東京ビッグサイト


10.夏っちゃん

作文ワールド
○ 「考古学」

「ヒッタイト」 (洞窟修道院群)
「古代エジプト」
「バビロニア」(「目には目を」)
「アッシリア」
「アマゾン」 (女の戦士)
⑥「トロヤ」 (アキレス、木馬)
「オリンピック」
 (「オリンピア」−特別編)
⑧「エーゲ文明」
⑨「クレタ文明」

○ 古代史年表

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Ⅳ(理科作文) Ⅴ(スポーツ作文) Ⅵ(七五の四行詩)  Ⅶ(図工作文)
Ⅸ(家庭科作文)  Ⅷ(エトセトラ)
「東日本大震災」の作文・第1部  第2部・第3部

作文打出の小づち
総もくじ
作文編  国語編  小論文編  閑 話

トップページ 小学生の作文 公立中高一貫校入試の作文



夏っちゃん

夏っちゃんは夏実さん。中学2年生。
小学生の時か学校生活や家族旅行、バレェのことなど、
いろいろなことを書いてきたが、
中1の冬に「考古学」を書いてから、作文が急に生彩を帯びてきた。

夏実さんは、このホームページでは、既に
「社会科作文3」のほか、「時事用語」など、いろいろなページに登場している。
ここでは、「社会科作文3」に連載中の古代国家に関するものを移して
古代国家研究の特集として紹介しよう。




「考古学」

はじめの作文 添削例・諸注意
 私が今、一番興味をもっているのは考古学である。世界にはまだ見つかっていない、発掘されていない王家の墓や宝などがたくさんあるそうだ。多くのことがまだまだ知られていないのだ。私は、そんな知られていないことを知ってみたい。紀元前には人間がどんな生活を送っていたのか知りたいのだ。
 私が調べてみたい国は、エジプト、ヒッタイト、バビロニア、アッシリア、アマゾン、ミタンニなどだ。中でも一番興味をもっているのはエジプトだ。

 エジプトは神の子であるファラオが中心となり、神殿を司る神官、行政面を支える宰相、軍事面では将軍を置くなどの官僚制をとっていた。ラムセス一世などは将軍から王になった王である。また、エジプトは何百という神を信仰する多神教国家であった。例えば、エジプト国家の最高神のアメン・ラー神はテーベの土着神であった。エジプト全土が統一されたことに伴い、アメン神が太陽神ラーと結びついてアメン・ラー神となった。神の子である王以上の存在だとされ、多神教のエジプトにおいて、特に重要な神とされている。このことはパピルスに書かれている。
 多くの国に文字があるように、エジプトにも文字があった。文字は象形文字から発達し、「ヒエログリフ(神聖文字)」と「ヒエラティック(神官文字)」、「ドモティック(民衆文字)」に分けられている。ヒエログリフは石碑に刻んだ特別な文字で、パピルスに手書きする時はヒエラティックが使われた。その簡略系がデモティックである。それでも、文字についてはまだまだ分からないことだらけで、解読されていない文章がたくさんあるということだ。たとえ解読されても、次の謎、次の謎と、分からないことがたくさん出てくるようだ。

 私はそんな謎をこの手で発掘し、解明したいのだ。今年の夏に私は母とエジプトに行く。その時に博物館や王家の谷に行って、王家の墓や宝をこの目で見てみたい。





← ……ことを調べてみたい。









← ……宰相のほか、軍事面では将軍を置くなどして官僚制を……











⑨ 文字の種類と使われ方がとても分かりやすい。











← 私はそんな謎に挑戦し、この手で発掘して解いてみたい。


これを書いたのが中1の1月で、8月に出発するまでの間、
上の「もくじ」にあるように、
「ヒッタイト」に続いて、「バビロニア王国」「アッシリア」「アマゾン」
「トロヤ」「オリンピア」「エーゲ文明」「クレタ文明」
などについて書いていった。

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  ①「ヒッタイト」

はじめの作文 添削例・諸注意
 私の夢は考古学者になることで、考古学の中で二番目に興味をもっているのはヒッタイトだ。
 ヒッタイトは今のトルコのアナトリア高原にあった王国で、紀元前12〜18世紀ごろに小アジアに国家を建設した。
 ヒッタイトは元は小さな民族で、赤い川の内側で暮らしていたが、だんだんと勢力をのばした国である。
 ヒッタイトでは王が勝手に政治をおこなうことはできず、第1にタバルナ(皇帝)、第2にタワナアンナ(皇妃)、第3にパンクス(元老院)という順に政治の実権を握っており、例えば、罪人をいくらタバルナが死刑としたとしても、 タワナアンナとパンクスが無罪としたら、無罪になった。そのお陰でいい政治ができたと言われている。
 ヒッタイトはハッティ族から鉄剣の製造法を学び、征服したミタンニ王国から馬の調教と戦争の技術を学び、軍事的にとてもすぐれていた。鉄の製造法を手にしたヒッタイトはオリエントの覇権を手にした。
 ハットウサに都を置き、紀元前17世紀ごろから栄え始め、シリア・バビロニアに侵入してバビロニア王国を崩壊させ、紀元前14世紀に北シリアを含む帝国となり、全盛期を迎えた。
 紀元前13世紀前半にはエジプトのラムセス2世とシリアをめぐって戦い、条約を結んだことが記録に残っている。紀元前12世紀に「海の民」と呼ばれた東地中海で活躍した民族の侵入を受けて急速に滅んだ。
 文字は楔形文字と象形文字を使い、20世紀初めに楔形文字のヒッタイト語が解読されたが、象形文字にはまだ不明な点が多い。
 ヒッタイトは最近になってその存在が知られるようになった国で、まだまだ分からないことがとても多い。私はエジプトに行ってみたいが、トルコのアナトリア高原にも足を運んでみたい。




← 紀元前18〜12世紀ごろに

※ 「ヒッタイトは……」で、前の段落につなぐ。


← 政治の実権は第1に






















※ 次の段落の始めの文をこの段落の頭にもってくる。




※ 「私はエジプトに……」で改行する。

実は、これを最初に紹介したのは、
夏実さんは、何も見ないで、これをさらさらと書いていたからである。
こんな調子であったから、内容も読みやすいものなっている。
「書き直した作文」は、ここでは省略する

アナトリア高原にはカッパドキアという、凝灰岩の奇岩が林立する地方がある。
この辺りには洞窟の住居のほか、中世キリスト教の洞窟修道院群が残されている。
これらの洞窟は1985年に世界遺産に登録された。
夏実さんが行ってみたいと言っているのは、この辺りである。

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 「古代エジプト」

夏実さんは前に一度、この題で書いたことがある。
そのほとんどは上の「考古学」で繰り返されており、
『エジプト紀行』にも織り込まれているので、
ここでは省略する。

『エジプト紀行』は、こちらへ。


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 「バビロニア」

本編には、「バベルの塔」の話や
「目には目を、歯には歯を」の話が出てくる

改稿の作文 添削例・諸注意
 バビロニア王国は、現在のイラクの首都・バグダッドから南に約130キロメートル行った所にあるバビロンを首都としていた。その北半部をアッカド、南半部をシュメールという。
 バビロニア王国は、古代諸王国興亡の中心地で、紀元前3000年ごろセム系のアムル人がメソポタミア南部のバビロニア地方に建てた王朝で、第6代の王・ハンムラビの時に最盛期に達した。バビロンというのは「神の門」という意味である。
 バビロニアでは、聖書にも出てくるノアの大洪水後、人々は天にも達するような高い塔を築き始めた。神がこれを見て、人間が自己を神格化しようとしている傲慢と見なし、人々の言葉を混乱させ、その工事を中止させた。これが伝説の「バベルの塔」であるが、破壊と建設が繰り返された後、ネブカドネザル2世が、3〜4階程度で完成させたといわれる。
 バビロニアは、ハンムラビ王がメソポタミア地方を統一した18世紀ごろには、国の安定と発展から、天文学や占星術が発達した。それは当時の文化生活に多大な貢献をしたばかりでなく、現代の暦などにも影響を及ぼしている。「目には目を、歯には歯を」で有名は「ハンムラビ法典」はこの当時に定められたものである。
 バビロニアではカウナケスという羊の毛皮に似せた織物を使って衣服を作っていた。多くのバビロニア女性はその衣服を、右肩が露出する格好で身にまとっていた。容姿端麗で美しく着飾ることが女性の価値を高めたといわれる。男性は巻布形式で、ショールのように両肩、もしくは左肩を覆うなどの着こなしをしていた。
 バビロニアは北隣のアッシリアと同じアッカド語を使っていた。アッカド語はセム系言語の最古のもので、比較言語上重要な意味をもっている。アッカド語が日常語として使用されるまで、その地方にはシュメール語が存続していた。これはチグリス・ユーフラテスの両大河地方に開花した言語で、その後のバビロニア=アッシリア文化の基礎を築いた。紀元前3000年ごろにシュメール語はアッカド語に取って代わられた。
 
 こんなバビロニアに、私はとても興味をもっている。行ってみたいが、現在のイラクの政情不安の状態では行かないほうがいいと言われる。イラクの政情が早く安定することを祈っている。










































※ シュメール人は象形文字から楔形文字を工夫したことを入れておこう。「ハンムラビ法典」は楔形文字で書かれているということでもあるから。


夏実さんの、いわば大ブレイクについてお母さんに話すと、お母さんも驚いて、
夏実さんに聞いてみたところ、その元は「劇画」にあったということだった。

興味と分かりやすさのなせるところか。劇画の効用である。
それにしても、よくこれだけの内容や名前が頭に入っていたものである。


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「アッシリア」

このあたりの話は1年前に書いたものに手を入れたものであるが、
ほとんど変わらない。それだけ、
最初から内容をよく理解して書いたということなのだろう。

改稿の作文 添削例・諸注意
 アッシリアはバビロニアと同じく、今のイラクにあり、イラク北部のメソポタミアの地域にアッシリア人が建設した国である。
 古来、この地では諸民族による争奪が繰り返されたが、紀元前3000年に移住したセム語系アッシリア人は、ティグリス川中流域の都市国家アッシュールを中心に商業民族として発展し、バビロニアから文化を学んで繁栄し、紀元前13世紀にはユーフラテス川中流域にまで勢力を伸ばした。
 アッシリア人は古代で最も勇猛であったといわれ、紀元前8世紀から7世紀にはティグラトピレセル3世、サルゴン2世、セナケリブ、アッシュール=バニパルらの勇猛果敢な諸王が相次いで立ち、メソポタミア、シリアからエジプトまで征服し、一大世界帝国を建設したが、軍隊の残虐さと過酷な税で被征服民の抵抗を招き、紀元前62年に、内紛と新バビロニア王国・メディアの侵入によって首都ニネヴェが陥落し、帝国は崩壊した。

 アッシリアはアッシリア語という古代メソポタミアのアッシリアで使われた言語を使っており、これはバビロニア語と並んでアッカド語の二大方言を形成する。ただし、この言語は城壁に書かれたものが残っている程度である。

 アッシリア美術は帝国の強大化に伴って確立された。初期、中期、後期のうち、特性が現れているのは後期で、新アッシリア美術とも呼ばれる。日干し煉瓦、焼成煉瓦を用いた王宮建築の遺跡が、アッシュール、ニムルド、コルサバド、ニネヴェの各地に残る。メソポタミアの伝統に従うアッシリアで特色が発揮されたのは浮彫で、戦闘、狩猟、朝貢者の列など、王権の誇示、帝国の武威を示す主題が好まれ、アッシュールバニパル王の狩猟図では鋭い写実的描写を生んだ。

 アッシリアの国家神はアッシュールといい、首都アッシュールの守護神である。アッシュールは「慈愛深きもの」を意味し、豊穣肥沃の神として棕櫚(シュロ)の枝で囲まれた姿で表される。また、戦士の神でもあり、戦いにおいて兵士を指揮し、勝利をもたらした。この場合は翼のある円盤の形で、牛に乗り空を行く形で表された。

 こんなアッシリアにも、私は一度は行ってみたいと思う。







← 商業民族として発展した。バビロニアから文化を学んで







← 一大世界帝国を建設した。しかし、
軍隊の残虐さと


















← メソポタミアの伝統に従っているが、アッシリアの特色が発揮されたのは浮彫で、

興味深い話は、この後も続く。


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 「アマゾン」

相変わらず、筆はすらすらと運ぶ。

改稿の作文 添削例・諸注意
 アマゾンとはギリシア神話にも登場する女戦士から成る部族の名前である。これは、南アメリカを流れるアマゾン川とは関係ない。
 実在したかどうか、まだ定かではないが、多くの考古学者が実在したと信じている部族である。
 アマゾンは黒海沿岸あたりに住んでいたとされ、好戦的で女子だけで国をなし、種を得るために一定の季節に他国の男に会って子を産むが、男児は去勢するか殺害するかし、女児のみを育てていた。女子は幼児のころに、弓や槍を扱いやすいように、右の乳房を切り取ったので、ギリシア語で「乳なし」という意味のアマゾンと呼ばれた。
 ギリシア神話で有名なヘラクレスは12の仕事を達成するために、アマゾンの女王ヒッポリュテを殺し、その腰帯を奪った。
 騎馬で弓、斧、槍や特製の楯を使い、エーゲ海のイオニア各地に都市を建てた。とても強かったといわれ、トロイア戦争では女王ペンテシレイアが兵を率いてトロイア方に加勢したが、アキレス腱で有名なアキレウスに敗れた。
 アマゾンは美人ばかりだったが、ペンテシレイアはその中でも一番の美人だったとされ、アキレウスはその美貌に感じ入り、その死を嘆いたという。
 アマゾンが実在したかどうか、私は考古学者になって突き止めたいと思っている。





← ……と信じている。


← ……国を成していた。種を得るために……






※ この段落の内容(3行分)は削除しよう。


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「トロヤ」

「トロイの木馬」といえば、
webの世界ではウィルスが連想されるだろうが、
ここでは、その名のもとになった話を紹介しよう。

添削例・諸注意
 トロヤは小アジアの北西、今のトルコの北西岸のヒサルリク丘にある古代都市国家で、英語ではトロイと呼ばれている。古代ギリシア時代にはイリオンと呼ばれ、ホメロスの叙事詩『イリアス』に当時の戦いの様子が描かれている。
 『イリアス』の題材となったトロヤ戦争は古代ギリシアの伝説で、ギリシア人とトロヤ人の間に行われた。トロヤ王子のパリスがスパルタ王妃ののヘレネを誘拐して帰国したため、スパルタ王がギリシア各地の王を誘ってトロヤを包囲し、10年の激戦の後、最後は木馬を送り込んで、トロヤ城を炎上させた。戦いの中では、アキレス腱でおなじみのアキレウスなど、多くの英雄が活躍する舞台となっている。
 トロヤは東西(アジアとヨーロッパ)と、南北(エーゲ海と黒海)の接点に位置する城塞として、小アジアの政治・文化の中心となり、古来非常な繁栄を誇ったが、コンスタンチヌス一世がボスポラス海峡に臨むヨーロッパ側にコンスタンチノープルを建設したため、交通路から外れ、廃墟と化し、伝説上の都市となった。
 その実在は長く疑われていたが、ドイツの実業家シュリーマンによって、その都市が実在したことが証明された。シュリーマンは実業家として成功し、巨万の富を築いた後、自費でトロヤの丘の発掘に着手し、城壁、住居、財宝などを発見した。
 シュリーマンはエーゲ文明研究の基礎を築き、トロヤの遺跡は1899年に世界文化遺産に登録された。



















← ……誇ったが、4世紀になってコンスタンチヌス一世が……



← ……、19世紀末にドイツの実業家シュリーマンによって、

シュリーマンには『誇大への情熱』という自叙伝がある。

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 「オリンピック」

(「オリンピア」ー特別編)

’14年1月30日現在、
ソチオリンピック(第22回オリンピック冬季競技大会)が
1週間後に始まる。
ここで、オリンピックの言われについて紹介しておこう。

添削例・諸注意
 オリンピックとは、国際オリンピック委員会(IOC)の主催によって、4年に1度開かれる国際スポーツ競技大会である。
 オリンピックは、古代ギリシアで、北ギリシアのオリンポス山に住むオリンポス十二神の主神・ゼウスに捧げるために行われたオリンポス祭がもとになっている。
 ゼウスはインド・ヨーロッパでは「輝き」の意味があり、本来は天空神・雷電神であるが、後に神々の王者となり、天界に起こる自然現象と人間界で営まれる社会現象の全てを司る神となった。よって、競技をゼウスに捧げることによって、自然と社会を平和にしようとしたものであった。
 オリンポス祭で行われた運動競技では、女性は競技場に入ることを禁止され、男性は全裸で戦った。紀元前776年から紀元393年まで4年ごとに開催された。祭には詩や音楽などのコンテストもあった。王者にはオリーブの冠が与えられ、今もマラソンなどにその伝統が受け継がれている。
 近代オリンピックは、フランスのクーベルタン男爵の提唱で始まった。古代ギリシアのオリンピック競技が国際的規模で復活され、1896年にアテネで第1回大会が開かれた。その後は2度の世界大戦中を除き、4年ごとに開催地を変えて世界各地で行われ、平和の祭典となっている。

 日本では1964年に東京で第18回大会が開かれ、また、2020年に32回大会が再び東京で開かれることになっている。

 冬季オリンピックは、1924年から始まり、第1回大会がフランスのシャモニーで開かれた。
 日本では、1972年に第11大会が札幌で、1998年に第18回大会が長野で開かれた。





























○ この大会では女子バレーボールで「東洋の魔女」と言われた選手たちが日本じゅうに感動を与えた。

○ 札幌大会では、スキーの70m級ジャンプで笠谷、金野、青地の3選手が金、銀、銅メダルを独占して、「日の丸飛行隊」と呼ばれた。
○ 長野大会では、開会式で横綱・曙が土俵入りを披露したのが印象深い。


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⑧「エーゲ文明」

⑨「クレタ文明」

順次掲載(準備中)


しばらくお待ちください。

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