答案百花 光る文章講座 調理・事務・用務の作文 —— 地方初級・国家Ⅲ種 —— |
① 「調理職員を目差して」 ② 「調理の仕事」 ③ 「区職員としての心がけ」 ④ 「市民サービスの向上」 ⑤ 「職業というもの」 ⑥ 「生きがい」 ⑦ 「チームワーク」 ⑧ 「仕事と健康」 ⑨ 「家族」 ⑩ 「心に残るひとこと」 ⑪ 「私の好きな言葉」 ⑫ 「私の愛読書」 |
公務員試験の作文(講座案内)
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作文打出の小づち
総もくじ
作文編 国語編 小論文編 閑 話
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はじめの答案 | 添削例・諸注意 |
大好きな祖母のために介護を学ぶことにした。老人施設へ実習に行き、高齢者の方のために作られた食事を初めて見て、障害をもった方などの食事の介助をした。 離乳食のように細かくきざまれ、汁ものにはむせないようにとろみがつけられていた。塩分などの制限があるため薄味なのだが、食欲を増進させるように色の濃い食材や旬のものをうまく取り入れ、味の染みやすい切り方になっていた。デザートのスイカまで小さい賽の目に切られていて、お年寄りはスイカを口にすると目を細め、食感を楽しんでいるような顔をした。言葉で表現しているわけではないが、お年寄りが満足してくれているのが伝わってきて、こちらもうれしくなった。 食べる相手のことを考えて、工夫された食事にはとても温かさを感じた。施設の調理の方から、「薬を飲むためだけの食事になってはいけない。心待ちにしてもらえるような食事作りを心掛けている」と聞いた。私はその話を聞き、職員の方の思いやりを感じた。一日の中で大きな楽しみとなっている食事を満足できるものにしてあげようとしているのだ。私も相手を思いやり工夫して食事を作る「調理職員」になりたいと思った。 以来、祖母の食事を工夫して作るようになった。そして、調理という職業を目差すには家で食事を作っているだけでは足りないと思った。調理に関する知識もそうだが、「調理」というものを基礎から学びたいと思い、夜学で調理専門学校で学ぶことにした。仕事を終えてから学校に行くことは決して楽ではない。しかし、学んだ知識や実習で得たものは、祖母を含め家族にとても喜ばれている。そのことが自分の自信にもなった。 調理職員は、単に「食事を提供する」というだけでなく、相手に合った食事を作ることが大事だと思う。私が調理職員になったら、生きる活力になり、食べる人が心待ちにしてくれるような食事を作りたい。 (以上、約800字) |
← ……初めて目にした。離乳食のように、すべて細かくきざまれ……(※ 「障害を……」以下の文を削除して、次の段落の内容をつなぐ)。 ※ 「食べる相手の……」を前の段落につなぎ、「施設の調理の……」で改行する。 ← 何かが足りないと思った。 ← 調理専門学校の夜学で |
仕事に対する姿勢には好感が湧いてくる。
書き直した答案 | 添削例・諸注意 |
大好きな祖母のために介護を学ぶことにした。老人施設へ実習に行ったとき、高齢者の方のために作られた食事を初めて目にした。離乳食のように、すべて細かくきざまれ、汁ものにはむせないようにとろみがつけられていた。塩分などの制限があるため薄味なのだが、食欲を増進させるように色の濃い食材や旬のものをうまく取り入れ、味の染みやすい切り方になっていた。デザートのスイカまで小さい賽の目に切られていて、お年寄りはスイカを口にすると目を細め、食感を楽しんでいるような顔をした。言葉で表現しているわけではないが、お年寄りが満足してくれているのが伝わってきて、こちらもうれしくなった。食べる相手のことを考えて、工夫された食事にはとても温かさを感じた。 施設の調理の方から、「薬を飲むためだけの食事になってはいけない。心待ちにしてもらえるような食事作りを心掛けている」と聞いた。私はその話を聞き、職員の方の思いやりを感じた。一日の中で大きな楽しみとなっている食事を、満足できるものにしてあげようとしているのだ。私も相手を思いやり工夫して食事を作る「調理職員」になりたいと思った。 以来、祖母の食事を工夫して作るようになった。そして、調理という職業を目差すには家で食事を作っているだけでは何かが足りないと思った。調理に関する知識はもとより、「調理」というものを基礎から学びたいと思い、調理専門学校の夜学で学ぶことにした。仕事を終えてから学校に行くことは決して楽ではない。しかし、学んだ知識や実習で得たものは、祖母を含め家族にとても喜ばれている。そのことが自分の自信にもなった。 調理職員は、単に「食事を提供する」というだけでなく、相手に合った食事を作ることが大事だと思う。私が調理職員になったら、生きる活力になり、食べる人が心待ちにしてくれるような食事を作りたい。 (以上、約800字) |
← ……楽ではなかった。しかし、実習で得たものや学んだ知識は、祖母をはじめ、家族に…… ← 私が調理職員になったら、食べる人が心待ちにしてくれるような、生きる活力になる食事を作りたい。 |
この時が2度目の挑戦で、見事に合格を果たした。
② 「調理の仕事」
給食の歴史が分かる答案を紹介しよう。
筆者は栃木県に住んでいる。
はじめの答案 | 添削例・諸注意 |
私は昭和54年から学校の給食を作る仕事をしています。この仕事に入った頃はパンの給食でした。メニューは揚げ物、煮物、サラダ、果物ぐらいだったような気がします。 昭和52年から月1回の米飯給食が始まり、平成7年から週2回、平成11年から週3回の米飯給食になりました。メニューは、入った頃に比べ、焼き物、炒め物、蒸し物、デザートなど、とても種類が増えました。 10年ぐらい前になると思いますが、O-157という菌が出てから、いっそう衛生に厳しくなり、サラダは全てゆでて、生では子供達に出さなくなりました。 しかし、去年からレタス、キャベツ、トマトなど、生野菜の使用方法に従ったうえで、子供達に出すようになりました。最近では地元の米や野菜も取り入れ、直接農家の人が持ってくるなど、地域の人達と学校給食との関わりが増えました。子供達には野菜の名前や作った人の名前を紹介したり、収穫祭には招待し、ふれあいをもっています。 私はこの仕事が好きなので、これから学校給食がどのように変化していくか分かりませんが、安心で美味しい給食を心がけ、ずっと続けていきたいと思います。 (以上、約550字) |
※ 経験上の年代はこれでよいか。 ※ この問題にはどのように取り組んだか。「仕事」として、もっと具体的に書いておきたい。 ← 収穫祭には地域の人達を招待するなどして、 |
「O-157」による感染症が流行したのは平成8年(1996年)の夏であった。
書き直した答案 | 添削例・諸注意 |
私は昭和54年から学校の給食を作る仕事をしています。この職場に入った頃はパンの給食でした。メニューは揚げ物、煮物、サラダ、果物ぐらいだったような気がします。入って2年ぐらい経って、月1回の米飯給食が始まり、平成7年度から週2回、平成11年度から週3回の米飯給食になりました。メニューは、入った頃に比べ、焼き物、炒め物、蒸し物、デザートなど、とても種類が増えました。 10年ぐらい前になると思いますが、O-157という菌が発見されてから、いっそう衛生に厳しくなりました。使用する前の食材を検品し、決められたグラムを取り、2週間保管しています。調理した物はすべて75度以上であることを確認し、さらに、1分おきます。サラダは全てゆでて、生では出さなくなりました。 しかし、去年からレタス、キャベツ、トマトなどは、生野菜の使用方法に従って洗浄、消毒した物を出すようにしています。最近では地元の米や野菜も取り入れ、直接農家の人が持ってくるなど、地域の人達と学校給食との関わりが増えました。子供達には野菜の名前や作った人の名前を紹介したり、収穫祭には地域の人達を招待するなどして、ふれあいをもっています。 これから学校給食がどのように変化していくか分かりませんが、私はこの仕事が好きなので、安全で美味しい給食を心がけ、ずっと続けていきたいと思います。 (以上、約600字) |
← 食材は全て、使用する前に検査し、 ← 保管するようになりました。また、調理したものは |
給食に携る人々の苦労が偲ばれる。
反面、子どもたちに「おいしい!」と言ってもらった時には、
無常の喜びがあるようで、
張り合いや生きがいを感じるという答案も多い。
はじめの答案 | 添削例・諸注意 |
「相手を思いやる」ということが公務員には必要だと思う。これは「全体の奉仕者」としても精神にもかなう。そして、どんな仕事をする上でも大切なことではないだろうか。 私は病院で検査の受付業務をしている。毎日200人以上の患者さんを時間内に案内しなければならないため、つい焦ってしまうことがある。ある時、患者さんに「あなたは私の話を聞いていますか」と注意を受けた。早く次の方を案内しなくては、という思いと、慣れてきた業務で、その患者さんの話を最後まで聞かず、先読みをして対応していたのだ。きっと顔の表情も硬かったにちがいない。 患者さんも早い適切な案内を求めていると思う。だが、それ以上に、自分の話をきちんと聞いて私に反応してほしかったのではないだろうか。私も、混みあっている施設などで、職員の人に同じような対応をされ、不愉快な思いをしたことがある。だから、その患者さんの気持ちがよく分かった。業務を素早くやろうとする気持ちばかりが先行して、相手に不愉快な思いをさせてしまったのだ。忙しいときほど、相手の立場に立つことを意識するべきだったのだ。 私は、その患者さんに注意を受け、気づかせてもらったことに感謝している。仕事はただマニュアルどおりにスピードだけが必要なのではないのだ。相手が何を一番求めているのか考えるということを失敗の中から学んだのだ。 私は仕事の責任を自覚し、「相手を思いやる」ということを心がけて仕事をしていきたい。 (以上、約700字) |
←※ この段落の内容は、入れるなら末尾へ。第2段落から始めるとよい。 ※ 「……ないだろうか」という言い方は、理屈をこねまわすもとになるので、避ける。 ← 表情も素っ気なかったに…… ← 早くて的確な ← ……自分の話を聞いてもらって、きちんと応対してほしかったのだ。 ← マニュアルどおりにすればよいというものではない。スピードよりも相手の求めていることを聞き取ることが大切なのだ。私は失敗の中からこのことを学んだ。 |
現在の職場での失敗を例に、じゅうぶん反省を加えているので、
新しい仕事への抱負には信頼がもてる。
若干の表現のほか、事例を先頭に出すなど、段落構成を工夫すれば、
より説得力のある、上々の答案となろう。
書き直した答案 | 添削例・諸注意 |
私は病院で検査の受付業務をしている。毎日200人以上の患者さんを時間内に案内しなければならないため、つい焦ってしまうことがある。ある時、患者さんに「あなたは私の話を聞いていますか」と注意を受けた。早く次の方を案内しなくては、という思いと、業務に慣れてきたこともあって、その患者さんの話を最後まで聞かず、先読みをして対応していたのだ。きっと顔の表情も素っ気なかったにちがいない。 患者さんは早く的確な案内を求めていたと思う。だが、それ以上に、自分の話を聞いてもらって私にきちんと応対してほしかったのだ。私も、混みあっている窓口で、職員の人に同じような対応をされ、不愉快な思いをしたことがある。だから、その患者さんの気持ちがよく分かった。業務を素早くやろうとする気持ちばかりが先行して、相手に不愉快な思いをさせてしまったのだ。忙しいときほど、相手の立場に立つことを心がけるべきだったのだ。 私は、その患者さんに注意を受け、気づかせてもらったことに感謝している。仕事はただマニュアルどおりにすればいいというものではない。スピードよりも相手の求めていることを聞き取ることが大切なのだ。私は失敗の中からこのことを学んだ。 私は仕事の責任を自覚し、「相手を思いやる」ということを心がけて仕事をしていきたい。それは「全体の奉仕者」としての精神にもかなうと思う。 (以上、約700字) |
この答案は一種の雛型である。
個々の業務についての抱負は、おしまいの段落の頭に
希望の職種を加えた上で述べればよい。
④ 「市民サービスの向上」
M市では「任用替え試験」というのがあって、
つぎのような課題が出された。
「市民サービスの向上について、あなたの考えを述べなさい」
はじめの答案 | 添削例・諸注意 |
私はM市の職員であり、市民でもあります。私のように仕事をしている人達にとって、M市のホームページはとても便利です。市役所まで行かなくても、ほとんどの日常生活に対する情報を知ることができます。新しい技術や制度が取り入れられていて、市民生活がどんどん便利になっていると思います。 それでは、私にできるサービスの向上とは何だろうと考えた時に、一番に思い浮かんだのが駐輪場の仕事をしている人です。出勤の時にA駅の駐輪場をよく利用しています。私の朝の時間はとても忙しく、子ども達のお弁当作りなどをしています。少しいつもより仕度に時間がかかった時は駅まで自転車で行きます。その時の私は気持ちの余裕がありません。そんな時にいつも「おはよう」「気をつけて行ってらっしゃい」と職員の人が声をかけてくれます。すっと気持ちが明るくなり、「さあ、今日もがんばろう」と爽やかな気分に変わります。この声かけで、たくさんの人が私のように元気をもらっていると思います。 このサービスは、私にもできることだと気づきました。こちらから挨拶をすると、相手の人も話しやすくなります。近所の年配の方の中には、ゴミの出し方など新しいサービスが分かりにくい人もいました。「今日はプラスチックですよ」と教えてあげただけで、「ありがとう。覚えるまで大変だ」と言ってもらえます。 一人一人が思いやりの心を持って、市民に接していけば、身近な形でのサービス向上になっていくのではないかと思います。 (以上、約700字) |
※ 「私のように……にとって」を削除。 ← 日常生活に関するほとんどの情報を ※ 新しい技術を取り入れているのは「市」か「ホームページ」か。 ※ 結論との関係で、「何だろう」の後に「本来の仕事のほかに、+α(プラスアルファ)を考えたとき」とでも補っておく。 ← ……お弁当作りなどにいつもより時間がかかった時は ← そんな時に駐輪場のおじさんはいつも…… ← このようなことなら、私にも…… ← 新しい方式が ※ 声がけがサービスであるかどうかを検討した上で、市役所職員としての心構えをもって締めくくる。 |
よりよい部署に配属されるかどうかは、結論にかかっていると言える。
書き直した答案 | 添削例・諸注意 |
私はM市の職員であり、市民でもあります。M市のホームページはとても便利です。市役所まで行かなくても、ほとんどの日常生活に対する情報を知ることができます。市には新しい技術や制度が取り入れられていて、市民生活がどんどん便利になっていますが、ホームページもその一つだと思います。 それでは、私にできるサービスとは何だろう、本来の仕事に加え、私にできることは何かと考えたとき、一番に思い浮かんだのは駐輪場の仕事をしている人の姿です。私は出勤の時にA駅の駐輪場をよく利用しています。私の朝の時間はとても忙しく、子ども達のお弁当作りなどで時間がかかったときは、駅まで自転車で行きます。その時の私には気持ちの余裕がありません。そんなときに、駐輪場のおじさんはいつも「おはよう」、「気をつけて行ってらっしゃい」と声をかけてくれます。すると、気持ちが明るく爽やかになり、「さあ、今日もがんばろう」という気分になります。この声かけで、たくさんの人が私のように元気をもらっていると思います。 このようなことなら、私にもできると思います。例えば、近所の年配の方の中には、ゴミの出し方など新しい方式が分かりにくい人もいました。「今日はプラスチックですよ」と教えてあげただけで、「ありがとう。覚えるまで大変だ」と言ってもらえます。こちらから声をかけると、相手の人は話しやすくなるのでしょう。 これも一つのサービスであるなら、私は積極的に声をかけていこうと思います。市役所職員として知りえたことを、さりげなく住民の方に伝えていければ、身近な形でのサービスの向上になっていくのではないかと思います。 (以上、約750字) |
※ ホームページが新しいサービスであることに触れておくとよい。 |
こういう人が増えれば、役所全体の応対もよくなろう。
出題の狙いがそこにあることは言うまでもない。
はじめの答案 | 添削例・諸注意 |
駄菓子屋をやっていた祖母は、私を問屋さんまで連れていってくれたことがあった。駄菓子やオモチャを仕入れると、ダンボール2箱に詰め、それを背負って帰る。子どもだった私は手伝ってあげることができなかった。祖母の細い肩にはひもが食い込んでいたが、祖母は平気な顔をして駅の階段を上がっていった。穏やかな祖母だったが、店の物をいたずらすると、私や買いに来る子どもたちにも本気で怒っていた。 今はいつも昼寝をしたりテレビをみたりしているのだが、町内会のお祭りで出店を頼まれると、張り切って問屋さんに出かけて行く。そんな祖母を見ていると、駄菓子屋という仕事がほんとうに好きなんだなと思う。 子どもの頃から、イキイキと働く祖母の姿を見てきて教えられたことがある。「自分の仕事に自信をもつ」ということと、「自分の仕事を好きになる」ということだ。もし、自分の意志ではない仕事についたとしても、いやいやしていたのでは、仕事の成果が上がらないばかりか、自分の体にもよくない。 組織の中で働く上では、「人との和」も大切だ。仕事を一人で抱えこまず、全体の流れを知って気を配りこと、連絡を性格に取り合うことも必要だと思う。そして、ただ言われたことをやっていくのではなく、どうすれば更に向上していけるのかを考えることも大事だと思う。 私は今まで学生時代のアルバイトや、正社員、派遣社員として働いてきた。どのような立場でも、働く姿勢は同じだと思う。私が心がけているのは、人の言葉を素直に聞いて、良いところは見習うということだ。そして、祖母のように、イキイキと働こうと思っている。 (以上、約700字) |
← 祖母の肩には細いひもが ← 私はもちろん、買いに来る子どもたちも本気で叱った。 ← 自分の意志に反する仕事に ← よくないだろう。 ※ 話の流れがよくないので、また、内容にもつながりがないので、この段落の内容は後ろに回して、先に自分の働いた体験をもってこよう。 ※ 「どのよう立場でも……」以下の2文を削除して、代わりに働いた体験から得られたことを入れて、末尾の「祖母のように……」につなぐ。その際、課題に併せて「職業」という言葉を使っておきたい。 |
東京の下町のにおいが漂ってくる。実際、筆者は下町に住んでいる。
ほのぼのとした感じもあって、気分よく読んでしまうが、
話の流れを整え、課題にも応えて締めくくるようにしたい。
書き直した答案 | 添削例・諸注意 |
駄菓子屋をやっていた祖母は、私を問屋さんまで連れていってくれたことがあった。駄菓子やオモチャを仕入れると、ダンボール2箱に詰め、それを背負って帰る。子どもだった私は手伝ってあげることができなかった。祖母の肩には細いひもが食い込んでいたが、祖母は平気な顔をして駅の階段を上がっていった。穏やかな祖母だったが、店の物をいたずらすると、私はもちろん、買いに来る子どもたちも本気で叱った。 今はいつも昼寝をしたりテレビをみたりしているのだが、町内会のお祭りで出店を頼まれると、張り切って問屋さんに出かけて行く。そんな祖母を見ていると、駄菓子屋という仕事がほんとうに好きなんだなと思う。 子どもの頃から、イキイキと働く祖母の姿を見てきて教えられたことがある。「自分の仕事に自信をもつ」ということと、「自分の仕事を好きになる」ということだ。もし、自分の意志に反する仕事についたとしても、いやいやながらやっていたのでは、仕事の成果が上がらないばかりか、自分の体にもよくないだろう。 私は今まで、学生時代のアルバイトから、正社員、派遣社員として働いてきた。その体験から得たのは、好きな仕事といっても、思うような仕事はないということだ。しかし、どのような仕事でも、一生懸命取り組んでいれば、好きになってくものだ。そうは言っても、これが世の中のだれかの役にたっているのだろうかと思うこともある。そこで、自分にできて、少しでも世の中の役に立つ仕事は何だろうかと考えたとき、思い浮かんだのが、人に喜んでもらえると実感できる仕事ということだった。それが生きがいともなっている。そのために、私は公務員という職業を選んだ。 職場において大切なのは「人の和」である。私は自分のポジションと役割を確かめて、存分に仕事をしたい。そして、祖母のように、イキイキと働こうと思っている。 (以上、約800字) |
◎ 何と言っても、お祖母さんの話がすばらしい。 ◎ 体験から公務員へと、うまく話をつないだね。 ◎ 締めくくりにもお祖母さんが登場しているので、話に首尾一貫性が感じられる。 |
この答案を書いた後、彼女は区の採用試験に合格した。
はじめの答案 | 添削例・諸注意 |
学校給食を通して、子供達の体と心に栄養を送りたい、それが私の願いです。 私は中学校の給食調理員として働いています。中学校の中には髪の毛を茶色に染めた子や、眉毛を剃った子がいます。 先日、学校の中庭に置いてあったプランターがひっくり返されていました。A君がやったそうです。A君の担任の先生の話によると、A君のお母さんは病気で入院しているとのことです。A君は朝食を食べてきたのかな、家庭の中が寂しくて悪さをしたのかな、私はあれこれ考えていました。 給食の準備ができたので、私は配膳室に行きました。まだ4時間目の授業中なので静かです。トイレの前にA君がいたので、声をかけました。「もう授業終わったの?」と聞くと、Aくんは「おれ、トイレに行きたかったんや」と人なつこい顔で答えました。「もうすぐ給食やよ。残さずに食べてね」と言うと、A君はにこっと笑いました。予想以上に愛想がいいので、驚きました。私は、A君と少し心が通じたように思いました。先ほどの事件を起こしたのは、きっと何かの事情があったのでしょう。お昼においしい給食を食べて立ち直ってほしいと思いました。 A君を含め、ツッパリの子供達は、自ら進んで元気よく挨拶してくれます。「今日の給食おいしかったです」と感謝の言葉も言ってくれます。そんな時は、私は子供達と心のふれあいができたような気がして、とてもうれしくなります。 こんなことがあると、調理の仕事にやりがいを感じます。調理の仕事は私にとっては生きがいでもあります。これからも毎日「おいしかった」と言われるように調理していきたいと思います。 (以上、約800字) |
← 心が通い合ったように ← プランターの事件を |
「働くお母さん」の作文には、何かしら味がある。
人生経験のゆとりからくるものなのだろうか。ふっくらしたものがある。
なお、この作文は「職業と私」という題で書かれたものであるが、
題を「生きがい」とすれば、文章が整っていることでもあり、書き直す必要はない。
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はじめの答案 | 添削例・諸注意 |
私は学校給食の仕事をしている。給食は、汁物、和え物、揚げ物か焼き物、デザートの献立だ。前日に、栄養士と私たち調理員4人がミーティングをし、誰が何時ごろ、どの仕事をするか決めておく。当日、野菜の量が多かったり、手間のかかる食材があったりして、時間どおりに仕事が進まないことがある。 その日は私が揚げ物をする当番だった。揚げ物は10時から始めることになっている。その前に、私はスライサーで野菜を切る仕事をしていた。野菜は何種類もあり、まだ切られていない野菜が大ざるに3つも4つもあった。10時少し前になった。私は同僚に「揚げ物をしたいので、野菜を切る仕事を代わってもらえませんか」と頼んだら、快く代わってくれた。 数年前、仕事を段取りよく進める、笑顔の素適な上司がいた。彼女は私に「その仕事が終わったら、今度はこの仕事をしてね」と穏やかな口調で仕事を頼んだ。私は「はい」と返事をして仕事をする。しかし、時間までにできそうもないときや、むずかしいときは、上司に助けを求める。すると、彼女はいっしょに仕事をしてくれたり、「こういうやり方のほうが早いよ」と言って教えてくれた。 私は上司といっしょに仕事をして、学んだことは多い。仕事のやり方はもちろんだが、1つは職場の雰囲気をよくし、仕事仲間の信頼関係を重視すること、もう一つは困ったときは声を掛け合い助け合うことだ。 チームワークのよい職場は、お互いの意思疎通がスムーズに行われると思う。仕事の能率も上がり、数字でいえば、1+1が3にも4にもなることを経験した。これからも私は仲間の信頼関係を大切にして、おいしい給食を生徒の皆さんに届けたいと思う。 (以上、約750字) |
← 献立は、汁物、……デザートの4種類だ。 ← 私たち調理員は栄養士と ← 笑顔の素適な、仕事を段取りよく進める上司が ← ……仕事を頼む。 ← 教えてくれたりする。 ← その上司と ← 行われていると ※ ただし、この段落の内容は書き直す。下記〔講評〕参照。 |
〔 講評 〕
職場での仕事の分担と連携の様子がとてもよく書かれている。
それ故に、これを生かした結論にしたい。
例えば、給食に対する生徒たちの評判を挙げ、
それはチームワークのたまものである、というふうにする。
書き直した答案 | 添削例・諸注意 |
私は学校給食の仕事をしている。献立は、汁物、和え物、揚げ物か焼き物、デザートの4種類だ。前日に、私たち調理員4人が栄養士とミーティングをし、誰が何時ごろ、どの仕事をするか決めておく。当日、野菜の量が多かったり、手間のかかる食材があったりして、時間どおりに仕事が進まないこともある。 その日は私が揚げ物をする当番だった。揚げ物は10時から始めることになっている。その前に、私はスライサーで野菜を切る仕事をしていた。野菜は何種類もあり、まだ切られていない野菜が大ざるに3つも4つもあった。10時少し前になった。私は同僚に「揚げ物をしたいので、野菜を切る仕事を代わってもらえませんか」と頼んだら、快く代わってくれた。 数年前、笑顔の素適な、仕事を段取りよく進める上司がいた。彼女は私に「その仕事が終わったら、今度はこの仕事をしてね」と穏やかな口調で頼む。私は「はい」と返事をして仕事をする。しかし、時間までにできそうもないときや、むずかしいときは、上司に助けを求める。すると、彼女はいっしょに仕事をしてくれたり、「こういうやり方のほうが早いよ」と教えてくれたりする。 私はその上司といっしょに仕事をして、学んだことは多い。仕事のやり方はもちろんだが、1つは職場の雰囲気をよくし、仕事仲間の信頼関係を重視すること、もう一つは困ったときは声を掛け合い助け合うことだ。 私たちの作る給食は生徒たちには好評のようだ。「おいしい」と言ってくれる子がいる。残飯も少ない。これは、食べる時間のタイミングを考慮して、私たち4人が一丸となって作っているチームワークのたまものだろう。これからも互いの信頼関係を大切にして、おいしい給食を生徒たちに届けたいと思う。 (以上、約800字) |
← 「おいしいよ」と声をかけてくれる子がいる。 |
これで、体験が生き、課題にもじゅうぶん沿うものとなった。
評点を付ければ、Aランク、95点である。
はじめの答案 | 添削例・諸注意 |
今から17年前のことになります。2人目の子どもを出産し、その子が3歳になる夏に、体の不調を感じました。現在の仕事は20歳の時からで、若さも手伝い、疲れを感じることはなかったのですが、ある日、1日の仕事がとても長く感じるようになりました。体の不調を、1日増すごとに強く感じ、お昼どきには食事をしながら眠気が差すほどになっていました。心配なので病院に行くと、体の一部にガンができていることを知らされました。2か月後に摘出手術を行い、40日間の療養で仕事に復帰することが出きました。 入院している間は、これまでと同じように仕事が出来るのか、他人に迷惑をかけないで一人前の仕事が出来るようになるのか、不安でいっぱいでした。また、子供たちの心配も気の休まることがありませんでした。 退院後は、完全によくなるまで自宅療養をして、復帰しました。始めは、力仕事が多いので、傷を自然とかばい、体の使われていない筋肉がとても疲れました。そのうちに仕事にも慣れ、病気前のように体も戻り働けるようになりました。 今現在でも、ガンは再発することなく、毎日楽しく仕事に出かけています。健康で仕事が出来る喜びを知り、60歳の定年まで仕事を続けていきたいと思います。 (以上、約600字) |
← ある時から、1日の…… ← ……手術を受け、半月ほど入院生活を送りました。(※ 「40日」は3段落目の2行目、「復帰」の前にもっていく)。 ← 子供たちのことについても、気の休まることが……(※ そのあとに、「この時ほど健康の大切さを身にしみてかんじたことはありません」という意味のことを補っておく)。 ← 力仕事が多いので、始めは傷をかばう格好となり、 ← 現在、ガンは…… |
体験が具体的に書かれているので、そのまま説得力のあるものとなっている。
Bランク、80点。
「健康のありがたさ」の意味をどこかに入れておきたい。
書き直した答案 | 添削例・諸注意 |
今から17年前のことになります。2人目の子どもを出産し、その子が3歳になる夏に、体の不調を感じました。現在の仕事は20歳の時からで、その頃は若さもあって、疲れを感じることはなかったのですが、ある時から、1日の仕事がとても長く感じるようになりました。1日ごとに体の不調を強く感じ、お昼どきには食事をしながら眠気が差すほどになっていました。心配になって病院でみてもらうと、体の一部にガンができているということでした。2か月後に摘出手術を受け、半月ほど入院生活を送りました。 入院している間は、これまでと同じように仕事が出来るのか、他人に迷惑をかけないで一人前の仕事が出来るようになるのか、不安でいっぱいでした。また、子供たちのことについても気の休まることがありませんでした。この時ほど、健康の大切さを身にしみて感じたことはありません。 退院後は、完全によくなるまで自宅療養をして、40日後に職場に復帰しました。力仕事が多いので、始めは傷をかばう格好となり、使ったことのない筋肉がとても疲れました。そのうちに仕事にも慣れ、体も元に戻って働けるようになりました。 現在、ガンは再発することなく、毎日楽しく仕事に出かけています。健康で仕事が出来る喜びを知り、60歳の定年まで仕事を続けていきたいと思います。 (以上、約600字) |
※ 「退院後は……」の段落を前の段落につないでもよい。意味のまとまりの点で、そのほうがよい。 |
これで、Aランク、95点。
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共働きの、一つの理想の姿を紹介しよう。
はじめの答案 | 添削例・諸注意 |
私の家は宇都宮市の西方、鹿沼市に隣接する辺りにあります。高台で、周りを梨畑に囲まれた、静かな所です。 私の家族は夫とその両親、子ども2人の6人です。私は保育園に勤めています。家は夫と両親の3人で農業(梨)を営んでいます。梨の作業は一年中忙しく、休む暇がありません。現在は農業も機械化が進み、昔に比べると軽作業になりました。ただ、自然との戦いなので、天候に左右され、収入の安定は望めません。昨年などは台風が多く、心配の日々を送りました。 生活をする上では、家事、洗濯、掃除などは私がしますが、お昼の準備をしたり、家の周りの草むしりや修繕、家で食べる野菜作りなどは両親が引き受けてくれています。子どもたちも手がかからなくなり、家族そろって食事をする時間がなかなかもてませんが、夕食だけは必ずいっしょにするよう互いに心がけています。 現在は両親が健在なので、家族の介護などはありません。家族の協力により、今日までほとんど農業を農業を手伝うことなく、私は安心して保育の仕事に出かけています。幸せを感じます。これからも健康に気をつけて、お互いに気持ちよく仕事ができるよう、がんばろうと思います。 (以上、約600字) |
← 炊事、洗濯、掃除などの家事は ← お昼の準備や家の周りの草むしり…… |
和やかささえ感じられる。
2か所に気をつければ、書き直すまでもない。
はじめの答案 | 添削例・諸注意 |
私は「自分で動け」というひとことが忘れられない。この言葉は高校の時の、美術部の先生が常日ごろ言っていたひとことである。 私は高校生の時、美術部に所属し、毎日絵を描いていた。先生は部活動の時には部室にやって来て、絵のアドバイスをしたり、部員一人一人の進路の相談にも乗ってくれる。しかし、先生はいつも「こうしろ」と言うのではなく、最後には「自分で調べろ」や、「自分で動け」と言うのだ。こうした姿勢は一貫しており、部活の連絡事項を部員に知らせる際にも「私は一度しか言わないから、一人一人がよく聞け」と言うのである。いざとなれば友達に聞けばよいという態度を特に先生は嫌っていた。 なぜ先生が「自分で動け」と口癖のように言っていたかと考えると、生徒に受身になってほしくなかったのだろう。特に学校の中の集団生活では、友達や先生の言うことさえ聞いていれば学校生活を送れてしまう側面がある。私は周囲の人々や親や友達の言うことに縛られてしまうことがあった。しかし、先生が毎日のように「自分で動け」と言うので、勇気をもらっている気分になった。自分で考え行動してもよいのだと考えられるようになった。 自分の行動に対して、自分で責任をもつことは、どのような集団や社会にいても必要だと思う。自分の理想や夢に近づくためにもだ。 (以上、約600字) |
← これは高校の……言葉である。 ※ 「たり」は、「〜たり〜たり」という形で使う。ここではいったん文を切って、「……アドバイスをしてくれた。また、……」とする。 ← 「……」とか、「……」とか言うのだ。 ← ……ほしくなかったからなのだろう。 ※ 「縛られて」→「頼って」? ← ……と言うので、だんだん自分の行動を見直すようになり、勇気を出して自分から行動してもよいのだと…… ← ……もつことは、社会生活をする上でも必要なことだと思う。 ※ おしまいの文を、最初の文に呼応させ、抱負を述べて締めくくるようにする。 |
就職用の作文を書くのは初めてだということであるが、
いい題材を選んだものである。
書き直した答案 | 添削例・諸注意 |
私は「自分で動け」というひとことが忘れられない。これは、高校の時の美術部の先生が常日ごろ言っていた言葉である。 私は高校生の時、美術部に所属し、毎日絵を描いていた。先生は部活動の時には部室にやって来て、絵のアドバイスをしてくれた。また、部員一人一人の進路の相談にも乗ってくれた。先生はいつも「こうしろ」と言うのではなく、最後には「自分で調べろ」とか、「自分で動け」とか言うのだ。こうした姿勢は一貫しており、部活の連絡事項を部員に知らせる時には「私は一度しか言わないから、一人一人がよく聞け」と言った。いざとなれば友達に聞けばよいという態度を特に、先生は嫌っていた。 なぜ先生が「自分で動け」と口癖のように言っていたかと考えると、生徒に受身になってほしくなかったからなのだろう。特に学校の中の集団生活では、友達や先生の言うことさえ聞いていれば学校生活を送れてしまう面がある。私は周囲の人々や友達の言うことに頼ってしまうことがあった。しかし、先生が毎日のように「自分で動け」と言うので、だんだん自分の行動を見直すようになり、勇気を出して自分から行動してもよいのだと考えられるようになった。 自分の行動に対して責任をもつことは、自分のためだけではなく、社会生活においても必要なことだと思う。私はどんな仕事に就くにしても、「自分で動け」という言葉を大切にして、人生を切り開いていこうと思う。 (以上、約600字) |
◎ いい先生に出会ったものだね。 ◎ とてもいい締めくくりになった。 |
書き直したものを、さらに清書していれば、
文章にも慣れ、自分なりの文体もできてこよう。
はじめの答案 | 添削例・諸注意 |
好きな言葉というと、いろいろ思い浮かぶ。中でも私は「継続は力なり」という言葉が好きである。 以前に、何の本だったか覚えていないが、忘れられない言葉があった。それは、「一つのことを10年続けてみなさい。その道の何かが見えてきて、本物になれる」。 私は、同じ仕事を10年続けたことがない。一つの仕事を何十年も続けている人を尊敬する。私は独身のころ、老人ホームで事務の仕事をしていた。そこに、私の父と同じ歳のHさんがいた。Hさんは、総務の仕事をしていた。穏やかで面倒見のいい性格で、老人や職員に人気があった。寮母から「○○さんがいなくなった」とか、「ケンカをしている」と言ってくると、Hさんが呼ばれる。そのたびに、自分の仕事を後回しにして、現場に走っていく。事務所に戻ってきて、「オレ、今まで何の仕事をしてたかな」と言いながら仕事の続きをする。こんなわけだからか、Hさんには物忘れするところがあった。ある日、大事な仕事を忘れたといって、所長に怒鳴られていた。年下の女の所長は翌日の朝礼で、Hさんを叱り、長々と説教をした。Hさんは下を向いて黙って堪えていた。 私は出産を機に退職した。Hさんとはその後も、お宅へ伺ったり、年賀状のやり取りをしたりして、近況を報告していた。数年前、Hさんから、「職場で永年勤続の表彰を受けた」という手紙とともに記念品が送られてきた。Hさん、長い間勤めてよかったね。山あり谷ありだったでしょうに、と思った。私は「仕事は長く勤めるもんだよ」と教えられた気がした。 私は調理の仕事を始めて7年になった。十年表彰を目指して、一日でも長く仕事を続けたい。 (以上、約800字) |
※ いろいろあるなら、例を2〜3挙げる。この場合は最初の文を削除して、すっきりさせる。また、次の段落をつなぐ。 ← 以前読んだ本の中に、同じような言葉があった。「……」私はこれも忘れられない。 ※ ここで、少しHさんを擁護しておこう。所長の説教は嫌味に聞こえたとか、みんなは心配したが、Hさんはケロッとしていたとかして、結論部と呼応させる。 ※ 永年勤続できた理由を「細かなトラブルを意に介さないで、仕事を全うした」とでもする。 ※ 好きな言葉に合わせて、「力」という意味で「調理の腕を上げたい」とでもする。 |
書き直した答案 | 添削例・諸注意 |
私は「継続は力なり」という言葉が好きである。また、以前に読んだ本の中に「一つのことを10年続けてみなさい。その道の何かが見えてきて、本物になれる」という言葉があった。これも忘れられない。私は、同じ仕事を10年続けたことがない。だから、一つの仕事を何十年も続けている人を尊敬する。 私は独身のころ、老人ホームで事務の仕事をしていた。そこに、私の父と同じ歳のHさんがいた。Hさんは総務の仕事をしていた。穏やかで面倒見がよく、老人や職員に人気があった。寮母さんが「○○さんがいなくなった」とか、「ケンカをしている」とか言ってくると、Hさんが呼ばれる。そのたびに、自分の仕事を後回しにして、現場に走っていく。事務所に戻ってきて、「オレ、今まで何の仕事をしてたかな」と言いながら仕事の続きをする。こんなわけだからか、Hさんには物忘れするところがあった。ある日、大事な仕事を忘れたといって、所長に怒鳴られていた。年下の女の所長は翌日の朝礼で、Hさんを叱り、長々と説教をした。Hさんは下を向いて黙って堪えていた。説教はくどくどと嫌味に聞こえたので、みんなは心配したが、Hさんはケロッとしていた。 私は出産を機に退職した。Hさんとはその後も交流があった。お宅へ伺ったり、年賀状のやり取りをしたりして、近況を報告していた。数年前、Hさんから、「職場で永年勤続の表彰を受けた」という知らせがあった。「Hさん、長い間ご苦労さま」と思わず口をついて出た。山あり谷ありだったでしょうに、思うに、Hさんは心が広く、細かなことは気にしないタチだから、仕事を続けられたのだろう。 私は調理の仕事を始めて7年になる。十年選手を目指して仕事を続け、調理の腕を上げたい。 (以上、約800字) |
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⑫ 「私の愛読書」
準備中
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