作文ワールドⅤ スポーツ作文(2) スキー大会記−桜子さん も く じ |
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スポーツ作文(1)
作文ワールドⅠ(原点) 作文ワールドⅡ(1人1人の作文)
作文ワールドⅢ(社会科作文) 作文ワールドⅣ(理科作文)
Ⅵ(七五の四行詩) Ⅶ(図工作文) Ⅸ(家庭科作文)
Ⅷ(エトセトラ) Ⅸ(作文のこころ)
「東日本大震災」の作文・第1部 第2部・第3部
作文打出の小づち
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○ はじめに 1.『秋田県スキー強化合宿 in 北海道』 2.『全県中学校スキー大会』 3.『第42回東北中学校スキー大会』 4.『第43回全国中学校スキー大会』 5.『チリという国』(税の作文) ○ 追記 …………………………………… ☆ 『Saas Fee』(スイス合宿) |
○ はじめに(平成19年1月1日)
桜子さんは中学3年生。スキー界のホープである。
活躍の模様は既に今年1月の「道場日記抄」で紹介済みだが、
練習や合宿、大会の模様を記録として書いてあるので、その主なものをここで紹介しよう。
念のため、一連の出来事(1〜4)は中2の時のものである。
晩秋から早春まで、雪のシーズンになると桜子さんはスキーの合宿と大会への出場に明け暮れるという。
学校のほうが少々心配になるところだが、合唱コンクールではピアノ伴奏を務めるほか、
人権作文では県の教育長賞を受けるなどしている。
また、部活ではバスケットボール部に所属し、県大会で優勝争いに加わってもいる。
これら文武両道の活躍ぶりの「文」については「コンクール作文」のサイトを設けるなどして、
改めて紹介する予定であるが、ここでも一編を紹介しよう。『チリという国』がそれである。
なお、桜子さんは「Saas Fee」で「社会科作文」に登場している。こちらへ。
この作文には少し前置きが要る。
中1の折の前年1月、桜子さんは東北大会の直前に両膝の靭帯を損傷した。
「直後はショックで涙がこぼれたが、スキーに対する情熱がすぐさま体を突き動かした。
『くよくよしていても始まらない』と気持ちを切り替えると、入院中からベッドの上で腹筋などでリハビリを開始。
退院後は手術で衰えた足の筋肉を付けるトレーニングに黙々と汗を流した」
(平成18年1月17日付『秋田さきがけ新報』)。
約10か月のリハビリを続けた後の合宿参加であった。
はじめの作文 | 添削例 |
11月の末に北海道で秋田県の強化合宿が行われた。秋田には全く雪がなかったがやっぱり北海道。雪がたくさん積もっていた。けがをして以来滑っていなかったので、この合宿が今シーズンで最初だった。夏の間は遊ぶひまもなくトレーニングに打ち込んだので、「もう、けがはしないな」という自信はあったが、少し不安な所もあった。この合宿には、秋田県のスキー部(アルペン)のある高校全部と中学生数名で行われる。今回は中学生男子が5人、女子が2人の計7名だった。高校生は合わせて30名くらいだった。コーチや先生は約10名だった。2週間の合宿で、前半の1週間は黒岳、後半の1週間は富良野で行った。 八戸からフェリーで行き、ホテルに着いたのはお昼だった。その日は天気がよかったので午後から滑ることになった。不安と期待に胸をふくらませ、スキー場へ向かった。スキー場へは、ホテルからロープウェイ乗り場まで歩きロープウェイに10分ぐらい乗って行く。中学生女子のコーチは今年国体女子青年Bで準優勝した高橋育美さんだった。けがをしてからたまに一緒にトレーニングをしたりして、いろいろアドバイスをもらっていたし、去年のコーチも育美さんだった。育美さんも自分と同じけがを経験していたのでけがについていろいろ教えてもらった。 そして、今シーズンの初滑り。足の調子を確かめながら滑ったので、あまりスピードは出なかった。滑る前に育美さんに「絶対大丈夫だから」と言われたので少し気持ちが楽になった。2本目、3本目となるにつれて、本来の自分の滑りの感覚が戻ってきた。とても気持ちよく滑ることができた。その日は初滑りということもあったので、5本滑ってホテルに帰った。5本滑った中で良く滑れたのは1本もなかった。夕飯を食べてからミーティングをした。最初は全員で起床の時間などの確認をした。その後、中学生は男女に分かれてミーティングをした。自分の滑りに関して育美さんは「今日の滑りは全部やばかったぞ。でも、まあ、明日からは基本トレーニングで治していけばいいことだからあまり心配するな」と言った。 次の日から本数は他の人より少なめだが、午前は基本トレーニングをした。まずはポジションの確認をし、それから細かいところに入っていった。午後は一人ホテルに帰り、バランスボールを使ったトレーニングやエアロバイクをやった。夜のミーティングでは、ビデオを見ながら、自分の滑りを研究した。育美さんに「最初のあのへっぽこな滑りと比べたらうまくなってるけどまだ全然だよ」と言われた。だから、絶対にこの合宿でうまくなって、育美さんにほめられるようにがんばろうと思った。前半の1週間は、無事終了し、次の富良野に移った。 富良野の練習コースは約3kmのロングコースだ。スーパーGができる程のコースだ。初日はスーパーGのターンでいっぱいスピードを出したスピード系の練習をした。スピードを出すのが大好きな私はとてもスピードを出し、気持ちよく滑ることができた。育美さんと競争して勝った時には「お前速いなあ。クラウチングがうまいんだな」と言われたのが、うれしかった。富良野では普通に滑っている中で注意されたことを意識し、それをビデオにとったりした。スキー場では育美さんが1本1本無線で、今ダメだったところを教えてくれる。とても分かりやすい。そして私は自分でも分かるほどうまくなっていったのが分かった。合宿が終わりに近づくにつれて、育美さんにほめられる回数も増えた。最終日には新雪を滑ったり、モーグルをしたりして楽しんだ。転びまくって、雪まみれになったけれど本当に楽しかった。この合宿では、本来の自分の感覚を取り戻すことができたので、滑る本数は少なかったけれど、中身の濃い合宿になった。 |
← なかったが、やっぱり ← ……高校の部員と中学生数名が参加した。 ← 大雪山の黒岳で、 去年のコーチも育美さんで、けがをしてから…… ← いろいろ教えてくれた。 ← いよいよ今シーズンの初滑りになった。 ※「とても気持ちよく……」の文を、「5本滑った中で……」の文の後に持っていく。 ←私の滑りについて育美さんは ← 次の日からは、……だが、午前は…… ← ……ほどのコースで、大回転よりもスピードが出せる。 ← 富良野では黒岳で注意されたことを意識して滑り、それをビデオにとってもらった。 ← そして、私は自分でもうまくなっていったのが分かった。 ※「この合宿では、」で改行する。 |
この作文が書かれたのは、中3になったばかりの4月ごろであった。
桜子さんはリハビリのため上京したその足で、この作文をもって道場を訪れた。
スムーズに読めたのだが、話しているうちに細かいことも具体的に分かったので、
専門用語のところなどを含め、念のため、書き直してもらった。
書き直した作文 | |
11月の末に北海道で秋田県の強化合宿が行われた。秋田には全く雪がなかったが、やっぱり北海道、雪がたくさん積もっていた。けがをして以来滑っていなかったので、この合宿が今シーズンの初滑りだった。夏の間は遊ぶひまもなくトレーニングに打ち込んでいたので、「もう、けがはしないな」という自信はあったが、少し不安なところもあった。この合宿には、秋田県のスキー部(アルペン)のある高校の部員と中学生数名が参加した。今回、中学生は男子が5人、女子が2人の計7名だった。高校生は合わせて30名くらいで、コーチや先生は約10名だった。2週間の合宿で、前半の1週間は大雪山の黒岳、後半は富良野で行った。 青森県の八戸からフェリーで行き、ホテルに着いたのはお昼ごろだった。その日は天気がよかったので、午後から滑ることになった。期待に胸をふくらませ、スキー場へ向かった。スキー場へは、ホテルからロープウェイ乗り場まで歩き、ロープウェイに10分ぐらい乗って行く。中学生女子のコーチは今年国体女子青年Bで準優勝した高橋育美さんだった。去年のコーチも育美さんだった。けがをしてから一緒にトレーニングをして、いろいろアドバイスをもらっていた。育美さんも自分と同じけがを経験していたので、けがについていろいろ教えてくれた。 いよいよ今シーズンの初滑りになった。足の調子を確かめながら滑ったので、あまりスピードは出なかった。滑る前に育美さんに「絶対大丈夫だから」と言われたので、少し気持ちが楽になった。2本目、3本目となるにつれて、本来の自分の滑りの感覚が戻ってきた。その日は初滑りということもあったので、5本滑ってホテルに帰った。5本滑った中でよく滑れたのは1本もなかったが、とても気持ちよく滑ることができた。夕飯を食べてからミーティングをした。最初は全員で起床の時間などの確認をした。その後、中学生は男女に分かれてミーティングをした。私の滑りについて育美さんは「今日の滑りは全部やばかったぞ。でも、まあ、明日からは基本トレーニングで直していけばいいことだからあまり心配するな」と言った。 次の日から、本数は他の人より少なめだが、午前は基本トレーニングをした。まず、ポジションの確認をし、それから細かいところに入っていった。午後は一人ホテルに帰り、バランスボールやエアロバイクを使ったトレーニングをした。夜のミーティングではビデオを見ながら、自分の滑りを研究した。育美さんに「最初のあのへっぽこな滑りと比べたらうまくなってるけど、まだ全然だよ」と言われた。だから、絶対にこの合宿でうまくなって、育美さんにほめられるようにがんばろうと思った。前半の1週間は無事終了し、次の富良野に移った。 富良野の練習コースは約3kmのロングコースだ。スーパーGができる程のコースで、大回転よりスピードが出る。初日はスーパーGのターンでフルにスピードを出すスピード系の練習をした。私はスピードを出すのが大好きなので、思い切りスピードを出し、気持ちよく滑ることができた。育美さんと競争して勝った時には「お前速いなあ。クラウチングがうまいんだな」と言われたのが、うれしかった。富良野では黒岳で注意されたことを意識して滑り、それをビデオにとってもらった。スキー場では育美さんが無線で1本1本、今ダメだったところを教えてくれる。とても分かりやすい。私は自分でもうまくなっていったのが分かった。合宿が終わりに近づくにつれて、育美さんにほめられる回数も増えた。最終日には新雪を滑ったり、モーグルをしたりして楽しんだ。転びまくって雪まみれになったけれど、本当に楽しかった。 この合宿では、滑る本数は少なかったけれど、本来の自分の感覚を取り戻すことができたので、中身の濃い合宿になった。 |
合宿は続く。作文でも、続いて『北海道合宿 in 阿寒』が書かれたので、いっしょに紹介しておこう。
書き直した作文 | |
秋田県の強化合宿が終わり、12月の中ごろ秋田に帰ってきて、1週間ほどトレーニングをした後、またすぐに北海道へ向かった。阿寒では固くひきしまったバーンでトレーニングができると聞いたので、今年は角館高校に入れてもらって練習することにした。 私が行ったときには、ちょうどFIS(国際スキー連盟)の大会が行われていた。この大会はかなりレベルが高く、基準のポイントをクリアしていないと出られない大会だ。15歳以上が出られるので、中3から出られる。日本のトップクラスの選手が顔を並べている。角館高校以外に、横手城南、花輪、鷹巣農林などの秋田の高校も来ていた。私はまだ出られないので、うまい選手の滑りを見ていた。やはり、トップ選手はスピードが全く違っていた。自分はあれ以上になりたいと思った。そして、この合宿の目標を、SL(回転)ではポールを待たないで、自分からポールに体を落としていくことにした。 大会が終わった次の日から練習が始まった。高校生に私ともう一人の中学生が加わって、合計20人くらいの合宿だった。1月5日まで2週間の予定だ。初日はスラロームをした。同じリズムが続くアンダーゲートだけの基本トレーニングをした。シーズン初めてのポール練習だったので、うまく滑ることはできなかったが、課題がたくさん見つかった。スキー場には北海道や岐阜の高校も来ていたので、多人数での練習となった。高校生は大会にも出ているし、練習をけっこう積んでいるので、流石にうまかった。SLを3日やったらGS(大回転)を3日というように交互に練習した。 夜は先生とビデオミーティングをした。自分の悪いところをスローなどで見る。それを先生が解説してくれるので、とても分かりやすい。練習ではミーティングで言われたことを意識して滑る。日がたつにつれて滑りがよくなっていき、しなやかさも出てきた。ビデオを見ても、最初の頃とは全く違っていた。この合宿では県大会に向けてのトレーニングがじゅうぶんできた。滑る本数はみんなより断然少ないが、1本1本集中して滑ることを心がけたからだと思う。 12月31日は完全休養で、午前からスキーを離れ、友達とアイヌ部落などに遊びに行った。夜は初詣に行き、必勝祈願をした。おみくじを引いたら、末吉だった。それを枝に結びつけようとしたら、切れてしまい、不吉な予感がした。でも、楽しみながら合宿を終えることができた。 |
合宿から戻ると、間もなく県大会が始まる。
正月を合宿先で過ごし、戻って1週間ほどで大会となった。
はじめの作文 | 添削例 |
1月14日から田沢湖スキー場で秋田県中学校スキー大会が開かれた。田沢湖スキー場のコースは全長907メートル、標高284メートル、最大斜度24,46パーセントだ。15日は公式練習で、レースは16日と17日に行われた。15日の公式練習ではGS(大回転)の練習をした。ポールを滑っていても、気持ちよく、やわらかい滑りができていたので、大会への準備は整っていた。次の日の大会に備えて、午後からは雪上トレーニングではなく、陸上トレーニングをした。 16日はGSのレースだった。GSは得意なので、自信があった。緊張は全くしなかった。大会に出場する選手は、女子が40名、男子は50名くらいだった。天気は晴れで、温度も丁度よかった。1本目のインスペクションは8時30分だったので、それまではフリーをしていた。雪は固く私の好きな雪質だった。インスペクションをして、9時に女子の1本目がスタートだった。インスペクションをして、ポールセットはやや横に振っていて、気をつける所は1ヵ所で、急斜面の入り口の入り方だ。しっかりイメージした。この大会では「優勝はもちろん、今まで練習してきた成果を出して、確実に全国への切符をゲットしよう」と思っていた。ワックスをぬり、ストレッチをしながら、コースをもう一度思い出して、集中していた。コーチや先生からは「普通に滑れば大丈夫だから、転ばないように」と言われた。前走がスタートしていった。自分の前の選手もスタートしていった。そして私の順番が来た。スタートの電子音が鳴った。周りでは友達が「がんばれ!」などと声をかけてくれた。スタートして、ストックでこいで、クラウチングを組んで、どんどん加速していった。そして急斜面に入った。バーンは前の人が滑ったので、思った以上に固かった。途中で手がポールにからまったり、外足がにげて転びそうになったが、なんとかゴールして、タイムを見ると1位だった。2位には3秒差だった。1本目は攻めて滑ることができた。しかし、ポジションが全体的に後ろだった。だから、2本目は攻めるのではなく、1本目で悪かったところを注意して滑ろうと思った。2本目のポールセットは1本目よりは振っていなくて、スピード系のポールだった。スタート地点で、2本目に向けてワックスをぬった。ストレッチをして、順番を待った。2本目はスタートして、注意することを頭に浮かべながら滑った。危ない所はなく、安定した滑りでゴールした。合計タイムも1位だった。でも、滑りは、ポジションが後ろでよいとはいえない滑りだった。だから、SL(回転)をがんばろうと思った。夜はビデオを見て、GSの反省をした。先生やコーチにも同じことを言われた。 17日はSLだった。私はGSよりは苦手だ。だが、がんばろうと思った。1本目、インスペクショんをして、ポールセットは細かいと思った。最後にリズム変化があるので、そこを気をつけようと思った。ワックスを早めにぬって、GSの時よりも集中した。SLはGSよりも完走率が低いので、集中しなければいけない。SLは最初から急斜面なので、こぐひまもない。スタートして、私はなかなかリズムをつかめなかった。何回も失敗しそうになり、スピードは全く出なかった。ゴールすると、2位に1秒差で勝っていた。でも、滑りは最悪だった。悔しかった。今まで練習してきたことが全くできていなかった。原因はGSと同じように、ポジションにあった。また、ストックをつくタイミングが遅かった。体にも力が入っていて、やわらかい滑りではなかった。でも、くよくよしていてもダメなので、2本目は自分の滑りをしようと思った。2本目のセットは1本目とあまり変わらず、細かいセットだった。だからこそ、ポジションを前にして、どんどん体を動かして滑らなければいけない。1本目の悔しさを力に変えて、2本目に臨んだ。滑りは1本目よりよかったが、まだまだだった。SLにはたくさんの課題が残った。合計も1位だったが、県大会での優勝が今シーズンの目標ではなかったので、もっと練習しなければいけないと思った。県大会では自分の滑りができなかったので、東北大会ではがんばろうと思った。 |
← 最大斜度○○度だ。 ← ○○などの陸上トレーニングを ← 気温もちょうど ← インスペクション(下見) ← インスペクションの後、 ← インスペクションをしてみて、……振っていること、……入り方であることが分かった。 ※「前走が……」で改行する。 ← タイムを見ると、○○秒で、2位とは3秒差 ← 体のポジションが ← よいとはいえなかった。だから、SL(回転)ではその点を修正して ← 先生やコーチにもこれと同じことを ※ 苦手な理由をひとこと。 ← また、SLは ※「県大会では……」で改行。 |
足のことが心配になるが、書かれていないところを見ると、気にするほどのことはなかったのだろう。
作文は会場の様子から書かれているので、大会の雰囲気も伝わってくる。
欲をいえば、タイムなどの具体性がほしいところである。
書き直した作文 | |
1月14日から田沢湖スキー場で秋田県中学校スキー大会が開かれた。田沢湖スキー場のコースは全長907メートル、標高284メートル、最大斜度24度だ。15日は公式練習で、レースは16日と17日に行われた。15日の公式練習ではGS(大回転)の練習をした。ポールを滑っていても気持ちよく、やわらかい滑りができていたので、大会への準備は整った。次の日の大会に備えて、午後からは雪上トレーニングではなく、ランニングなどの陸上トレーニングをした。 16日はGSのレースだった。GSは得意なので、自信があった。緊張は全くしなかった。大会に出場する選手は、女子が40名、男子は50名くらいだった。天気は晴れ、とてもいい天気で、気温もちょうどよかった。1本目のインスペクションは8時30分だったので、それまではフリーをしていた。雪は固く、私の好きな雪質だった。インスペクションの後、9時に女子の1本目がスタートだった。インスペクションをしてみると、ポールセットはやや横に振っていた。気をつける所は1か所で、急斜面の入り方であることが分かった。しっかりイメージした。この大会では「優勝はもちろん、今まで練習してきた成果を出して、確実に全国への切符をゲットしよう」と思っていた。ワックスをぬり、ストレッチをしながら、コースをもう一度思い出して、集中していた。コーチや先生からは「普通に滑れば大丈夫だから、転ばないように」と何度も念を押された。 前走がスタートし、自分の前の12番の選手もスタートしていった。そして、私の番が来た。スタートの電子音が鳴った。周りでは友達が「がんばれ!」などと声をかけてくれた。スタートして、ストックでこいで、クラウチングを組んで、どんどん加速していった。そして、急斜面に入った。バーンは前の人が滑ったので、思った以上に固かった。途中で手がポールにからまったり、外足がにげて転びそうになったりしたが、なんとかゴールした。タイムを見ると、50秒96で1位だった。2位には3秒差だった。1本目は攻めて滑ることができた。しかし、体のポジションが全体的に後ろだった。だから、2本目は攻めるのではなく、ポジションなど1本目で悪かったところに注意して滑ろうと思った。2本目のポールセットは1本目よりは振っていなくて、スピード系のポールだった。スタート地点で、2本目に向けてワックスをぬった。ストレッチをして順番を待った。2本目は、スタートして、注意することを頭に浮かべながら滑った。危ない所はなく、安定した滑りでゴールした。合計タイムは1分40秒19で、1位だった。でも、滑りはポジションが後ろでよいとはいえなかった。だから、SL(回転)ではその点を修正してがんばろうと思った。夜はビデオを見て、GSの反省をした。先生やコーチにも自分が反省したのと同じことを言われた。 17日はSLだった。これは動きが速いので、私はGSより苦手だが、がんばろうと思った。1本目、インスペクショんをしてみて、ポールセットが細かいと思った。最後にリズム変化があるので、そこに気をつけようと思った。ワックスを早めにぬって、GSの時よりも集中した。SLはGSよりも完走率が低いので、集中しなければいけない。また、SLは最初から急斜面なので、こぐひまもない。スタートして、私はなかなかリズムをつかめなかった。何回も失敗しそうになり、スピードは全く出なかった。ゴールすると、50秒11で、2位に1秒差で勝っていた。でも、全くうれしくなかった。滑りが最悪だったからだ。悔しかった。今まで練習してきたことが全くできていなかった。原因はGSと同じように、ポジションにあった。また、ストックをつくタイミングが遅かった。体にも力が入っていて、やわらかい滑りではなかった。でも、くよくよしていてもダメなので、2本目は自分の滑りをしようと思った。2本目のセットは1本目とあまり変わらず、細かいセットだった。だからこそ、ポジションを前にして、どんどん体を動かして滑らなければいけない。1本目の悔しさを力に変えて、2本目に臨んだ。滑りは1本目よりよかったが、まだまだだった。SLにはたくさんの課題が残った。合計タイムも1位だったが、県大会での優勝が今シーズンの目標ではなかったので、もっと練習しなければいけないと思った。 県大会では自分の滑りができなかったので、東北大会ではがんばろうと思った。 |
続いて東北大会になるが、念のため、これは前年(平成18年;'06年)の記録である。
今年の県大会は由利本荘市の矢島スキー場で1月17、18日に行われ、
大回転、回転とも優勝、2冠を達成して、東北大会、全国大会への出場権を獲得した。
(平成19年1月18日記)
3.『第42回東北中学校スキー大会』
県大会の10日余り後に東北大会が行われる。
桜子さんはその間、5日ほど学校生活を楽しんでいる。
はじめの作文 | 添削例 |
1月25日から3日間、山形県の米沢スキー場で東北大会が行われた。シーズン前から決めていた今シーズンの目標は2位以内だった。私は、県大会での自分の滑りがあまりにもひどすぎたため、東北大会でリベンジすることと、全国大会へいいモチベーションで臨むために、順位の目標以外にも目を向けていた。 米沢スキー場に着いた私は本当に驚かされた。それは、宿までスノーモービルで上がっていくことだ。荷物をスノーモービルに積み、自分も後ろに乗って上がっていく。今までそのような経験がなかった私は、早く乗ってみたいと思った。荷物を積み終わり、スノーモービルに乗った。たまに飛んだりしてビックリもしたが、スリル満点で最高だった。宿に着くと、もうみんな来ていて、すぐ夕食を食べた。県大会以来に会った私達は、この前会ったばかりなのにとても喜び合った。東北大会には、秋田県から男女合わせて25人くらいが出場した。大会は26日が大回転、27日が回転だった。秋田県勢は練習のため、23日に現地入りした。24日から練習は始まった。その日は回転の練習をした。山形の雪質は秋田とは違い、とてもやわらかかった。よって、急なエッヂングはスピードの減速につながってしまう。ましてや、米沢のスキー場はとても緩斜面なので、減速は絶対に許されない。その日は、まず雪質に慣れるために、最初に5本くらいやり、各学校のコーチや先生が15人くらいでポールセットをし、選手達がスムーズに練習できるようにサポートしてくれた。ポールの1本目は、久々だったので、様子を見ながら抜かないように滑った。リズムがしっかり取れていたのでよかった。それからのポール練習では、先生やコーチに注意されながら、ポジションなどの細かいところを指摘してもらい、自分でも考えながら滑った。すぐには直らないのがわかっているので、今の滑りで大会に出るしかなかった。午前で練習は終わりだった。いい滑りが何本かあったので、その感じで頑張ろうと思った。午後は陸上トレーニングを1時間ほどして、その後ワックスをぬり、友達と遊んだりした。練習の疲れを取るために、お風呂にゆっくり入り、その後すぐに寝た。 25日は大回転の練習をした。この日は他の5県も来たので、かなりの人数での練習となった。本数は確実に少なくなるので、1本1本を大会のようにして滑った。大回転ではスピードをつなげていくように、やわらかい滑りを目指した。ポールセットに合わせてかろやかにスキーを滑らせることができれば、スピードは加速していく。先生やコーチにはクラウチングの時にもっとわきをしめて、ひじを伸ばすように言われた。それを意識して、最後の1本を滑った。この日も午前で終わりだったので、午後は陸上トレーニングをして、ワックスをぬった。けっこう時間が余ったので、スキーの大会に出始めた小4から友達の、同じ横手市内の千佳と2人で大会について作戦を練った。スキーでは親友みたいにいつも仲がよく、合宿などでもたまにいっしょになることがあったので、お互いことをほんとうによく知っている。私は大回転が得意で、千佳は回転が得意だ。私は大回転でのアドバイスをしたりした。違う話もしたが、あっという間に夕食になった。夕食を終えて、ミーティングをしてから、お風呂に入り、私は大会のために備えた。 26日大回転。去年はけがで出場できなかったので、私にとって、中学校では初の東北大会となった。緊張はしなかった。ただ、絶対に自分の滑りをしようと思っていた。インスペクションをして思ったのは、緩斜面ながらポールが横にふっていることだった。早め早めの切り替えが重要だ。私はSAJポイントが全くないので最後のほうのスタートだった。ストレッチをし、集中を高めた。天気は、生憎、雪。視界は悪かった。やわらかい雪のため、順番が後になればなるほど、荒れてしまうので、不利な状況だ。もう残り5人くらいの所で私の番がきた。無線で先生に「コースは荒れているが、攻めてこい」と言われたので、「スタート順なんか関係ない。このスタート順からラップタイムをたたき出してやろう」と思った。スタートしてすぐに緩斜面。クラウチングを組んで攻めていった。スピードをつなげてゴールまで行った。タイムを見ると、なんと1位だった。狙っていたとおり、2本目も気を抜かないで頑張ろうと思った。 2本目は1本目よりも視界が悪い中で行われた。2本目のスタート順は、30位までをひっくり返し、30位の人が1番スタートとなる。私は1位だったので、30番スタートだった。いつまでたっても雪は降りやまず、とうとう私の順番が来た。スタートをして3旗門目で転ぶ人が多かったので、そこを頭に入れてスタートした。問題の3旗門目はスムーズに通ることができた。しかしその後、リズムがつかめず、減速してしまう所が何度もあった。「どうしよう」と思いながらも「攻めなければ」と思って滑った。結果は1位だった。苦手な緩斜面での優勝だったため、うれしかった。緩斜面での滑り方を身につけることができ、確実に進歩しているなと実感した。大回転は自分の滑りができたから優勝できたのだと思う。そして、明日の回転もと意気込んだ。 しかし、悲劇は突然訪れた。宿に帰ってきてから陸トレに行き、帰ってきた後、左の膝が急に痛くなった。先生に言うと、まず様子を見て、しっかり冷やすように言われた。大会に出るか出ないかは、明日の朝に決めることにした。その原因は陸トレの最中にあったと思う。前の日に私は下り坂を走ってしまった。下り坂は膝への負担が大きいため、走ってはいけないのだ。でも、もうやってしまったことはしようがないので、気持ちを切り換えた。その日は回転のスキーにワックスをぬり、早めに寝た。 27日。朝先生に呼び出され、出るか出ないかを聞かれた。ずっとアイシングをして冷やしていたため、痛みは無くなっていたので、出ることを決心した。フリーで滑っていても痛みはなかったので安心した。インスペクションで気をつけようと思った所は、スピードポールで、たまにリズム変化があるので、しっかり体を動かしていこうと思った。回転もポイントが無いため、最後のほうのスタートだった。昨日みたいに頑張ろうと思った。スタートは順調だった。しかし、10旗門目くらいまで行った所にリズムの変わる所があった。そこで右のストックがポールにからまり外れてしまった。そのままストックなしでゴールまで行こうと思ったが、タイミングが取れず、結局コースアウトしてしまった。東北大会の回転はあっという間に終わってしまった。悔しかったが、全国大会は絶対に頑張ろうと思った。この大会では自分の技術が進歩しているということが分かり、とても有意義な大会になった。大回転で1位になったことにより、モチベーションも上がり、自分の滑りにも自信がでてきた。初の中学校の東北大会に出て、たくさん自分のことについて知ることができた。 |
← 今シーズンの目標は2位以内だ。これはシーズン前から決めていた。 ← ……ひどすぎたので、東北大会で修正するために、また、…… ← ……以外に滑りにも目を ※ 14〜15行後の「大会は26日が……」を第1段落の末尾へ、また、「秋田県勢は……」を第2段落の頭へもってくる。 ← 今までそのような経験がなかったので、 ← スリル満点でとても愉快だった。 ※「24日から……」で改行。 ← スピードの低下に……(※「馬に乗馬する」のようにならないように)。 ← ……5本くらい滑った。その間に ← ポールの間を滑るのは久々だったので、 ← この日は他県の人たちも来たので、 ← 私は大回転のアドバイスをしたり、〜したりした。いろいろ話していると、あっという間に ← 私は大会に備えて、早く床に入った。 ← 26日になった。去年はけがで…… ← ただ、この日は得意の大回転なので、絶対に自分の…… ※「SAJポイント」に、「出走順位を決める」を補っておこう。 ※ タイムを入れておこう。具体性があれば、実感が強くなる。 ← ……スピードポールで、ポールの間隔にばらつきがあるので、しっかり…… ← この日もSAJポイントがないため、最後のほうの…… ※「悔しかったが、」で改行して、「この大会では自分の……」につなぐ。「全国大会は……」は末尾へ。 |
600字詰めの用紙で5枚だから、約3,000字である。
大作だが長さを感じさせないのは、大会の様子や心境を順を追って具体的に書いているからなのだろう。
このままでもよいのだが、細かな修整をして仕上げることにした。
書き直した作文 | |
1月25日から3日間、山形県の米沢スキー場で東北大会が行われた。今シーズンの東北大会での目標は2位以内だ。これはシーズン前から決めていた。私は、県大会での自分の滑りがあまりにもひどすぎたので、東北大会で修正するために、また、全国大会へいいモチベーションで臨むために、順位の目標以外に滑りにも目を向けていた。大会は26日が大回転、27日が回転だった。 秋田県勢は練習のため、23日に現地入りした。米沢スキー場に着いた時、私は本当に驚かされた。それは、宿までスノーモービルで上がっていくことだ。荷物をスノーモービルに積み、自分も後ろに乗って上がっていく。今までそのような経験がなかったので、早く乗ってみたいと思った。荷物を積み終わり、スノーモービルに乗った。たまに跳んだりはねたりしてビックリしたが、スリル満点でとても愉快だった。宿に着くと、もうみんな来ていて、すぐ夕食を食べた。県大会以来に会った私達は、この前会ったばかりなのにとても喜び合った。東北大会には、秋田県から男女合わせて25人くらいが出場した。 24日から練習は始まった。その日は回転の練習をした。山形の雪質は秋田とは違い、とてもやわらかかった。だから、急なエッヂングはスピードの低下につながってしまう。しかも、米沢のスキー場はとても緩斜面なので、減速は絶対に許されない。その日は、まず雪質に慣れるために、最初に5本くらい滑った。その間に各学校のコーチや先生が15人くらいでポールをセットし、選手達がスムーズに練習できるようにサポートしてくれた。ポールの間を滑るのは久々だったので、1本目は様子を見ながらポール1本1本に気をつけながら滑った。始めは慎重に滑ったが、だんだんリズムがしっかり取れるようになった。それからは先生やコーチにポジションなどの細かいところを指摘してもらい、自分でも考えながら滑った。すぐには直らないのがわかっているので、今の滑りで大会に出るしかなかった。午前で練習は終わりだった。いい滑りが何本かあったので、その感じで頑張ろうと思った。午後は陸上トレーニングを1時間ほどして、その後ワックスをぬり、友達と遊んだ。練習の疲れを取るために、お風呂にゆっくり入り、その後すぐに寝た。 25日は大回転の練習をした。この日は他の5県の人たちも来たので、かなりの人数での練習となった。本数は確実に少なくなるので、1本1本を大会のようにして滑った。大回転ではスピードをつなげていくように、やわらかい滑りを目指した。ポールセットに合わせてかろやかにスキーを滑らせることができれば、スピードは加速していく。先生やコーチにはクラウチングの時にもっとわきをしめて、ひじを伸ばすように言われた。それを意識して、最後の1本を滑った。この日も午前で終わりだったので、午後は陸上トレーニングをして、ワックスをぬった。けっこう時間が余ったので、スキーの大会に出始めた小4から友達の、同じ横手市内の千佳と2人で、大会について作戦を練った。スキーでは親友みたいにいつも仲がよく、合宿などでもたまにいっしょになることがあったので、お互いことをほんとうによく知っている。私は大回転が得意で、千佳は回転が得意だ。私は千佳大回転でのアドバイスをしたり、千佳から回転でのアドバイスをもらったりした。いろいろ話していると、あっという間に夕食の時間になった。夕食を終えて、ミーティングをしてから、お風呂に入り、私は大会に備えて早く床に入った。 26日になった。去年はけがで出場できなかったので、私にとって、中学校では初の東北大会となった。緊張はしなかった。ただ、この日は得意の大回転なので、絶対に自分の滑りをしようと思っていた。インスペクションをして思ったのは、緩斜面ながらポールが横にふっていることだった。早め早めの切り替えが重要だ。私は出走順を決めるSAJポイントが全くないので、最後のほうのスタートだった。ストレッチをし、集中力を高めた。天気は、生憎雪で、視界は悪かった。やわらかい雪のため、スタートが後になればなるほど、荒れてしまうので、不利な状況だ。もう残り5人くらいのところで私の番がきた。無線で先生に「コースは荒れているが、攻めてこい」と言われたので、「スタート順なんか関係ない。このスタート順からラップタイムをたたき出してやろう」と思った。スタートしてすぐに緩斜面だ。クラウチングを組んで攻めていった。スピードをつなげてゴールまで行った。タイムを見ると、52秒83で、なんと1位だった。狙っていたとおりのタイムだったが、2本目も気を抜かないで頑張ろうと思った。 2本目は1本目よりも視界が悪い中で行われた。2本目のスタート順は、30位までをひっくり返し、30位の人が1番スタートとなる。私は1位だったので、30番スタートだった。いつまでたっても雪は降りやまず、とうとう私の番が来た。スタートをして3旗門目で転ぶ人が多かったので、そこを頭に入れてスタートした。問題の3旗門目はスムーズに通ることができた。しかしその後、リズムがつかめず、減速してしまう所が何度もあった。「どうしよう」と思いながらも「攻めなければ」と思って滑った。結果は1分12秒35で、1位だった。苦手な緩斜面での優勝だったため、うれしかった。緩斜面での滑り方を身につけることができ、確実に進歩しているなと実感した。大回転は自分の滑りができたから優勝できたのだと思う。そして、明日の回転もと意気込んだ。 しかし、悲劇は突然訪れた。宿に帰ってきてから陸トレに行き、戻った後、左のひざが急に痛くなった。先生に言うと、まず様子を見て、しっかり冷やすように言われた。大会に出るか出ないかは、明日の朝に決めることにした。この原因は陸トレの最中にあったと思う。前の日に私は下り坂を走ってしまった。下り坂は膝への負担が大きいため、走ってはいけないのだ。でも、もうやってしまったことはしようがないので、気持ちを切り換えた。その日は回転のスキーにワックスをぬり、早めに寝た。 27日、朝、先生に呼び出され、出るか出ないかを聞かれた。ずっとアイシングをして冷やしていたため、痛みは無くなっていたので、出ることを決意した。フリーで滑っていても痛みはなかったので安心した。インスペクションで気をつけようと思った所はスピードポールで、ポールの間隔にばらつきがあるので、しっかり体を動かしていこうと思った。この日もSAJのポイントがないため、最後のほうのスタートだった。昨日みたいに頑張ろうと思った。スタートは順調だった。しかし、10旗門目くらいまで行った所にリズムの変わる所があった。そこで右のストックがポールにからまり外れてしまった。そのままストックなしでゴールまで行こうと思ったが、タイミングが取れず、結局コースアウトしてしまった。東北大会の回転はあっという間に終わってしまった。 悔しかったが、この大会では自分の技術が進歩しているということが分かり、とても有意義だった。大回転で1位になったことにより、モチベーションも上がり、自分の滑りにも自信がでてきた。初めて東北大会に出て、自分のことについてたくさん知ることができた。全国大会は絶対に頑張ろうと思った。 |
※ 2本目のタイムに間違いはないか。コースの距離が延長されていたのであれば、そのことをこの段落の始めに書いておこう。 |
けがは古傷の痛みかと思ったが、そうではなさそうで一安心する。
毎度お断りしているように、これは中2の時の記録である。
今年の大会は青森県大鰐スキー場で2日後から行われる。(平成19年1月27日記)。
速報:「大回転で優勝、連覇」(1月29日)「回転でも圧勝、2冠を達成」(1月30日)
全国大会は2月に入って行われる。
はじめの作文 | 添削例 |
「50秒96」1本目のゴールをすると電光掲示板の一番上に私のタイムがのっていた。私は一瞬、目を疑った。一位だ。自分のゼッケン番号を確認し、もう一度見て夢ではないことを確認した。うれしい気持ちでいっぱいだったが、自分では驚いていた。 2月5〜8日の4日間、新潟県妙高スキー場で全国中学校スキー大会が行われた。5日が男子SL(回転)、6日が女子SL、7日が男子GS(大回転)、8日が女子GSという日程だった。全国各地から速い選手が集まり、中学生の中では一番レベルが高い大会だ。女子は89人が参加した。6日のSLは1本目6位だったが、2本目にポールを間違えてしまい、順位を39位まで落としてしまった。SLの悔しさをGSにぶつけ、頑張ろうと思った。 1本目のインスペクションをした時、ふり幅はなく、スピードが出るポールセットだと思った。注意するところは、最後にゴールに行く手前に右に大きくカーブする所だ。ここでいかにスピードを落とさないかによって勝負は決まってくる。私はその部分で止まり、何回もコース取りを確認した。その後、コーチや先生と会い、気をつける所を再度確認した。ストレッチをしながら、コース取りを確認し、集中力を高めた。時間はあっという間に過ぎ、前走がスタートした。そしてゼッケン1番からスタートしていった。私はゼッケン13番だった。この日はあいにく雪が降って、視界が悪かった。私の順番が来ても視界はよくならず、視界の悪い中、私はスタートした。コースは急斜面はなく、中斜面がずっと続いているコースだった。視界は悪かったが、コーチから無線で「視界は悪いが、コースは全く問題ないから、攻めてこい」と言われたので、心強かった。それが心の支えとなり、私は攻めて滑ることができた。特に危ない所はなく、ゴールした。すると、驚いたことに一位だった。2本目もこの勢いで頑張ろうと思った。レースは2本制。2本目に何が起こるかわからない。1本目一位だったからといっていい気になってはいけない。気を抜くことは許されないのだ。そして2本目のインスペクションに向かった。2本目のポールは1本目より横に振っており、スピードも1本目より出なさそうなセットだった。2本目は1本目でできた溝に足をとられないように注意しなければいけない。溝の出来方を確認しながら、インスペクションを行った。リフトでスタートへ行き、コーチと話した。コーチは「1本目と同じ気持ちで滑ろう」と言った。リラックスするために音楽を聞きながらストレッチをした。スタートは30番リバースなので、私は30番スタートだった。30番になるころには、コースは少し荒れてきている。無線で少し荒れてきてはいるが全く問題はないと言われた。この言葉を信用して私は2本目も思いっきりスタートしていった。しかし、力が入りすぎていて、1本目のような柔らかい滑りではなかった。何もない所で手を引っかけたり、足を取られたりしてしまった。これがタイムに影響してしまい、2本目は49秒23で2位、合計も1分49秒19で2位だった。1位の選手とはコンマ0.3秒で負けてしまった。私としては目標を達成できたのでうれしかったが、1位を取りたかったという悔しさも少しあった。でもこれが私の力なんだと思った。そして来年は、SLとGS両方で表彰台の1番上に立ちたいと思った。 |
※ 出だしがドラマチックで、話の展開に期待がもてる。 ただし、これがどのレースのことであったかを、どこかで明らかにする必要がある。 ※「6日のSLは……」で改行しよう。 ← 注意しなければならないのは…… ← それが心の支えとなり、私はカーブでも攻めていった(※ 迫力をもたせよう)。 ← ゴールした。電光掲示板を見ると、「50秒96」。しかも、驚いたことに……。(※ 冒頭部とここで合わせる)。 ※「レースは2本制」で改行。 ← 1位の選手とはコンマ3秒差だった。 ※「私としては……」で改行。 |
時期、場所、参加人数、種目、組み合わせ等が簡潔に紹介され、
競技の模様が克明に記されているので、大会の規模や様子がよく分かる。
競技自体について、0.3秒差なら、おめでとうと言ってよいのだろうが、
本人の身になれば、そうもいかないようだ。
書き直した作文 | |
「50秒96」1本目のゴールをすると電光掲示板の一番上に私のタイムがのっていた。私は一瞬、目を疑った。一位だ。自分のゼッケン番号を確認し、もう一度見て、夢ではないことを確認した。うれしい気持ちでいっぱいだったが、自分では驚いていた。 2月5〜8日の4日間、新潟県妙高スキー場で全国中学校スキー大会が行われた。5日が男子SL(回転)、6日が女子SL、7日が男子GS(大回転)、8日が女子GSという日程だった。全国各地から速い選手が集まり、中学生の中では一番レベルが高い大会だ。女子は172人が参加した。 6日のSLは1本目6位だったが、2本目にポールを間違えてしまい、順位を39位まで落としてしまった。SLの悔しさをGSにぶつけ、頑張ろうと思った。 1本目のインスペクションをした時、振り幅はなく、スピードが出るポールセットだと思った。注意しなければならないのは、最後にゴールに行く手前で右に大きくカーブする所だ。ここでいかにスピードを落とさないかによって勝負は決まってくる。私はその部分で止まり、何回もコース取りを確認した。その後、コーチや先生と会い、気をつける所を再度確認した。ストレッチをしながらコース取りを確認し、集中力を高めた。時間はあっという間に過ぎ、前走がスタートした。そして、ゼッケン1番からスタートしていった。私はゼッケン13番だった。この日はあいにく雪が降って、視界が悪かった。私の順番が来ても視界はよくならず、視界の悪い中、私はスタートした。コースに急斜面はなく、中斜面がずっと続いているコースだった。視界は悪かったが、コーチから無線で「視界は悪いが、コースは全く問題ないから、攻めてこい」と言われたので、それが心の支えとなり、私はカーブでも攻めていった。特に危ない所はなく、ゴールした。電光掲示板を見ると「59秒96」。しかも、驚いたことに一位だったのだ。2本目もこの勢いで頑張ろうと思った。 レースは2本制。2本目に何が起こるかわからない。1本目一位だったからといって、いい気になってはいけない。気を抜くことは許されないのだ。2本目のインスペクションに向かった。2本目のセットは1本目より横に振っており、スピードも1本目より出なさそうだった。2本目は1本目でできた溝に足をとられないように注意しなければならない。溝の出来方を確認しながら、インスペクションを行った。リフトでスタート地点へ行き、コーチと話した。コーチは「1本目と同じ気持ちで滑ろう」と言った。リラックスするために、音楽を聞きながらストレッチをした。スタートは30番リバースなので、私は30番スタートだった。30番になるころには、コースは少し荒れてきている。無線で、少し荒れてきてはいるが全く問題はないと言われた。この言葉を信用して、私は2本目も思いっきりスタートしていった。しかし、力が入りすぎていて、1本目のような柔らかい滑りではなかった。何もない所で手を引っかけたり、足を取られたりしてしまった。これがタイムに影響して、2本目は49秒23で2位、合計も1分49秒19で2位だった。1位の選手とはコンマ3秒差だった。 私としては目標を達成できたのでうれしかったが、1位が取りたかったという悔しさも少しあった。でも、これが私の力なのだと思った。そして、来年はSLとGSの両方で表彰台の1番上に立ちたいと思った。 |
例によって、これは前年の記録である。
今年の全国大会は2月7〜9日に長野県の野沢スキー場で行われる。(平成19年2月4日記)
速報:回転で9位。2回目に追い込んでラップを取ったが、1回目の失速がひびく(2月7日)。
大回転で準優勝。1回目はラップを奪ったが、2回目でトップに1秒余りの差をつけられる。
トップとの合計の差は0.81秒(2月9日)。
両種目とも一度は1位を記録しているので、トップクラスに位置していることは間違いない。
これから高校で、全日本で、熾烈な戦いを繰り広げることになろう。
追記:
今大会の滑りが認められて、
3月2,3日にイタリアで開かれるFISチルドレン世界大会に日本代表として出場する。
他の代表2人とともに今月末に出発する。(2月14日記)
一連の大会記は'06年(中3)のゴールデンウィークから夏休みにかけて書かれた。
それが終わった8月初旬、次のような連絡があった。
下旬からチリ合宿に出かける、ついては、念のためリハビリ先の診断を受けるために上京し、
その足で道場を訪ねたいと。
そこで、チリについて何か書いてくるよう宿題を出しておいた。
それが、この作文である。
軽い気持ちで書いてきたようであったが、思わぬ結果を生むことにもなる。
はじめの作文 | 添削例 |
私は8月下旬からスキーの合宿でチリに行きます。地球儀で見ると、チリはちょうど日本の反対側にあります。私のイメージとしては、南米の陽気なパラダイスのような国でした。 そんな時、偶然テレビで「格差と戦うブラジル、チリ」という特集をやっていました。いつもならチャンネルを変えるのですが、自分が旅する国でもあったので、母と2人で見ていました。そこには、貧富の差が激しく、政治も不安定な様子が映し出されていました。上空からの撮影映像からは、広大な敷地にプライベートプールを持つ大邸宅、一方はゴミで埋めつくされたスラム街。まさに天国と地獄といった感じです。そして、地方から都会に出てきた男の人がインタビューに答えていました。「田舎では1万4千円。ここでは4万円ももらえる」4万円も……。「しか」ではなく、「も」なのです。何より心に残ったのは「都会で働けば、この子に教育を受けさせることができる。私は9歳から働いて何一つ教育を受けていない」という言葉でした。公民の授業で、日本国憲法では子どもに普通教育を受けさせる義務、勤労の義務、納税の義務の三つを国民の義務として定めていることを習いました。私たちが当たり前のように受けている教育。受けるのが当然だと思っていたのに、国によっては、教育すら受けられず、子どもの時から生活のために働いている現実がありました。日本では教育を受けさせる義務が憲法でしっかりと示されています。そして、国を支える税金の中から「教育振興助成費」ということで、小中学校では教科書の無料配布を受けています。中学生一人当たり、1年間に93万8千円分を国からもらっているのです。(平成15年) 将来の日本を担う私たちに国が力を入れていることはとてもありがたいと思いました。そして、その税金を無駄にすることなく、教育を受けることに感謝したいと思いました。国民が払う税金で成り立っている日本は世界の中ではとても恵まれているということがわかりました。 加えて、税金は国際社会の平和を願って、世界の人々のためにも使われていることがわかりました。日本のODA(政府開発援助)は世界の中で2番目に多い援助をしているということでした。私はこれらのお金で世界のだれもが教育を受けられるように願っています。そして、税金が税金が有効に使われるように常に関心を持ち続けたいと思います。 今回の合宿は、今までとは少し違った合宿になる気がします。多分、アンデス山脈の雄大な自然を目に焼きつけながらスキーの合宿をするのですが、自分が訪れている国のことを少し違った角度で見つめていきたいと思います。 |
← 一方では広大な敷地に……、他方ではゴミで…… ※「公民の授業で……」で改行。 ← 教育を受けられることに |
書き直すほどのこともないので、若干の注意事項を読んでもらった後は、
「スキーで『攻める』とはどういうことか」など、スキー談義に終始する。
ところで、この作文には大きな後日談がある。
お母さんによると、11月ごろ桜子さんは「何かの賞になったみたい」と言って
電子辞書とジュースをもらって学校から帰ってきたという。
チリ合宿以降学校には継続して行ってはいないので、何の賞か分からず、
年末に担任の先生が校報などいろいろまとめて届けて下さった時になって初めて、
それが県納税組合長賞であることが分かったというのだ。
本人は、この作文を「税の作文」として提出してチリへ行ってしまったのだが、
提出したことも忘れていたようであった。
○ 追記
3月初旬のイタリア遠征では、体調不良で入賞はならなかったが、
春休みに蔵王で行われた「ジュニアオリンピック」では回転で優勝し、念願の全国タイトルを手にする。
桜子さんは地元の高校を経て、
平成22年(’10年)4月、早稲田大学教育学部に進学した。
もちろん、スキーは続けている。
次のオリンピックへの出場が期待される。