摩版に、多摩川で石を拾い集めて50年、いろいろな姿かたちのものが1万個になったという記事がコレクションの写真とともに掲載されていた。昭島市大神町の小峰松之助さんといい、ラーメン店を経営しているということである。

 その日は東京最奥の檜原村を訪ねた。知人に「払沢(ほっさわ)の滝」(『日本の滝百選』の一つ)や「神戸(かのと)岩」を車で案内した帰り道、五日市の町を通過するとき、ふと、この町には世界の国という国を全て訪ねた人がいることを思い出した。家の見当はだいたいついている。8年前に170余国を回り終えていた。ところが、ソ連の崩壊で15もの国がいっぺんに増えたため、教職を投げ打って旅に出たのだ。土屋愛寿(あいじゅ)さんという。その後どうなっただろうかと、ふと思ったのである。家はほどなく見つかったが、留守であった。名刺にひとこと書いて郵便受けに入れておいた。

 昭島市を通過したのは4時ごろだった。見当をつけた大神町に、果たしてラーメン屋さんはあった。そばを注文して待っていると、小峰さんが出前の配達から戻った。新聞記事に関連して話は50年前のことから様々な世相にまで及んだ。大きな収穫は、今は野球場などになっている河川敷に昔は水が流れていたという話であった。それにも増して大きな収穫は、本家に招き入れられて墨絵のような芸者のあで姿の入った石や干支のセットのコレクションを見せてもらった挙句に、ダチョウの卵ほどの丸い石をいただいたことである。手作りの台座まで付いている。天然の丸石は貴重である。今、教室の机の上に置いてあるが、目ざとい生徒たちとの間にはさっそく話の花が咲く。

 その夜、愛寿先生から電話があった。後日談をまとめて、『世界全国境突入記』と題して4月に出版したばかりだから進呈するとおっしゃる。うれしいやら、申し訳ないやらだが、いいタイミングでお訪ねしたものだった。本は3日後に届いた。これについては「Topics」のページで詳しく紹介したいと思う。何しろ、ロマンと冒険に満ち満ちた話なのだ。こちらへ。

 22日月曜日、検索エンジン・ヤフーから、作文道場のサイト(http://www.dohjoh.com/)を掲載した旨のメールが入る。飛び込んできたという感じであった。ビッグニュースである。三,四回登録申請をして、ようやくリストアップされたのだ。記念に、これも「Topics」に記しておこう。


May 12.'00 < チョー オユー >

 光陰は矢のごとくに過ぎてゆく。日記が月記にならぬうちに、ゴールデンウィークのころのことを記しておかなければならぬ。

ヒマラヤの山の絵葉書
 5月2日、ヒマラヤのチョー・オユー登山隊に参加した香川さんからメールが入った。その前には4月15日付でカトマンズから絵葉書を送ってくれた。それには、5500メートルの高所順応を済ませてカトマンズに戻ってきたところだとあり、そのほか、散髪代が50ルピー(80円)で、ビール付きのスキヤキの夕食代が510ルピーだったと書かれてあった。生徒たちと読みながら、「夕食代は何円か」と暗算を競っていたものだった。

 2日のメールには「チョー・オユーABCからの脱出」とあった。一瞬、どこから送信しているのだろうと思った。「ABC」というのは標高5600メートル地点に設けられたベースキャンプのことである。読み進むにつれて、それは青梅の自宅からだと分かった。炒め物ばかりの食事に慣れなくて栄養不足になり、遂に登頂を断念し隊と別れて帰国したとのことであった。
(写真はチョー・オユー、8201m)

 残念ではあるが、懸命の選択、熟慮の末の選択だったようだ。今回はこれでよかったように思われる。高所順応等、懸念されていた点は全てうまくいっていたようなので、食事のことは試行錯誤のよい体験と考え、次回に期待する旨の返信をする。

          ………………………………………………………………

 いわゆるゴールデンウィークは、あちこちツツジやハナミズキなどの花見をしながら、もっぱら「勇樹くんの作文みるみる上達記」に取りかかり、9日に公開の運びとなった。勇樹くんの友達の名がイニシアルになっているのは勇樹くんの希望による。あと数編の作品を掲載して、次の「山村留学記」にかかる予定である。勇樹君は当時の1年を回想して、大まかなプロットを作った。これから順を追って、月に3つくらいのペースで書いていくことになっている。「上達記」続いて連載の予定である。
 「上達記」はこちらへ。

 連休が明けて、運動会や中間試験の準備で生徒諸君は忙しくなっている。 

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Apr.18. '00 < 国語の’超’勉強法 >

 新学期になって10日余り、それぞれの諸君のプログラムも決まった。といって、厳密なスケジュール表などがあるわけではない。何をどうするか、その方向性が決まったという程度である。作文を主とする生徒、教科書の勉強を主とする生徒と、コースはおおよそ二とおりに分かれるが、どの生徒にもさせる作業に「文章の要約」がある。

 月に1、2回、教科書の生徒にはメインの作業として、作文の生徒には題材が不足したときなどに行わせる。これがあるため、プログラムは弾力的に進められる。まちがいなく役立つ作業が根幹にあると思えば、道草を食ってもいられる。

 3月に今は中1のカンくんが入ってきたとき、お母さんが「ここで勉強すると、スパッと成績が上がるんですってね」と言った。そんな噂が立っているようだ。必ずしも即効性があるわけではないが、きちんと読み取り試験前に模擬問題でもやれば、定期試験の得点は当然上がる。

 それよりも、要約の作業の利点は、まず、言葉の操作を通じて言葉に習熟していくことにあり、また、練習それ自体が頭の体操になって、うまく書き切れれば快感が得られることにある。究極的には頭脳の鍛錬、抽象能力の涵養であるから、地力がついて教科全般にも波及する。そこから、『言語能力は学力の基礎』という命題も立てられる。

 どうすれば国語力をつけることができるか。これは教育界の難題である。昔からの方法で有効なものに、音読と意味調べがある。学力の程度は文章を音読させてみればだいたい分かる。すらすら読めるかどうかが一つのバロメーターとなる。

 ところが、昨今は映像文化の影響で、家庭で音読の練習をすることなどはほとんどないようだ。意味調べにしても、どうせやってこないからという理由で、宿題にする学校も次第に減っているようだ。こうして、児童・生徒の活字離れはますます進んでいく。このような情勢にあって、要約の作業では否応なく、まともに文章と向かい合わなければならない。
 その効用については上述のとおりであるが、卑近な例では、教科書に沿って進めれば、ついでに漢字も覚えられるという利点もある。

 活字離れの反面、例えば大学入試では、推薦入試の枠が広がり、さらに、AO入試が導入されて、論述が多く求められる傾向にある。しかも、小論文の8割は「文章の要約と論述」という形式で出題されている。ともかくも「書く」機会が増えていく。よって、長期の目標を大学入試に設定するならば、ますます自信をもって生徒諸君にこの作業を課すことができるのである。

 上に述べたことを総論とすれば、次のそれぞれは各論である。

 「国語力練成講座」 : 小学生のページ   中学生のページ   高校生のページ

 これらはまことにオーソドックスな方法なのであるが、「驚異の」得点力がつくことを考えれば、「超」勉強法であると言ってよいかもしれない。


Mar.23. '00 < ヒマラヤ登山壮行会 >

 昨夜、「2000年、チョー・オユー登山隊」の壮行会が新宿の高層ビル街のホテルで開かれた。チョー・オユーはヒマラヤの8000メートル峰の一つである。隊員の一人、香川澄雄さんの誘いによって出席した。

 香川さんは「日本三百名山」をランニング登山したことで、「ウルトラ ランナー」として知られる。48歳でマラソンを始め、三百名山への登頂は約10年をかけて三年前の、61歳の夏に達成した。
 「次の目標は」となると、「自然にヒマラヤが思い浮かんだ」。しかし、8000メートル級となると、酸素が平地の3分の1しかないからランニング登山というわけにはいかない。そこで、思いついたのが「ランニング下山」であった。

 ところが、この希望を受け入れてくれる登山隊がない。しかも、香川さんには心筋梗塞を患った前歴もある。普通に考えれば「無理」ということになるが、香川さんはあきらめない。「三百名山に挑戦するときも無理だと言われた」という。山への挑戦は病気への挑戦でもあるようだ。そのうちに、心臓にバイパスができたというから不思議だが、受け入れてくれる登山隊も見つかった。「イエティ同人隊」といい、参加資格は「自己の管理責任において行動すること」なのだそうだ。山好きの人に開かれた登山隊といえるが、主要メンバーはエベレストやマナスルなどの登頂経験者から成る。33歳から64歳までの総勢13人が5月の中旬の全員登頂を目指す。

 ここにこの一事を記すのは他ではない。「悠遊館」の物語・『晴球雨読』に多少とも縁のあることだからである。主人公の矢川究平は一種のスーパーマンである。第2章以降、特に第4章では奥多摩の山野・渓谷を自在に駆けめぐることになる。例えば、大菩薩峠に登るのに、普通の人なら3時間余りかかるところを1時間で軽々と登る。

 物語の流れからして、だんだん超人的になるのだが、果たして現実にこんな人がいるだろうかという懸念はあった。空想だけで仕立てては物語が宙に浮いたものになりかねない。しかし、究平の運動能力からすれば、あり得ないことではない。かねがね、そう思っていたところ、目に飛び込んできたのが「三百名山走って踏破」という「アサヒタウンズ」の記事であった。

 さっそく記者の榎戸さんに紹介してもらって、青梅市のお宅を訪ねた。1日に3つの山頂を極める方法や装備と走り方のことなど、いろいろな話を聞かせてもらった。日本第二の高峰・北岳については、2時間半ほどで登ったということであった。普通の人なら、ふもとの広河原から頂上まで7,8時間かかるところをである。大いなる裏づけを得た思いであった。

 今朝の朝日新聞の多摩版に、香川さんが愛用のシューズにアイゼンを付けたのを持ってにこにこしている写真が載っている。そうだ、走り降りる前に頂上でこれと同じポーズの写真を撮っておいてくれるといいな。その旨、メールを打つことにしよう。

 追記 : 28日は羽田に泊まって、翌日早朝関西空港に移動し、そこからカトマンズに向け
      て発つとの返信があった。
       順調にいけば、5月の末に帰国の予定である。(Mar.27)


Mar.17, '00 < 若乃花引退 >

 「体力を補う気力が限界にきた」
 久しぶりに中味のある言葉を聞いた思いがする。横綱・若乃花の引退の弁である。そんな思いがするという、ただそれだけのことであるが、どこかに書きつけておきたいと思ってここにした。

 「久しぶりに中味のある」というのは、このごろの、特にマスコミから流れてくる言葉には誇張や虚飾が多いためである。一例がワイドショー番組である。政治家の答弁は近ごろに限られるものではないが、このごろでは役人や警察幹部の嘘の上塗りが次々とはがれていくのも目立つ。そんな中で、引退の弁は真情の吐露として、「なるほど」と納得させられるものであった。
 
 就職試験は上り坂にさしかかったようである。論作文試験で考えを求められたら「体験をもとに述べよ」と、道場では口うるさく指南している。真情が最も説得力をもつと考えられるからである。この真情が若乃花の真情に通じるところがあるであろうか。

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Feb.29, '00 < 論作文講座 >

 18、22の2日、明星大学で「就職試験の論作文講座」をもったが、実に気持ちよく授業ができた。就職課のスタッフの皆さんのチームワークと学生諸君の熱意と協力のお陰である。その熱意にほだされて、提出された120枚の答案を中3日の間に添削評価してみたほどであった。このことについては「明るい星の丘で」とでも題して、改めてまとめてみたいと思う。

 このホームページを作成・発信しているパソコンの容量が限界に近づいてきた。これから講座のテキストをウェブ上に書き込んで公開するなど、言語に関する活動を多彩に展開する予定であるため、高速・大容量のものに切り替えることにする。そのパソコンが届いた。来月からの発信は新パソコンからとなる。果たして、うまくバトンタッチができるだろうか。


Feb. 1, '00 < ホームページ新居へ >

 一昨日、新ドメインのアドレスにジャンプできる状態になった。
 新たな幕開けはパンパカパーンと華やかにと思っていたが、なかなか技術が追いつかない。一昨1月30日にアクセスカウントが3500を超えた。これをもって第三の門出の日としよう。

 新たなホームページづくりはこれからである。全体を再構成し、手始めに『大学入試の小論文の書き方』のテキストを、専用ページを設けて書き込んでいくとしよう。


Jan.14, 2000 < COM ドメイン設定 >

 一昨12日の夕方に新しいアドレスの dohjoh com が新居にセットされたとのメールが入る。
 これで、いつでも発信できる状態になった。引越しの準備にかかろう。だが、新たにするべきことは多い。メールのアドレスづくりなどはどうすればよいのか。このパソコンもぼつぼついっぱいになるから、中身の移し替えも考えなければならぬ。
 年末年始には新アドレスへの移転を、アクセスカウントが3000を越える時と考えていたが、その区切り目を早くも今日は越えてしまった。ならば、3月に追い立てを食うまでには時間があるから、ゆっくり進めることにするか、と居直る。

< 多摩モノレール開通 >

 その日は明星大学との打ち合わせで、2日前に開通したばかりのモノレールに乗った日でもあった。立川から今冬の初雪が舞う中を多摩川を渡って、多摩動物公園の前を通り、中央大学との境目の谷間の駅から、屋根つきのプロムナードを昇って丘の上のキャンパスに着いた。
 来月の20日をはさんで2日、ここで就職試験対策の論作文講座を行う、その打ち合わせである。原案どおりに話がまとまる。すべてがスムーズで、帰りのモノレールの空中散歩も快調であった。

< 『作文の極意』脱稿 >

 その前日には、『作文の極意』の原稿を、「あとがき」を残して一ツ橋書店に渡す。編集の土居嬢に、いつものように、西国分寺までご足労願う。原稿は年越しとなったものの、本文は5日には書き上がっていた。渡すのがこの日まで延びたのは今年の冬休みが10日まで延びていたからだった。それでも、その間の「暇」は貴重だった。序文の「はじめに」に手こずっていたのが、すっきりとまとまったからである。これによって一書全体の統一もとれた。土居嬢には桜花の頃の発行となるようお願いする。
  

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1999年

「COM ドメイン取得」 「作文みるみる上達記」 「カラスウリ」 「日本語のリズム」

「サイトマップ」 「OB大学生」 「作品展示場の先輩嬢」 「インターネットなるもの」

「アクセスカウント120」 「ホームページ始動」


Dec.27 '99 < COM ドメイン取得 >

 夜10時ごろ、アメリカの Network Solutions 社よりメールが届く。"Registration of the domein name DOHJOH.COM is complete"とある。
 自前でつけるなら、これ、と思っていたアドレスがわがものになった。正式には、http://www.dohjoh.com/ となる。

 現在のこのホームページはNTTリースのサービスによって場所を得ている。ところが、3月でサービスを終了するとの通知が先月の初めころにあった。代わりに、OCNのサービスが受けられるということなので、一応アドレスを一つ確保しておいたが、間借りではいかにもアドレスが長い。これを契機に、独自ドメインの取得を試みる。

 暇を見て、あちこち探しながら比較検討したところ、費用はそれほど高くない。問題は手続きである。国内登録のドメインなら代行社はいくつもあるようだが、アメリカに登録するとなると、NTT関係でも代行は困難なようだ。かといって、国内ドメインでは書類が要るとのことで面倒だ。それに、ほしいのはやはりCOMだ。

 パソコンやインターネットの手続きは国内の会社相手でも専門用語に悩まされる。それが、全て英語でとなるとどうなるだろうか。慎重に読み進めながら5、6ページに記入しただろうか、格闘すること1時間余り。転送ボタンを押して間もなく「受理」のメールが入り、その30分後に上記の「登録完了」の報となった。「ぼくにもできたっ!」というところである。

 引越しはいつになるか、はっきりした日時を決めることはできないが、著書を仕上げた後、年明けにさっそく着手しよう。容量が今の50倍も入るほど大きいので、多彩に展開していこう。


Dec. 7 '99 < 作文みるみる上達記 >

 『作文の極意』・第5章「表記の基本」を書き終える。
 原稿のほうは、この章だけは前作をベースにできるため快調に進んだ。あれこれ手を加える彫琢の作業は快く、リズミカルに事は運んだ。生徒諸君と過ごす時間のほかはほとんど、この快いリズムに乗っていた次第である。

 その間、先月28日にはアクセスカウントが2,000を超えた。5か月足らずでのこの数は、身に余る光栄ともいうべきものである。繰り返し訪れてくださっているであろう方々に感謝したい。このホームページの一層の充実を図るべく意を新たにする。

 30日にはK君が大学の推薦入試に合格した。9月になって現われた当初は2月の入試を目標にしていたのだが、推薦入試も受けてみると言う。ところが、K君の言う「小論文もない推薦入試」は8月に始まっていた。AO入試だということが分からなかったのだ。やむなく公募推薦入試を受けることにし、小論文の特訓が始まった。にわか仕立ての観は否めないが、予想される範囲の身辺整理をしておいた。「高校時代に打ち込んだこと」と「将来の展望」が出て、ほとんど練習したとおりに書けたということであった。

 12月に入って早々、Y君が長足の進歩ともいうべき作文を送ってきた。彼は中1生で、お父さんがこのホームページをご覧になって、交流が始まった。もっぱら電話とファクスでのやり取りである。2か月前にはメモ程度のたどたどしいものだったのが、600字の一編の体験記を送ってきたのだ。驚くやら、うれしいやら、思えば、これは一編のドラマである。これほど早く書けるようになるとは思わなかったが、実は、この過程では道場の生徒諸君の協力もある。機会を改めて、この出来事をドキュメンタリーにまとめたいと思う。

 追記:このドキュメンタリーは『勇樹くんの作文みるみる上達記』に結実。こちらへ。


Oct.25 '99 < カラスウリ >

 「武蔵野のカラスウリ」さんから「ほのぼの」メールをいただいて、「交歓会場」に掲載した頃(1−1−⑪)、近所の、散歩道の途中にあるお宅から「カラスウリが色づいてきたので見にきてください」との知らせを受けた。

 さっそく行ってみると、壁に這わせたツタの中に細長い卵ほどの大きさの赤いものが二、三個見える。ダイダイっぽい赤が奇妙に美しい。
 あの赤は朱といえばよいのだろうか。帰りの道すがら、一句を考える。

 在りと知る朱に染まり初めカラスウリ

 「見ましたよ」という返事の代わりに送ろうとしたのだが、もう一つ釈然としない。二、三日、ふと思い出しては、舌頭に二、三転させる。芭蕉の教えに従えば千転させなければならないのだが、五、六転させたところで、もうこれ以上は転がらない。止むなく手を打ってハガキに託す。

 現るる朱のカラスウリ蔦の壁

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Oct.12 '99 < 日本語のリズム >

 歯医者の待合室で、手にした『週刊新潮』をパラパラめくっていると、山本夏彦氏のコラムが目に留まった。氏は出版社主であると聞く。歯に衣着せぬ物言いで人気があるようだ。コラムの題は『社会主義早わかり』とあり、その中に次の一節があった。

 「(新聞や雑誌の)文脈に混乱が生じたのは全国に旧制高等学校ができてからである。(中略) お雇い外人は高給だから追々日本人教師にかえたが、優等生で全国の高等学校は賄いきれない。そこへ岩波用語である。訳者は誤訳の指摘を恐れて逐字訳した。日本語はリズムを失った。(後略)」(10月7日号)

 氏の話は社会主義がいかに的外れであったかの論難になるのだが、目に留まったのは「日本語はリズムを失った」というくだりである。それが翻訳のせいであり、岩波書店がからんでいるとなると、思い当たることが多い。

 岩波の本については、学生時分に十数巻の『講座』の購入予約をして後悔したことがある。新書でも時々というところだが、それはともかく、今は、大学生の文章はどうしてこうもギクシャクして分かりにくいのだろうと思う。これは特に国家Ⅱ種レベルの全国模試の答案を添削・採点しているときに思うことである。何とか読めるものが数パーセント、まともに筋の通っているのは1パーセントあるかないかである。

 分かりにくいのは翻訳調の漢語が次々と出てくるため、また、ギクシャクしているのはその漢語の意味が未消化のまま使われているためといってよい。これは他ならぬ、大学の授業が翻訳語で行われているためであり、学生は「論述」というのはそんな言葉を使うものだと思いこんでいるためであろう。大学生になって文章が書けなくなっている。そんな感じさえある。

 模試の採点・添削のたび、同じ注意をしなければならないことに辟易し、いっそハンコでも作ってぺたぺた押していこうかと思ったのがきっかけで本を書く気になり、その中で若干の注意もしておいたのだが、待合室では大いなる味方を得た思いであった。翻訳調を脱しようよ、という思いには切なるものがある。


Sep.25 '99 < サイトマップ >

 アクセスカウントが作24日の午後から夕方にかけて1000を超えた。これを祝福してくれるかのように、朗報が相次ぐ。詳細は「交歓1−1」の①〜⑤、⑦等(同ページの最下方)に譲るとして、新たな人との対話によって「道場」の広がりを覚える。

 ただ、道場に通っている生徒諸君は、このホームページのふくらみをほとんど知らない。インターネットの装置を備えている家庭は1割程度だからである。そこで、今月の便りに、7月以来の経過を書き、ついでに「サイトマップ」(ホームページの系統図)を作って、これに添えた。

 これを高校生の一人に見せると、「ああ、こんなふうになっているのか」という。彼の作品は小学生の時のものが載っている。『突き指』がそれである。自分の作品の位置が分かって、しきりにうなづいていた。系統図は鳥瞰図として分かりやすいようだ。


Sep.8 '99 < OB大学生 >

 大学生の本当の夏休みは、今は9月になってからなのだろうか。先月末と今月初めに相次いで卒業生の訪問を受けた。

 T君は今春、三重県の大学に入った。家は国分寺にあるのだが、お父さんの故郷に帰る格好となった。いずれはそこに戻るという事情もあった。前期の試験が七月末に終わった後、少しアルバイトをして戻ってきたところなのだという。お土産に、かの地の名物の菓子饅頭のコンパクトな詰め合わせをもってきてくれた。

 太り気味に見えた体は堂々たる体躯に変わっている。髪を茶色に染めているのは、「並」という意味で気になるが、驚いたのは、目が大きく開いて据わっていることだった。一見、西郷さんのようでもある。去年の今ごろに較べれば、別人のようだ。今にして思えば、うつろな目をしていることが多かった。

 受験というものの見当がつかず、正月頃には憔悴しきっていたのだろう。それが、受験から解放されて本来の姿に戻ったのか、それとも新たな場に満足しているのか。聞いてみると、高校に較べれば気分的にずっと楽だという。目の据わりは、解放感のなせるところなのだろう。苦労していた英語も生きてきているようで、話は留学にまで及んだ。

 Y君は3週間に及ぶ少林寺拳法の合宿から戻った足で、ご両親と一緒に訪ねてくれた。2年目の今年の土産は、初段の允許状であった。「かっこいいねぇ。おめでとう。それにしても、初段とはねぇ」と、ひとしきり感心していたものだった。

 彼は高校では野球をやっていて、大学でも続けるつもりだったが、野球部は全国的には名を知られていないもののプロ選手を輩出していると分かって、とても出番は回ってきそうになく、たまたま呼びとめられた拳法部に入ることにしたのだった。

 Y君は、このところは順調であるが、高校までは失敗と苦労の連続であった。中学も高校も入試で失敗している。高校は第二志望の学校であったから、野球に比重がかかった。道場へは国語と英語を習いにきていたが、居眠りをしていることが多かった。それでも、内申点は推薦入試を受けられる程度に稼いでいた。

 願書づくりのとき、長所のアピールのくだりでは言葉探しに苦労したが、材料には確たるものがあった。それは、野球を続けたことである。それを書ききったことが、その後のステップになったようだ。「こんな免状を手にしてみると、拳法にしておいてよかったねぇ。野球には段級なんかないことでもあるし……。ともかく、おめでとう」。
 お持たせのビールで乾杯をし、歓談は夜更けまで続いた。

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Aug.12 '99 < 作品展示場の先輩嬢 >

 今日から道場は8日間の夏休みに入る。

 「作品展示場」に登場してもらった卒業生から、ポツポツと返事が来ている。生家を通じて連絡を取ってもらったから、卒業年度が古いほど返事が来るのに時間がかかる。

 S嬢(展示3・『超高齢社会』)からは連絡をして間もなく、先月中旬に声の便りがあった。既に福祉事務所で働いているという。インターネットの装置が身辺にないので、まだ見ていないが、楽しみにしているということだった。

 昨日は封書の便りが届いた。J嬢(展示1・『手紙』)からである。実は、彼女は20年前の生徒である。その当時のことや近況が便箋2枚に清楚な文字でつづられていた。掲載の作文については、「こんなことを書いたのかと、驚くやら懐かしいやらで複雑な気分」とある。今はもう30代のレディーなのだが、当方には目がきらきらと輝くオカッパ頭の少女の姿しか思い浮かばない。

 何事も控えめな少女だった。それでいて、受験では敢然と72群(国立・立川)に挑んだ。当時の72群は多摩地方一円を学区とする、御三家に並ぶほどの難関だった。合格発表があるまでは予断を許さないという緊迫した状況の中で、彼女は見事に合格を果たした。それは、国立高校が甲子園に出場した年の、次の春のことだった。

 便りの末尾には、今年の2月に結婚したと添えられていた。何はともあれ、お祝いを言おう。そして、展示場のトップに立ってもらったわけを、今に至る仕事の流れの中で話しておこう。


Jul.20. '99 < インターネットなるもの >

 今日から、小・中学生は夏休み。道場では「夏期講習」が始まる。
 5年生のTくんが、英会話教室の行事で23日から10日間、オーストラリアへ出かける。ブリスベーン(東海岸中部の都市)でホームステイをするのだという。

 道場ではこのところ、やり変えたホームページのことが話題になる。「地球の裏側からでも、見ようと思えば、すぐに見られるんだよ」などいう話もしておいたので、Tくんは「向こうへ行ったら見てみよう」と言って、URLの入った道場の名刺をもっていった。

 ◎ Tくんの帰国談:「ここで見たのと同じだった」
    メールを送ってもらえばこちらも実感できたかもしれないと、いささか後悔したことだった。
    (Aug.5)


Jul.10 '99 < アクセスカウント120 >

 5日間でアクセスカウントが120を数える。当初の転送や調整で30カウント余り、その後のチェックアクセスを入れて、当方で50カウントとすると、70カウントはだれかがアクセスしてくれたことになる。メールも入り始めているが、ほとんどは見えぬ人たちである。知人のほか、いったいどなたが見てくれているのだろうか。


Jul.7 '99 < ホームページ始動 >

 一昨5日から6日にかけて、一年ぶりにホームページがすっかり入れ替った。4月末に着手、一か月余りで不調。ソフトを変えてさらに一か月、17ページの大枠ができる。5日の丑三つ時に転送開始。マニュアルどおりにいかず、不調。あるいは、失敗か。

 明けて九時、サーバーとの問答。半分は入っている様子。画像のファイルネームの修整にかかる。夜中から6日の未明にかけて転送再開、明け方に一段落。リンクもすべて機能していることに安心する。
 さあ、展開はこれからだ。

 「作品展示場」に答案の掲載を了承してくださった皆さん、ありがとう。


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エンドウの花