こいのぼり

Gallery 展示1

作文ワールド(Ⅰ)

(小学生の作文このシリーズの原型
① 七・五の四行詩:
  「たまごやき」
  「突き指」

② 理科作文:「風」

③ 社会科作文:「熊本」

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次のページへのクリックマーク 作文ワールドⅡ(生活文) Ⅲ(社会科作文) Ⅳ(理科作文) 
Ⅴ(スポーツ作文)   Ⅵ(七五の四行詩)  Ⅶ(図工作文)  Ⅸ(家庭科作文)
Ⅷ(エトセトラ)   Ⅹ(作文のこころ)
「東日本大震災」の作文・第1部  第2部・第3部

作文打出の小づち 総もくじ
作文編  国語編  小論文編  閑 話

 七・五の四行詩

次の二つはいずれも「きのうあったこと」という作文をもとに作ったものです。

たまごやき

(小三 K.K.)

あぶらをしいてフライパン
たまごがジューと広がった
フライがえしでうらがえし
こんがりプーンといいにおい 

突き指

(小六 T.M.)

半サッカーの昼休み        家に帰って、お医者さん
今度はぼくがキーパーだ      骨折だって! 驚いた
強いシュートを捕りそこね     「でも、よかったわ」と、お母さん
指が曲がった、突き指だ      「字を書くほうの手じゃなくて」

「半サッカー」というのは、
片方のゴールだけを使って攻守交代で行うサッカーのことです。

七・五の四行詩は、
日本語の五・七や七・五のリズムを
漢詩の「絶句」や「律詩」の形式で整えたものです。

言葉選びが頭の体操になります。


 理科作文「風」

 梅雨だというのに雨が降らないで、むし暑い日が続いていました。作文道場に着いて、「暑いなあ」と思っていると、すうっと風が入ってきました。「ああ、すずしい」と、おもわず声を出すと、先生が「風はどうやって吹くのか、知ってるかい」と言いました。「というのはね、ぼくは小さいころ、小学校の一、二年ころだっただろうな、風は木が起こすと思っていたんだ。ゆさゆさと体をゆすってね」 わたしはわらってしまいました。それは違うと思いました。「地球が回っているからでしょう」と言うと、先生は「う〜ん」と少し考えて、「じゃあ、地球はどのくらいの速さで回っているんだろうね」と言いました。そこで、計算してみることにしました。百科事典を開いたり先生に聞いたりしていろいろなことを調べました。

 地球は太陽から約1億5000万km離れた所を回っています。地球の大きさは、半径が赤道の所で約6400kmで、回りの長さは約4万kmです。地球は自転しながら公転しています。
 まず、公転の速さは、秒速で計算すると、
   (150000000×2×3.14)÷(365×24×60×60)で、29.87…となり、約30kmです。
 次に、自転の速さは、時速で計算すると、
    40000÷24で、1666.66…となり、約1700kmです。これを秒速に直すと、
   (1667×1000)÷(60×60)で、462.96…で、約460mです。

 秒速30kmというのは、ものすごい速さで回っているのだと思うだけで、見当がつきません。時速1700kmというのは新幹線の約10倍の速さです。
 このように、地球は新幹線よりずっと速い速さで自転し、その何百倍もの速さで公転しています。だから、地球の上に乗っている物は、遠心力がかかって遠くへ飛ばされてしまうはずです。でも、飛ばされないのは、「引力」があるからです。引力というのは地球が物を引き寄せる力のことです。その引力があるから、人も物も全て地面にくっついているのです。わたしは、引力ってすごいな、と思います。

 わたしは、最初はそのように考えていました。でも、引力に引っぱられているとしても、地球が回っているのですから、もうれつな風が当たるはずです。そこで、もっとよく調べてみると、ふだんあまり風が強く当たらないのは、地球には大気という空気があって、それが地球の表面をおおっていて、地球といっしょに回っているから、ということでした。つまり、わたし達は大気につつまれて、もうれつな速さで回っているのです。
 では、その中で、風はどのようにしてふくのでしょう。
 かんたんに言うと、空気が暖められたり冷やされたりすると、暖かい空気は上に行き、冷たい空気は下に来る、そのような空気の動きによって風は起こるのだそうです。
                     (小五 もも)

この「風」の話は何回かのやりとりの末にまとまったものです。

ももちゃんがこの作文を書いたのは平成12年(2000年)のことです。
あれから4年、ももちゃんは筑波大学付属高校に進むことになります。

理科作文、社会科作文という名称は、
仮に付けたものです。
出来事の単なる記録から一歩進んで、
科学の心が育ってくれればいいな、と思います。


 社会科作文「熊本」

 今年の夏休みは、母と熊本へ行った。熊本には父が単身赴任している。七月二十七日に飛行機で行き、翌日阿蘇山に登って、四日目に熊本城を見学した。
 
 阿蘇山へは途中まで車で行き、中岳に登った。頂上へはロープウェイに乗った。ゴンドラから下を見ると、火山灰や火山弾がたくさん積もっているのが見えた。阿蘇山が噴火すると、こんなにもたくさんの火山弾と灰が出てくるのかと思った。
 頂上に行くと、おもしろいおじさんがいて、阿蘇山が大噴火した年のことや、阿蘇山が噴火するとどのくらいすごいのかなどを話してくれた。頂上のふちのガケのような所に行くと、下にいろいろなカルデラのあるのが見えた。煙が出ているものやきれいな水のたまっているのもあったが、すごく火山灰の積もっているものや泥水がたまっていてきたないものもあった。今はきたなくても、昔はみんな噴火していたんだなと思った。
 辺りを見まわすと、すぐ下にドーム型の避難所があった。これは、火山が噴火したときに避難する場所で、屋根は1トン程度の重さなら耐えられるということだ。しかし、今もし中岳が噴火したら、ほんとうに1トンの重さに耐えられるのかなと、ちょっとこわくなった。
 その日は中岳から阿蘇の外輪山は見えなかったが、外輪山は阿蘇山の最大のカルデラで、南北24km、東西18km、周囲68km、面積が380平方kmもある。これは昔、直径20km
にわたって噴火したあとなのだ。世界でも有数のカルデラだいうことだ。そのカルデラの中には三つの町と三つの村があり、約六万人が住んでいる。その人たちはこわくないのだろうか。もしかしたら、もう一度そのカルデラが爆発するかもしれない。そうでなくても、中岳の中に世界でも有数の火口があって今も盛んに活動しているのに、こわくないのかなと思った。

 三日目は近所を散歩しただけで、父の部屋でゆっくり過ごし、四日目は昼ごろに出て、バスで熊本城へ行った。バスに乗ってしばらくすると、城が見えてきた。高いところにあって、すごく大きく見えた。城の建物がのっている石垣には石がいっぱい積まれているのも見えた。バスを降りて中に入ってみると、その石垣がすごい高さだということが分かった。五メートルか六メートルくらいあった。その石垣は、敵が登ってこられないように、打ち込みハギとか切り込みハギとかいう工夫がされているということだ。昔の人はよくこんな高さまで石を積み上げることができたなあと思った。
 熊本城には木が多く、セミがたくさん鳴いていた。それだけ木にはセミの脱けがらが多く、中には一年以上たっていそうなものもあった。石段はコケが生えてじめじめしていて、かなり急だった。昔の人は着物を着たまま、こんな急な石段をどうやって登ったのだろうかと思った。石段を登って辺りを見ると、加藤清正の像があった。清正は朝鮮で虎退治をした話で有名だ。清正の像の近くに井戸があった。その井戸はとても深いようで、のぞきこんでも中が見えなかった。昔の人は、機械も使わず、こんな井戸を掘るには、すごく根気が要ったことだろうと思った。
 城の建物の中に入ると、また井戸があった。その井戸は前の井戸のように深くはなく、のぞいてみると、お金がいっぱい沈んでいるのが見えた。二階に登ると、敵が石垣を登ってきたときに応戦できるようにするため、岩を落とすすきまのあるのが見えた。その階には刀やよろい、かぶとなどが展示してあった。昔の人はこんな重い装備で、よく敵と戦えたなあと思った。一番上は、熊本市を見渡せる展望台だった。
 この城は、関が原の戦いの後、加藤清正が建てたもので、清正はここを居城として肥後一円を支配した。しかし、加藤家の支配は二代目で終わった。1632年に細川氏に代わり、以後、明治の西南戦争で焼け落ちるまで240年にわたって細川氏が居住した。その後、昭和35年(1960年)に再建された。ほぼ原型どおりに復元されているということだが、もし燃えないで残っていれば、すごく古くて、貴重なものになっただろうなと思った。

                    (小六 かずや)

せっかくいい所へ行ったのだから、
時間・空間を広げて印象を深めておこう、というわけです。

かずや(和哉)くんは立教(新座)高校から立教大学に進みます。


ドキュメンタリー:「勇樹君の作文みるみる上達
例文集:「読書感想文

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富士山(中央線・多摩川鉄橋)